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第66回 ホワイトクリスマスを探しに

十二月の京都は、奇妙なふたつの空気が同時に流れていた。


テレビも新聞も、毎晩のように「宮内庁発表」で始まり、

街にはどこか沈んだ気配が漂っているのに——


百貨店のウィンドウだけは、そんな空気とは無関係のように

「恋を何年、休んでますか。」

「あなたなんか大好きです」

と浮かれたコピーがきらめき、イルミネーションが眩しいほどだった。


アクセサリー売り場は拡張され、大丸の前にはティファニーの紙袋を下げたカップルが群れ、その光を見上げながら笑い合っている。

祇園マハラジャのフロアは、ワンレン、ボディコン、肩パッドのイケイケファッションに身を包んだ男女で溢れ、

ラジオからはユーミンのクリスマスソングが繰り返し流れていた。

負けじとワムも、去年のクリスマスの失敗をもうゴメンだと歌い続けている。

何だか、チグハグな十二月だ。


◇    ◇    ◇    ◇


「ねえねえハルくん、ハルくんはクリスマス辺りの予定ってどんな感じ?」


晩ごはんのお鍋の豚肉と白菜を小皿のポン酢に取り分けながら、舞子が訊いた。

こたつの上、カセットコンロにかけた土鍋がクツクツと湯気を出し、部屋はぬくぬくだ。

窓ガラスが白く曇っているのが見える。

テレビでは中井貴一の武田信玄が「甲斐に光を!」と生涯を終えようとしていた。


「あー、ごめん。二十四日はバンドのクリスマスライブで、二十五日は『お前らこの時期にふざけんな』て店長に怒られて、イブ抜けた穴埋めにタカトモと一緒に深夜シフトやわ。何かつもりしてた?」


