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第69回 伏見の狐、昭和の終わり

元旦、滋賀県に向かう途中越の道はガラガラだった。

まあ普段から混むことなんて滅多にないルートではあるのだけれど。


堅田に降りて琵琶湖大橋を渡り、正面に三上山を見ながら取付道路を走る。

夏になると名産のメロンの直売が行われるカントリーエレベーターに、ウィンドサーフィンのベース基地になってる怪しい親父の経営する「琵琶湖アドベンチャースポーツクラブ」、出身の中学、秋に舞子と鮎のコースを堪能した「宝山」…久しぶりの地元の道は、相変わらず両側は田んぼばかりで、冬の田は、水を抜かれて灰色に眠っていた。


やがて田んぼの中の細い道路に入って行くと、実家がある。

集落の中の全員が顔見知りで、子どもたちだけで遊んでいても誰もが「○○さんちの□□君だ」と知っている濃密な田舎の人間関係が、僕は小さい頃からとても苦手だった。

京都にいる畳屋や和菓子屋の親戚は好きなのだけど、田植え機やコンバインを共同購入して農繁期には親族総出で順番に田植えや稲刈りが行われるこの地元の親戚は好きではなかった。

おせっかいで、人と人の距離が近すぎる。

無遠慮に良かれと思ってズケズケと人の生活や進路に口出ししてくるのはどういう心理なのか全く理解できなかった。

だから個人的にたまに用事で実家に寄る以外は、法事だとかお盆だとかそういう親戚が集まりそうな機会はなんやかんやの理由をつけて避けてきた。

でもあの濃さがなかったら、ここまで鮒ずしや川魚の文化は残ってないのかも知れないけど。


が、「正月くらいんで。お年玉もあるさけ」という親の執拗な電話攻撃に、とりあえずこの元日だけはやってきたのだ。

新年の挨拶をして、「長男だから」と僕の椀にだけでっかい獅子頭が入って食べにくい事この上ない雑煮と、赤こんにゃくが大活躍のおせちを食べたら、お年玉だけ貰って夕方には京都に帰ろう。

