【断章】憑きもの
サホリは毎朝六時に目覚める。
朝食を食べ、歯を磨き、顔を洗う。
その後は日課である予習を欠かさない。
どこかの誰かとは、大違いである。
いつものルーティンを終え、鏡の前で髪を整えていると、冷たくも妖艶な視線を感じる。
「……」
サホリは、鏡越しに背後を見る。
――そこには。
赤い着物。
艶やかな黒髪。
豪華な簪。
「ひっ……!」
サホリはヘアブラシを落とし、肩がびくりと跳ねたまま、硬直する。
「そんなに驚くとは、不躾でありんすね」
「……あの……おはようございます」
「いつまでも怯えておるのでありんせん。わっちはおぬしをとって喰ったりはせん」
「あの……花魁さん、どうしてわたしに憑いてるんですか?」
「おぬし、わっちが怖いでありんすか?」
「……怖いです」
「正直な娘でありんすな。嫌いでありんせん」
そう言うと、花魁はまた闇に溶けるように、姿を消す。
……びっくりしたぁ。なんだったんだろ。
サホリは制服に着替え、カバンを手に取ると学校へと向かう――。
歩道に伸びた自分の影を見つめながら、信号が変わるのを待つ。
でも、どうして、わたしにも花魁さんが視えるんだろう。保健室で視えた金色の瞳。あれはなんだったんだろう。
交差点の向こう側に見える、吸い込まれそうな赤色をじっと見つめる。
――その時。
サホリは後ろから手を強く引っ張られる。
突然の「プーッ、プーッ」という低い怒号のようなクラクションで、現実に引き戻される。
「早まるなど、無粋なことはお辞めなんし」
猛スピードで巨大な車体が、目の前を掠めていった。
「花魁さんもしかして、助けてくれたの?」
「勘違いするでありんせん。おぬしの身に何かあってはわっちが困りんす」
「……ありがとうございます。あの……なんて呼んだらいいですか?」
「そんな堅苦しい顔をして、何を訊くかと思えば――好きなように呼びなさんせ。ただし、わっちが気に入る名でなくては返事はしんせんよ」
「えっと……じゃあ」
「花魁ちゃん」
「…………」
「……悪くないでありんす」
信号が青に変わる。
交差点を渡るサホリの足取りは、少しだけ弾んでいた――
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