其の参
義男の言葉でクラスが落ち着きを取り戻すと、櫻井はポンと出席簿を叩き、皆の注目を集めた。
「皆さん、先程言いそびれましたが、大事なお話があります。先程、九条君にはあぁ言いましたが、皆さんには明日から、必ずスマホを持ってくるよう、徹底してもらいます。できますね?」
櫻井がそう言うと、生徒らはジャラジャラとスマホをカバンやポケットから取り出し、机の上に置き始めた。
「ていうか皆持ってますけど」
「うん、今の時代持ってない子いないよね」
「て言うか、さっきまでスマホはダメみたいなこと言ってたのに、どしたん?」
——なんで? なんでこの子達みんな携帯持ってんの? みんな不良なの? 怖い!!
櫻井は少し、ズレていた。
「み、皆さーん。まだ持ってきていいって言ってないのに、どうして持ってるのかなぁ? 携帯は校則で禁止なんですが……」
「いや、携帯だし」
「携帯するから携帯って言うんじゃん?」
「携帯を携帯してなかったら不携帯電話だって、意味ないしw」
——え……? 今時の子ってみんなこうなの?!
西から東、北から南、千年前から千年後まで、全てにおいて共通して言えることがある——理想と現実は異なる。
緑ヶ丘高校、校則第十四条第一項第二十八号において、携帯電話の所持は原則禁止とされている。であるにも関わらず、目の前の全ての生徒がさも当然のようにその校則をあっさりと破っており、携帯を携帯しなければ携帯ではないという、まるで禅問答のような屁理屈まで用意されている始末。担任生活開始より三十分、櫻井の中で何かが大きく音を立てて崩れていった。
理想と現実とのギャップに深くため息をつき、櫻井は話を続けた。
「えぇ、もう既に皆さん携帯を持ってきているなら、それでいいです。今日からにしましょう。大事なのはここからです。シャンと背筋を伸ばして聞いてください」
その言葉と共に、櫻井の表情が明らかに変化したことに気がついた生徒たちは、それまでのざわつきがまるで嘘のように一気に静まり返った。
「皆さんもご存知かとは思いますが、今、世間では連続誘拐殺人事件が問題となっています。つい先日、この学校の隣接市にあたる西東京市でも皆さんと同い年の高校生が一人、行方不明になっています。既に警察も捜査を始め、当学区を含めた近隣地区の見回りも強化しているとのことですが、皆さんの身の安全が確約されているわけではありません。今日からは家を出る時、学校に着いた時、学校を出る時、お家の方に携帯で連絡をとってください」
これまでのおちゃらけムードから一転し、自分達が危害を被るかもしれない問題を突きつけられ、女子生徒らはざわついていた。その一方で男子生徒はというとあまり危機感がないようで、なんだかニヤニヤし、中にはヘラヘラするものもおり、違う意味で異様なざわつきを見せていた。
「先生、下校時間はどうなるんですか? 部活あるんですけど」
「部活は当然、当分中止です」
「えぇ〜〜〜?! そりゃないですよ〜〜〜」
部活生、とりわけ運動部に所属する者が大きく肩を落とした。
「甲子園の地区予選も7月にあるし、今からサボってらんないっすよ」
「これはサボりではありません。あなた達の命を守ることなの」
「でもさ〜」
野球部員達は納得できない様子であった。机の脇に置かれたクラブバッグに目をやっては櫻井を振り返る。頭では分かっていてもどうしても納得ができないのだ。
「あんた達いつも初戦敗退してるじゃない。事が収まるまでしばらく部活しなくたって別に問題ないんじゃない?」
弱小部員にも弱小部員なりの意地や目標がある。そのために日々努力をすることは彼らにとっての誇りであり、試合には勝てなかったが自分たちは頑張ったという自負が、彼らの心の支えにもなるのだ。彼らにとってそれがどれほど大切なもので、それを失うことがどれほど恐ろしいことなのか、彼らの気持ちを全く理解できない雨宮優子の辛辣で無慈悲な一言が野球部員達の怒りを煽ってしまった。
「おい、雨宮! お前に俺達の何が分かるんだ! 俺達は確かに弱小だよ! でもな、弱小には弱小なりの意地がある! 弱小だから次も負けていいことなんてないんだよ! 何も知らねぇくせに、簡単に俺達から努力する機会を奪うんじゃねぇ!!」
机の上でギュッと握りしめた拳が悔しさと怒りで震えていた。その姿を見て、優子は流石に申し訳なさを感じ、野球部員達の方を振り向き、静かに謝った。
「ごめんなさい。今のは私が悪かったわ」
櫻井が優子と野球部員らの口論にあえて口を出さず見守ったのは、なにも怒号をあげる野球部員にビビっていたなどという教師らしからぬみっともない理由ではない。時には仲間同士でぶつかり合うことが互いの理解を深め合うことに繋がるということを、生徒間の問題に教師が介入し過ぎない方がいいということを、教師歴6年目にして、櫻井は理解していたのだ。
櫻井は優子の謝罪する姿を見るとニコッと微笑み、話を続けた。
「皆さんも言いたいことはあると思うけれど、まずは自分達の命と身の安全を一番に考えてください。今日から女子は、お家の方に送り迎えをしてもらうか、男子と一緒に登下校をしてもらいます。男子のみんな。ちょっと面倒かもしれないけれど、女子の皆を家まで送ってあげてね」
その櫻井の言葉を聞いて、まるでノストラダムスの大予言を初めて聞かされた小学生のように絶望に打ちひしがれていた野球部員達は、まるで9回裏二死満塁で逆転ホームランを打った時のベンチ要員のようなガッツポーズをとり、一斉に立ち上がり大きな声をあげた。
「っっっしゃぁあああああ!!!!!!!!」
「シャァァァアアーーーーーーーーーー!!!!!!!」
「よっしゃぁぁぁあああああ!!!!!!」
野球部員達のそれは大きな声というより、もはや雄叫びに近かった。
呆れてあくびをし伸びをする義男の向こうで野球部員達はガッツポーズを崩さぬまま、天井の一点を見つめ、涙を流して語りはじめた。
「夢にまで見た女子との登下校!! 高校生になれば当然のように訪れると思っていたイベント!」
「しかし、女友達など一人もできず、部活仲間とつるむ毎日……」
「来る日も来る日も走り込み、バッティング、千本ノック!」
「汗と泥にまみれた俺達に女子との接点なんてできるわけもねぇ」
「俺達が購買でパンを買いに出てる間、女子達が俺達のカバンにファブリーズをしてたのも知ってたさ……」
「俺達の青春は……惨めに散る運命だった!!!」
「だがしかぁーーーーし!!! 俺達にもとうとう運が回ってきたのだ!!! まさに、そうまさに、青春ラブコメ的な展開!! 女子との登下校!!!」
これでもかと言わんばかりに頬を涙で濡らし、幸せを噛み締める野球部員達の、息がぴったり合った掛け合いに優子は表情を歪ませた。
「あんたらねぇ〜。意地だの……」
「え……?」
「努力だの……」
「え……?」
「意地だの努力だのはどこ行ったのよ!! そんな下心見え見えの男子に送っていってもらいたくないわ! 誘拐犯より危ないんじゃないかしら。このクズ!」
「ズッコーーーーン!!! ひどい……そんなのあんまりだぁ……クズなんて言わなくてもいいじゃないか……」
「クズはクズよ」
「そんな……」
「クズ」
「やめて……」
「うっさいクズ」
「いやぁ……」
この後も、野球部三馬鹿トリオと優子による愉快《愉快》なコントはしばらく続くのであった。




