第三話 喰霊
キーンコーンカーンコーン――。
無機質なチャイムの音が魔法を解く。
漫画に夢中になっていたユイの意識を、強制的に保健室のベッドへと引きずり戻した。
「あー……次体育かよ。マジだりぃ」
パタン……。
音に弾かれるようにして、漫画を閉じる。余韻に浸っていると、隣で寝ていたサホリが、寝返りを打つのが分かった。
お……起きたか。
「なんか、横になってたら、だいぶ楽になったみたい」
「ふーん……次体育だし、まだ寝てれば?」
無理して怪我でもされたら、後味悪いし。
「うん、そうしようかな」
ユイはサホリを保健室に残し、教室へと向かう。
階段を上る足取りがやけに重い。ただでさえ気が重い階段が、まるで地獄の入り口へと続くスロープのように思えてくる。
教室に着くと、何人かはすでに着替え始めていた。
ユイはカバンから雑に体操着を引っ張り出す。
「安倍さん、体育出るの?」
「……まぁね。てか、今日何やんの?」
ユイは体操着に顔を埋めながら、女子生徒に聞く。
「バレーボールらしいよ」
ユイの着替える手が止まる。
バレーボール……最悪だ。
指を使うスポーツはやりたくないんだけどなぁ。
ジャージに包まれた身体が、これから受けるストレスを予感して強張る。
すれ違うクラスメイトたちは、これから始まる移動に焦って階段を駆け下りていく。
その後を追うようにユイは階段を降りる。
踊り場を曲がると、あの独特なゴムと汗が混ざった体育館の匂いが漂ってくる。
キュ、キュ、と体育館の床をシューズが擦る音。
春だというのに、少し蒸し暑いせいか、館内は異様な空気が漂っている。
ユイは隅であぐらをかいていた。
「安倍ー! サボってないでこっち来い」
「チッ……めんどくせ」
「聞こえてるぞー、早くしろー」
ユイが立ち上がり、コートに向かおうとした時、また視界が揺れる。
「……疲れた」
よろめきながら、コートに向かう。
てか、この後の授業なんだっけ。
体育の後は眠いんだよなぁ。
また屋上でサボろっかなー。
ユイの元にボールが勢いよく飛んでくる。
「安倍さん!」
「……え?」
うわの空だったユイは慌てて構えを取ろうとする。
――次の瞬間。
「……イッッ!」
ユイの右手に激しくボールが当たった。
ユイは激痛のあまり、その場にしゃがみ込む。
「どうした! 安倍、大丈夫か!」
体育教師が駆け寄ってくる。
「……突き指ッス」
「保冷剤もらってきてやるから、休んでろ」
「ウッス」
マジ、なんで右手なんだよ……。左手じゃ術使えねーのに。
「先生は保健室に保冷剤を取ってくるから、時間になったら片付けてていいぞ。終わったら、各自教室戻れよー」
ユイはまた隅に腰掛ける。
指の痛みより、授業から離脱できた喜びの方が勝っていた。
しばらくして、生徒たちが片付けをし始めた。
ユイは怠そうに起き上がると、ボールの片付けを手伝い始める。
二人の生徒と一緒にボールカゴを運びながら、体育倉庫に向かう。
――その時だった。
ユイの背中に強烈な悪寒が走る。
「……っ」
さっきまで聞こえていた、シューズが床を擦る音、生徒たちの話し声、それらが急に遠のいていく気がした。
いる。
倉庫の奥に、ナニカいる。
さっきまでなんでこの気配に気づかなかったんだろう。
……いや。
蒸し暑さに紛れて、確かに、体育館全体に重苦しい雰囲気はあった。
「あのさ、あとウチやっとくから、先戻ってていーよ」
「えー? 怪我してるのに悪いよ」
「いいから!」
ユイは女子生徒を睨みつける。
「感じ悪っ……」
「いいよ……もういこ?」
ヒソヒソ話す声を背に、女子生徒たちは逃げるように出て行った。
――これでいい。
ユイは二人の背中を見送る。
体育館にはユイ一人だけが残った。
……さてと。
「おい! そこにいるハゲ、さっさと出てこいよ」
「クチャ……クチャ……クチャ」
「ムシャ……ムシャ」
「聞こえてんだろ、ハゲ! 奥で隠れてるテメェだよ」
「………………」
ドシンッ、ドシンッ、ドシン。
ユイは、体育館の床が揺れるのを体で感じる。
「…………」
倉庫の奥から出てきたソレを見て、ユイは黙り込んだ。
三メートルはあるだろうか。
肩からは腕が六本生え、口からは浮遊霊らしき四肢がはみ出した、醜い巨体の化け物。
「ゲフウゥゥゥゥ……」
「…………」
ユイの表情から、一瞬でいつもの気怠さが消えた。
……コイツ……今まで見てきたヤツらとは明らかに違う。
コイツ……喰霊だ――




