其の弍
ところ変わって、二年二組の教室。始業式前のホームルームが始まっていた。
「今日から皆さんの担任を務めることになった櫻井愛子です。みんな仲良く、楽しい学校生活を送りましょうね」
そうクラスに声をかけたのは、この春から義男らの二年二組を担当することとなった櫻井愛子である。28歳独身で付き合ったことない歴=年齢という、少し寂しい女だ。
櫻井はその後もテンプレ通りのつまらない挨拶をタラタラと続けると、義男の方を見てズボンのポケットを探り始めた。
「そうだわ、九条君。これ!」
そう言うと櫻井はポケットから義男のスマホを取り出し、義男に手渡した。
「もう学校に持ってきちゃだめよ」
——ふふふ、クラスを担当するのは初めてで緊張したけど、これでまず一人、心を鷲掴みだわ。
あろうことか櫻井は初登場から一分も経たないうちに、モノローグで内心を曝け出すばかりか、この先の展開について妄想を始めていた。
「せ、先生……。先生、ありがとうございます! 俺、こんな美人で優しくて若くてチャーミングな先生が担任で、本当によかったです! 一生ついて行きます!!」
「やっぱり愛子先生サイコーだよね。うち二組でよかった〜」
「ほんと、二組サイコー! 愛子先生サイコー!」
「愛子! 愛子! 愛子!」
「もうみんな、それは言い過ぎ。さ、出席をとるわよ。オホホホホホ」
——完璧だわ! これぞ私の思い描いていた理想の学級! これぞ担任教師! これぞスクールライフ! 完っ璧よ!!
あまりに非完璧過ぎる非の打ち所しかない最低レベルの妄想に酔いしれる櫻井に、義男は軽く頭を下げ、お礼の言葉を口にした。
「アザース」
「え? それだけ?!」
「え? あ……はい。アザース……」
「……」
義男は大して感謝をしていなかった。
それもそのはず。別に学校の中でスマホを使うことはないし、放課後には体育教師が返してくれると確約していたのだから、別に今スマホを返してもらう必要もないし、今返してもらったところで、どうせ放課後まで使うことがないのだから、義男としては大して有難くもないことなのである。
「もうなによ! あなたにとって私はその程度の女だったの!? あ〜〜ん、もういいわよ。とほほ……」
「えぇ?! ちょ! えぇ?!」
拗らせ体質の櫻井に右斜め下過ぎる反応を見せられ、義男は少々困惑していた。
予想外の拗らせパニックがあったものの、スマホを義男に返却した櫻井は教卓へ戻り、出席を取り始めた。
一人ずつ順番に名前を呼ばれ、呼ばれた者は起立し自己紹介をする。どの学校にもある新学年初日の風物詩である。
席順に自己紹介を進めていく。義男が自己紹介を済ませると、その隣の久松が当てられ、その次は後ろの席の英美里が当てられた。
「川崎英美里です。去年の二学期、この高校に転校してきたので、まだ知らない人も居るかもしれませんが、ぜひ仲良くしてください。よろしくお願いします」
本人はそう言うが、英美里は学年一の美少女と名高く、昨年のミスコンでも優勝を収めている。彼女を知らない人など校内に一人もいないというのが実情である。だが、その容姿端麗ぶりに嫉妬を抱く女子も少なくなく、また活発な性格から男友達も多いため、意外と女子の友達は多くない。
英美里の自己紹介が終わると、男子達から異常な程の大きな拍手が湧き立った。その拍手の音を聞き、先日、英美里とデートをした義男は束の間の優越感に浸っていた。
やがて全ての自己紹介が終わり、櫻井が注意事項を話そうとしたその時だった。
教室のドアがガラッと開き、大柄でもなければ小柄でもない派手な髪型の男子が入ってきた。それは、時代錯誤甚だしい学校非指定の短ランで、リーゼント寄りのソフトモヒカンが特徴的な一匹狼の不良、鬼塚龍二である。
「先生、俺の席は?」
「え……と、あなたは……?」
「自分の生徒も分かんねーのかよ。鬼塚だよ」
「ヒィッ。お、鬼塚君ね。あ、あなたは一番後ろの窓側の席よ」