「ううん。ちょうど良かった。私もちょうどホテルのお客さんすごく多くて、毎日バイトなんだよ」


いつもはビジネス客が中心だというホテルも、さすがに今年はクリスマスが土日ということで大盛況らしい。


「そっか。ほな、二十六日どっか行く?」


「うん!」


「行きたいとことか行きたい店とか食べたいもんとかある?」


「雪が見たい!」


舞子はそう言ったあと、ほんの一瞬だけ、

湯気の向こうで目を細めた。


その表情が、ただのワガママじゃなくて、

何かを“埋めたい”みたいに見えた。


「雪?」


「うん。二日遅れのホワイトクリスマス!」


「京都はなかなか積もらんからなあ……分かった、行き先考えとくわ」


「わーい!楽しみ!」


僕はお出汁だけになった鍋にご飯を入れ、塩を振って味加減を見てから火を止めて卵を溶き入れて蓋をした。

しばし待って蓋を取ると湯気が立ち上り、部屋いっぱいにふわっとやさしい匂いが広がる。


「やった、雑炊だ!」


舞子がこたつ布団の中で足をぱたぱたさせた。


◇    ◇    ◇    ◇


十二月らしい慌ただしい日々があっという間に過ぎていく。

お店の裏口を忙しそうに駆け出す白衣の職人さん、渋滞する烏丸通、五時には真っ暗になる鴨川デルタ、部屋の灯油の匂い。

この十二月半ばから正月を迎えるまでの空気が僕はとても好きだ。

一度、もっと雰囲気を味わいたくて講義のない日に錦市場に行ってみたが、あまりの人の多さにとても歩けそうにないと引き返した。

やりすぎだよ、年末の雰囲気。


クリスマスイブのライブは盛況だった。

まだ二回目のライブにも関わらず、僕達が目当てだというお客さんも何組か来てくれた。

タツヤもヒロくんもマサキもバイトのシフトに入って来られなかったけれど。

そしてユリカも、さすがにこの日は例の阪大の彼氏と過ごしているのだろう、姿を見せなかった。

香織も現れなかった。

すなわち、とても平和裏にライブは終了した。


アパートに帰ると、舞子は明日の早朝バイトに備えてもう寝息を立てている。

僕はライブハウスの店長にお土産に貰ったショートケーキの箱を冷蔵庫にしまった。

明日のお昼、舞子が帰ってきたら一緒に食べよう。


翌二十五日の日曜日は、夜十時からのシフトのはずが八時過ぎに店長から電話があった。


「全然店回らん~!!!できる限りでええから、ちょっとでも早よ来てくれ~!!!」


夜に備えて夕方から仮眠を取っていたのを予定時間の一時間も早く叩き起こされた僕は、慌てて着替えて車で今出川通をバイト先に向かった。

店に到着すると、満席で順番待ちまで出ている。

すぐに制服に着替えてホールに出ると、僕はそのまま深夜3時頃まで続く来客の無限ループに巻き込まれて、タバコの一本も吸う間もなくホールを歩き回るハメになった。

やっと落ち着いてきた朝の五時前、店長が


「ほんますまんかった!特別手当で朝六時までの分の時給つけとくから、上がってくれてええで」


と言ってくれて、僕はありがたくそうさせてもらい、アパートに戻った。

今出川通も鴨川デルタも、まだ真っ暗だ。

部屋のドアを開けると、ちょうど舞子がバイトに出かけるところだ。


「いってきまーす!」


「おやすみー!」


よし。

これで舞子が帰ってくる時間まで、しっかり六時間寝られる。

今日は遠出の予定だから、助かった。

僕はジーンズを脱いで布団に倒れ込み、五秒後にはもう深い眠りの底まで沈んでいった。


◇    ◇    ◇    ◇


「よーし!出発!」


午後一時、いつものように車に舞子のクッションをたくさんと、毛布を積み込み、エンジンをかけて、カーステにカセットを入れる。

ピアノのエイトビートコードのスタッカートがはじまり、ユーミンが歌い出す。


「最近この曲よく聞くねー」


舞子が言う。


「こないだ出たばっかりの『ディライト・スライト・ライト・キス』の曲やな。やっとレンタルレコード屋に出たから、すぐに借りてきてカセットに録音したねん」


ユーミンが、どうして僕たちは出逢ってしまったのだろうと歌う。


「悲しい歌詞だね…」


舞子はそう言って、窓の遠くに目をやった。

こんな表情をする舞子は初めてだ。

僕は何かバカなことを言おうとしたけれど、何も思いつかなかった。