多分土産に持たせてくれる、売り物ではなく家で作った鮒ずしや川魚の飴炊きには、舞子は大喜びするだろう。


ところがそんな僕の目論見はあっさりと崩れ去った。


「お、帰ってるやないか、ハルヒト」


次から次へと年始回りの親戚や近所の人が入れ代わり立ち代わりやってきて、その度に酒を飲まされる。

苦手だといいつつもその程度の社交性は持っているので、夕方になる頃にはとても運転なんかできる状態ではなくなっていた。


「みんな集まってるから、せっかく帰ってるハルヒトも来い」


と本家からかかってきた電話には、さすがにそんな鬱陶しいことが確定している場所に顔を出す気にはなれずに、返事だけして行かなかった。

後で、飲みすぎて酔っ払って寝てしまったとでも言えば充分だ。


「あ、舞子、ちょっとお酒飲まされて運転できなくなったから、明日の朝に帰る」


と電話すると、舞子は


「大丈夫だよー。私は明日も午前中バイトだし、お雑煮もまだあるし、ゆっくりしてきて」


と言った。

電話の向こうで「信長様!」という真田広之の声が聞こえた。

なんで人質の竹千代が、城主を諱で呼んどるねん。


飲みすぎて酔っ払ったのは本当だったから、翌日は起きたらもうお昼だった。

さてそろそろ帰ろう、と思ったところにタツヤから実家に電話がかかってきた。

保育園からの幼馴染のタツヤも帰省していて、久々に地元の連中と遊ぼうという誘いだった。


とりあえず取付道路沿いのココスに集まって昼食を取り、エースレーンでボウリングを5ゲームもやってから、次は栗東のプールバーでビリヤード。

そこからまた取付道路を琵琶湖の方へ走り、琵琶湖大橋を渡って、僕とタツヤのバイト先チェーンのびわ湖店へ。

相変わらず地元の連中はすごくカジュアルに車でそれなりの距離を移動する。


「あれ?お前ら2人とも何しとんねん?」


どうやら正月シフトのヘルプで来ているらしく、びわ湖店にはマサキがいた。


「お前らも働けよ。正月手当にヘルプ手当で結構な時給になるぞ」


「いやじゃー」


「あれ?ハルヒト、今日は舞子ちゃんは一緒ちゃうんや?正月で親戚やのに」


「ああ、舞子は母方の親戚やから」


「そうやったっけ?でも滋賀県やってバーベキューの時言うてたよな?」


「ああ、舞子は湖北の方やねん。ていうか、北野白梅町の方はシフトいけてるん?」


これ以上舞子の話題が続くと、他の友だちも変に興味を持ち出しそうだから話題を変える。

まあそんな事は僕の考えすぎで、みんな中学時代の部活の話や、早くも結婚して子供ができた同級生の話題なんかで盛り上がっていた。


「ほな唐崎行こか」


地元組のヒデキが声を掛ける。

「唐崎行こか」というのは地元の友人間では「天下一品唐崎店に行こか」という意味だ。

昨日も京極店で舞子と食べたんだけど、別に二日連続でテンイチでもやぶさかではない。

琵琶湖の西岸、161号線を南へ。

そしてまた、チャー定餃子ラーメン大盛りこってりニンニク抜き麺硬めネギ多め。

二日連続でも、美味いもんは美味いなあ、と思いながらドロドロのスープをレンゲで口に運んでいると、


「なあ、さっきのビリヤード、ハルヒトが勝ったままやのん、納得でけへんねんけど」


と、これも地元組のムンちゃんが言い出した。


「え?ここからやったら京都近いし、ここで解散して帰ろうと思てたんやけど」


「あかん!勝ち逃げは許さん!朝まで勝負や!」


「せやせや。勝つまでやめへんからな!」


「そんで、お前が負けたら罰ゲームで朝まで付き合うってことやな」


なんだそれ。

どっちにしても朝まで帰れないんじゃないか…。

こういう時に反論してももう無駄だということは分かっている。


「分かったわ。ほな、ちょっと電話」


そう言って僕は店の隅のピンク電話に向かった。


「なんやなんや、女かぁ?」


という声を無視して、出町柳のアパートの電話番号を回した。

二回鳴らして一切ってかけ直す。


「あ、ハルくん、どうしたの?」


舞子の声だ。ホッとする。


「ああ、それがな、ごめんけど…」


僕が事情を話すと、舞子は


「そっかー。分かった。じゃあ私も遊びに行こうかな。バイト先のお姉さんのトコ泊まりに行って、明日はそのままバイト行くことにするよ」


という。

最近よく話に出るお姉さんだ。

舞子は最近、僕の知らない場所を少しずつ増やしている気がした。


「ほな、昼までには帰るから、そっから初詣どっか行こ」


「分かったー。楽しみー。じゃハルくん、お友達と楽しんでねー」


そう言って電話は切れた。

席に戻ると案の定詮索でうるさかったが、全部無視した。

朝までビリヤード。久しぶりに、それはそれで楽しみだ。


◇    ◇    ◇    ◇


「ただいまー」


舞子が帰ってきた時、僕は爆睡していた。

昨夜は結局朝五時までビリヤードをやって、結局全員が同じ回数ずつ“9”を落として勝負つかずで解散し、僕はそのまま1号線から山科、三条通経由で6時に部屋に帰り着き、そのままベッドに飛び込んだのだ。