——不良が一人いるとは聞いていたけど、何よこの子。昭和のヤンキーじゃない。こんなの聞いてないわよ、こんな子。
鬼塚は乱雑にカバンを机に投げ置くと、ドアの方へ歩いて行き義男の方を振り向いた。
「んじゃ、俺、今日は帰るわ。義男も後で来いよ」
「おいおい、お前、いま来たばかりだろ。もう帰るのか? いま順番に自己紹介してたとこなんだ。せめて自己紹介ぐらいやってけよ」
九条義男はこのクラスで、いや、この学校で唯一鬼塚と対等に話せる稀有な存在である。それは義男が不良だからというわけではない。義男と鬼塚は中学時代、サッカー部でツートップを組んでいた知る人ぞ知るゴールデンコンビだからである。それ以上でも以下でもない。
——九条君、よく不良と対等に話せるわね。この子は大切にしなくっちゃ。
櫻井は自分のことしか考えていなかった。
「めんどくせぇなぁ。わーったよ。鬼塚龍二、この高校の番格だ。文句がある奴はぶっ潰す。喧嘩ならいつでも買ってやる。以上! で、自己紹介したけど、お前は来るんだよな、義男」
「それが何処かにもよる。僕はいったい何処に行けばいいんだ?」
「駅前のパチ屋」
「そうか。じゃあ十八になったら行ってやるよ」
「連れねえな。じゃ、またな」
そう言って教室を後にしようとする鬼塚に櫻井はなけなしの勇気を振り絞り、蚊の鳴くような小さく細い声で注意を試みた。
「お、鬼塚君。が、学生がパパパパパパパパパ、チンコ屋さんは良くないと思うのだけれど。ね、今日は大人しく皆と一緒に——」
緊張のあまり、つい吃ってしまった櫻井の言葉を、義男が聞き逃すはずもなかった。義男は櫻井がまだ話してる途中であるにも関わらず、会話を遮るようにツッコミを入れた。
「——チンコ屋さん???!!!!」
「言ってないわよ!!!」
「先生ひわ〜い」
「チンコ屋さんってw 」
「先生、そこに行けばチンコ売ってるんですか?」
「男子最悪〜w」
クラス中から大きな笑いが巻き上がるとともに、櫻井をイジる冷やかしの声が飛び交った。
——クソガキどもがぁ!! ちょっと美人で優しい生徒思いのチャーミングな先生だからといって、いい気になってんじゃないわよ。まったく、九条君も九条くんよ。スマホを返してあげたばかりなのに、恩知らず!
「なぁ、先生。俺もう行くから。出席扱いで夜露死苦」
そう言うと鬼塚は堂々と後ろのドアから教室を出て行った。
鬼塚が出て行った後も生徒らの盛り上がりは収まらなかった。
櫻井は皆を大きな声で叱るべきか、黒板を叩いて注目を集めるべきか、教卓をちゃぶ台返しのようにひっくり返すべきか、主犯の義男にチョークを投げつけるべきか、だがそんな思い切ったことをしてハラスメントと言われないだろうか、暴力行為と言ってクビにされないだろうか、そもそも生徒一人を止められなかった自分にそのようなことをする勇気があるのだろうか、様々な考えを巡らせ、ついに思考停止モードに突入していた。
そんな時だった。義男がクラス中を見渡して呆れたように声を上げた。
「おい、お前ら。あんまり先生をからかうなよ。俺達は生徒で先生は教師だ。ちょっと優しくしてくれてるからって勘違いすんなって。立場を弁えろよな」
——お前が言うか!!!
その時、クラス中の全員がそう思った。
しかし、櫻井だけは違った。
初めての担任で心がワクワク胸がドキドキ浮き足だっていたものの、初のホームルームで早速、校内一の不良が担当クラスにいることが発覚し、入室して数秒でエスケイプされ、それを止めることもできず、自身の発言の言葉尻をとって生徒から馬鹿にされる中、義男が声を上げ自分を庇ってくれたのだ。
——九条君……。やっぱりスマホね! スマホの恩返しなのね! いい子だわ。この子は今後も特別贔屓して私の手駒にするわよ!
例えそれが心の中だとは言え、生徒の依怙贔屓が問題となっている昨今で、こうも堂々と依怙贔屓を宣言できる先生も珍しいであろう。
義男の言葉でクラスが落ち着きを取り戻すと、櫻井はポンと出席簿を叩き、皆の注目を集めた。
——其の三へつづく