名神高速が滋賀県に入り、三上山を見ながら栗東を越えたあたりから、外はみぞれ混じりの雨になった。

舞子はさっきから黙ったままで、窓の外を見ている。


「ちょっと多賀のパーキング寄るな。トイレと、小腹もすいたし」


ハンドルを左に切って減速車線へ。

駐車場はガラガラだった。


舞子は僕の白いセーターを引っぱり出して着込み、

袖の先から指だけ出して、きゅっと掴んだ。


「さむ……」


その仕草が、どうしようもなく可愛い。


「あ、多分反対側のパーキングだけど、この『多賀』ってとこ来た事ある!」


舞子が僕の前にパタパタっと走ってくるりとこちらを向いて言った。


「え?こんなとこ、いつ?」


「軽井沢から京都来たとき」


そう言えば、舞子がどうやって僕のアパートまでやってきたのか聞いたことはなかった。


「車で来たん?」


「うん。軽井沢のお蕎麦屋さんで修行してた人が、京都の奥さんの実家に帰る事になってそのタイミングで乗せてきてもらったんだよ」


そうなんだ、知らなかった。


僕達はそれぞれトイレに行き、僕はまたフランクフルトを買った。

高速でパーキングに入るとフランクフルトを食べる。

これはもう、抗えない僕の行動パターンだ。


「また辛子つけすぎてない?」


舞子が笑う。


「大丈夫。今回はそもそもかけてないし」


「そっかー。あ、私、バイト先で貰ってきたパンあるから食べようかな」


「うん、それもええけど、アレ食べようや」


僕はそう言って、『近江牛コロッケ』と書かれた赤い幟を指さした。


「へえ、美味しそう。」


そう言う舞子と1つづつ買って、ふうふうしてからかぶりつく。


「これ…」


「確かに美味しいけど…」


「「どこが近江牛か分からへんな(ないね)」」


予期せずハモって二人で吹き出した。


「ほな行こか」


そう言ってキーをドアに差し込もうとすると、

舞子は笑いながら「手洗ってきて」と僕を押し返す。


確かにベッタベタだ。

こんな手でハンドルなんか握ったら、ヌルヌルになってしまうに違いない。


その何気ない仕草が、

雪国へ向かう前の“日常のぬくもり”みたいで、胸が少しあたたかくなった。


「はーい」


僕は素直にそう答えてトイレで手を洗ってきた。

車に戻って今度こそ再スタート。


カセットは、今度は自分で編集したクリスマスソング集だ。


The Christmas Song、Last Christmas、Wonderful Christmastime、White Christmas、War Is Over…


年代もジャンルもバラバラだけど、好きな曲ばかりだ。

舞子も


「あ、この曲知ってる!」

「こんな曲もあるんだー」


と楽しそうだ。


米原ジャンクションから中央道方面に進む。

空はすっかり灰色で、伊吹山も全く見えない。


「どこまで行くの?私、滋賀県の北の方くらいかなと思ってたんだけど」


「滋賀県は今年はまだほとんど降ってへんみたいやし、どうせやったらもっとホンマの雪国行こうかなと思てな」


関ヶ原を越え、愛知との県境をかすめるように走って、また岐阜へ戻る。

徐々に高速の両側に山が迫り、上り坂が多くなる。

多賀から2時間弱走って、長い長い恵那山トンネルを抜け、次は恵那峡のパーキングに入った。


「あれ?この名前も知ってる」


舞子が不思議そうに言う。


「信州と近畿圏、車で移動したらだいたい多賀と恵那峡で休憩するからなー」


「そうなんだねー」


「ここはな、五平餅食べなあかんねん」


「あ、それは知ってる。お餅みたいな、おはぎの中身みたいな、そんなのにお味噌塗って焼いた平たい団子みたいなやつでしょ?」


「それそれ!めっちゃ美味いし好きやねん」


「私もアレ好き!」


ということで、一本ずつ買って食べる。

休憩スペースの無料サーバーで入れられる、熱いお茶の安っぽい味がよく合った。


車を更に走らせる。

勾配はどんどんきつくなり、窓の外のみぞれ混じりの雨は次第にはっきりとみぞれになり、白い雪がまじり始めた。


一時間ほど走って諏訪湖に近づく頃、みぞれは完全に雪になっていた。

以前来た時にはなかった「長野道」という緑看板が目に入った。

あれ?岡谷ってインターはあったけど、こんなのあったっけ?