「あ、ん?舞子?あ、もう昼か…おかえりー。」


「あけましておめでとうございます」


「こちらこそ、あけましておめでとうございます。本年もよろしく」


かしこまって新年の挨拶をして思わず顔を見合わせて笑う。


「あ、これモーニングの残りのパン貰ってきたやつ。一緒に食べよ」


そう言って舞子はリュックから美味しそうなパンを取り出した。

正月も3日ともなると客も減ってきたようだ。


僕はコーヒーと舞子のミルクティを淹れ、バターたっぷりのスクランブルド・エッグを作り、冷蔵庫のシャウエッセンを茹で焼きにして皿に盛り付けた。

冷蔵庫に年越しをしたトマトがあったので、それもくし切りにして乗っける。


「ほな、これ食べたら初詣行こか」


「うん!どこ行くの?」


「う~ん…下鴨神社、は、すぐそこ過ぎてなんか愛想ないし、平安神宮でもええけど、舞子がまだ行ったことないとこ…あ!伏見稲荷どう?」


「伏見稲荷!聞いたことある!すっごいたくさん赤い鳥居があるトコだよね!行きたい!」


「おっけー。ほな決定!」


「伏見だよね?車で行くの?」


「いや、まだ三が日やし、車は絶対にあかん。大渋滞で近づくこともでけへん」


京都に住んで初めての正月の一昨年、無謀にも車で伏見稲荷を目指して、結局たどり着けずに帰ってきた。

去年はそれに懲りて、タツヤ達と大晦日から車を飛ばして串本まで初日の出を迎えに行ったんだっけ。

帰りに寄った那智本宮大社は、もちろん結構な混雑だったけど、京都の神社に比べたら全然可愛いものだった。


「三条まで自転車で行って、そこから京阪やな。そしたら伏見稲荷の駅まで十分で着く」


「そんなに近いの?もし車で行ったら?」


「十二時間くらいかな…」


「日付変わっちゃう!」


2人で大笑いしてアパートの駐輪場から自転車に乗って川端通りを三条へ。

昼下がりの三条の街は、初売り帰りの紙袋を下げた人や、晴れ着姿の家族連れで賑わっていた。

けれど、街に流れる正月の浮かれ方は、どこか少しだけ静かだった。

自転車を押して京阪三条駅に向かうと、ホームはすでに人で溢れていて、僕達はその波に押し込まれるように電車に乗り込んだ。


「うわ、ぎゅーぎゅーだね」


舞子は少し息を弾ませながら吊り革に手を伸ばす。


「正月やしなあ。けど、伏見稲荷はもっとすごいで」


言葉どおり、伏見稲荷駅に降り立った瞬間、さらに濃い混雑が広がっていた。

改札を出ると、すでに参道へと押し流されるように人の波が続いている。

焼きとうもろこしや甘酒の匂いが漂い、きつねのお面や狐の置物を並べる店先に呼び込みの声が響く。


「わぁ、狐のお面かわいい!ちょっと見てもいい?」


「帰りにゆっくり見よ。まずはお参り」


「はーい」


朱塗りの楼門にたどり着くのも一苦労だった。

本殿前ときたらもう、押すな押すなの人混みで、やっとの思いで賽銭を投げ入れる。

二礼二拍手一礼。

僕が顔を上げても、舞子はまだ手を合わせたまま、じっと目を閉じていた。


「エラい長い間、何お願いしてたん?」


やっと顔を上げた舞子に訊く。


「内緒」


とはぐらかされた。


「あ!おみくじ!」


舞子はおみくじ売り場に走っていった。

神妙な顔でおみくじを開く。


「吉だって!よかったー」


続いて千本鳥居へ。朱色の鳥居のトンネルは人の肩と背中で埋まり、ゆっくりとしか進めない。


「結構きついな」


「そうだねー」


「舞子、上まで行くんなら今日は付き合うで。金毘羅さんの名誉挽回や」


「今日は適当なところで折り返しでいいよー」


確かに人だらけで、登るというより押し歩きの行軍に近い。

僕達はもうしばらく登ったところで、折り返すことにした。


参道に戻ると、屋台の匂いにまた腹が鳴る。


「あ、すずめの丸焼きやって!そういえば高校の時、伏見工業との練習試合で伏見来て、ここにそんな店あるって聞いたわ」


店の前では、竹串に刺さったすずめが炭火でじゅうじゅうと音を立てている。


「ご、ごめん、これは無理!」


姿そのままの焼き物を前にして、舞子は思わず顔をしかめた。


「はは、確かにインパクト強すぎるな。僕もやめとこ」


そのまま少し歩き、赤い暖簾の老舗「日野家」へ。

大正五年創業の食事処は、赤い絨毯の階段と木のテーブルが年季を感じさせる。


運ばれてきたきつねうどんは、大きなお揚げが一枚どんと乗り、優しい出汁の香りが湯気とともに広がった。

セットのいなり寿司を頬張った舞子は、頬を緩ませて言った。


「んー、すごく美味しい!やっぱり稲荷は“きつね”だね」


「せやな。やっぱりここに落ち着くわ」


窓の外にはまだ参道の賑わいが続いている。

舞子がいなり寿司をもう一つ頬張って、嬉しそうに目を細めた。

僕はその横顔を見ながら、やっぱり正月はこうでなくてはと思った。


参道のざわめきと、朱の鳥居の残像と、目の前のあたたかな出汁の香り。

どれもが混じり合って、これぞ正月の京都やな、としみじみ思った。

その風景が、もう「昭和最後の正月」になっているなんて、その時の僕はまだ知らない。


────昭和が終わったのは、その4日後だった。

テレビの中でメガネを掛けた四角い顔のおじさんが、「平成」と書かれた額を、静かに掲げていた。

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