どうやらこの長野道というので松本方面に行けるようだ。

一回生の冬に白馬までスキーに行ったときはここから国道19号で下道だったから、便利になったものだ。

見慣れないインターチェンジの看板が続く。

1時間も走って松本ICの看板まで来る頃には、道路が完全に白くなっていた。


「わー!!雪だー!!すごーい!!」


舞子が身を乗り出して声を上げる。

その無邪気さに救われるような気持ちになった。


だが、それに続いて心配そうな声で


「ハルくん、タイヤ大丈夫?チェーンとかいるんじゃないの?」


と言う。


「一応積んできてる。それに、滋賀県人やからな。ちょっとくらいなら全然大丈夫や」


笑って答えた。


だいたい、雪道で事故るやつは、「滑ったらどうしよう?」と思いながら運転しているやつで、そういうやつはいざ滑ったら何もできずに路肩に突っ込んでいく。

「雪道はそもそも滑る」という感覚で運転していれば、実際に滑っても対処できるし、そうそう事故ることもない。

実際僕は、この車でノーマルタイヤ・ノーチェーンで二十センチくらい積もった滋賀県の道なら平気で走っていた。

ただし、それ以上積もって完全に新雪になったり、アイスバーンになったら話は別だ。

そうなったらチェーンがないとさすがに無理だし、何より大雪で高速が通行止めになったらこっちの運転がどうであれどうしようもない。


「――まあ、舞子が横で『キャー!』とか言い出さん限りは大丈夫や」


そんなことを舞子に説明しながら走り、終点の「豊科」というインターに着いた。

ここで高速を降りよう。

確かこの豊科という地名には覚えがある。

安曇野のあたりで、山の方へ行けば展望台や穂高温泉郷もある。


高速を降りると、とっぷりと日も暮れてきて、道路はもう完全に真っ白だった。

僕はチェーン装着場を探して車を入れ、チェーンを巻いた。

チェーンは十分もあれば簡単に巻ける。


一回生の頃に、大層な大型四駆に乗った、自称アウトドア派の大阪在住の先輩とスキーに行ったとき、

僕が二本巻き終わった頃、先輩はまだ一本目の途中で、「うわ、これどうなってんねん!」と半泣きになっていた。


あの大型四駆、見た目だけやったんかい。



「雪やこんこん♪アラレやこんこん♪」


舞子は降り続く雪と、街灯やヘッドライトに照らされて白く輝く一面の雪景色に大喜びで歌を歌っている。


「舞子それな、正しいのは『こんこん』やなくて『こんこ』らしいで」


「うっそーん!?」


さて、約束通り雪の降るところまで来たはいいが、これからどうしたものか。

すっかり暗いから、展望台なんか行ってもほとんど何も見えない。

というか、予想以上に降り積もる雪で、そこまでのスカイラインが通行止めになっている可能性もある。

こうしている間にも、雪はしんしんと降り続けていた。


「舞子、これからどうする?すごい雪やけど」


「うん。この雪の風景見られるとこまで連れてきてくれただけで大満足だよ!どっか御飯食べられるとこ見つけて、京都戻るでもいいよ。疲れたらまた車の後ろで寝ながらさ」


「そりゃまたエラい『デンして帰る』やな。日帰りの距離ちゃうで」


僕は笑いながらそう答えて、帰りの時間を計算した。

今からご飯食べるとこ見つけてゆっくり食事して、出発するのが八時として、雪で多少ノロノロ運転になって、京都は深夜三時頃か。

車にはクッションと毛布を積んできてるから、舞子はそこで寝ててもらえばいいか。


「舞子、明日の朝はバイトは?」


「年内は、あとは大晦日と、年明けて三が日に入る以外は休みだよ」


なら、舞子の睡眠時間の心配も要らない、と。


「ほな、そうしよか」


そう言って車に乗り、国道沿いならなにかあるかと147号線を走り出したとき、ふと高速道路情報の電光掲示板が目に入った。

フロントガラスに当たる雪の音が、さっきまでより重くなった気がした。


『雪のため通行止。長野道 豊科IC~岡谷JCT 中央道 諏訪IC~伊那IC』


え。


てことは、来る時に降ってたみぞれが、僕達が通り過ぎた後で雪になって、ずーっと降り続いてたってことか。

この勢いで二時間近くも降り続けていたとしたら、まあそれなりの積雪量だろう。


胸の奥で、ゆっくり冷たいものが落ちていく。


「舞子、マズい。…帰られへんわ。」


言いながら、自分でも声が少し震えたのがわかった。


車のフロントガラスに、絶え間なく降りしきる雪が次々と張り付いていく。

ワイパーを動かしても、すぐに白に塗りつぶされてしまう。


——今夜は、予定していた帰り道ごと、雪に呑まれてしまった。


僕はハンドルを握りしめながら、

この“白い夜”を舞子とどう越えるかを、静かに考えはじめていた。

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