第60回 狂乱の夜
順番を変わって先に演奏したピンキーパールは、本当に上手かった。
ナンバーは、どれもオールドブルース。
十二小節スリーコードの中を自在に歩き回るベースに日常感を引き剥がされ、ギターのブルーノートに痺れ、ドラムのものすごい位置からのフィルに泣かされ、圧倒的なパワーボーカルに心が震えた。
「なあ、俺ら、こんな人らのあとにやってええんか?」
「やるしかないやろ…」
「せやな…」
僕達はどんどん緊張していった。
僕は、横にいるはずの舞子のことも忘れていた。
そしてついに──僕達の初めてのライブがはじまった。
「うぉーーーー!!!!」
会場は既に、ここまでの三バンドが温めるだけ温めてくれていたので最初っから最高潮だ。
コウジの軽快なカッティングから曲が始まった。
一曲目から、客席は一気に跳ねた。
サビに入ると、会場中から「WOWWOW!」の声が返ってくる。
よし、イケる。
四人とも、たぶん同じことを思った。
手拍子と歓声がどんどん大きくなっていった。
アップテンポ三連発で入り、盛り上がったところでニシケンがドラムから立ち上がって傍らに置いたカホンに座った。
タカトモがカズーを吹く。
打って変わって、チャカポコというコミカルな音になる。
それでも、会場のテンションは下がらない。
客席は、曲名を告げた瞬間から待ってましたとばかりに歌い出した。
いやいや、この曲、そんな大合唱する曲だったか?
次は、コウジとニシケンは休みで、僕がベースからアコースティックギターに持ち替える。
D G#m7/D G Bm/F#
独特のアルペジオに、静かにタカトモのハーモニカが絡んできた。
橋の下を歌う、あの曲だ。
さすがに、騒ぎは収まって、みんな聴き入ってくれている。
ハモリも成功した。
エンディングに向けてどんどんアッチェルがかかって、手拍子が戻って来る。
「ヘイ!」
最後の一音に雄叫びを上げると、またもや「うぉおお!」と歓声が上がる。
気持ちいい。
(舞子、どんな顔してるかな?)
ふとそう思って客席に目をやったが、その視線は盛り上がって立ち上がった客の歓声にかき消された。
ニシケンがドラムに戻り、さらにバラードが続く。
「ヒッピーに捧ぐ」から「スローバラード」へ。
熱気をはらんだ沈黙にも、手応えを感じる。
その熱気は、あのアホな曲で爆発した。
客席が、下品なサビを全力で叫ぶ。
大合唱だ。
セットリストを演奏し終えると、時間は零時前。
あ、舞子のたこ焼き。
そう思い出して客席に目をやったが、舞子の姿が見当たらない。
トイレにでも行ってるんだろうか。
まあ、零時ピッタリじゃなくて少しくらい遅れても舞子なら許してくれるだろう。
「すごかったね」
そう言って笑いながらたこ焼きを食べるはずだ。
おかわりだってするかも知れない。
自販機でオレンジジュースも買っておかなきゃ。
そんな事を考えながら、目の端に、客席に戻って来る舞子の姿が見えた気がした。
とその時、
「おい!ハルヒト!!!」
耳元でタカトモが叫んだ。
舞子とのたこ焼き妄想から我に返ると、店内は手拍子と「アンコール」の声で埋め尽くされていた。
「ありがとうございます!」
タカトモの声に、キーンというマイクのハウる音が被る。
「では、アンコールにお答えして、いきます!『雨あがりの夜空に』!」
大歓声が上がり、コウジのギターが歪んだストロークを刻む。
ニシケンのドラムがフィルで入る。
タカトモのハーモニカと一緒に、僕もベースを弾き始めた。
イントロの時点で、客席はもう歌う準備ができていた。
大合唱の中、一番が終わるくらいのタイミングで、客席から大きなどよめきと歓声と口笛が聞こえた。
反射的に、舞子の顔を探した。
でも、照明と人の頭と、上がりきった歓声の中で、どこにも見つけられなかった。
目をやるとそこには……
極彩色のニットビスチェに、アーミー柄のマイクロミニスカート。
肩もへそも脚も出した格好で、踊りながらステージに向かってくる女性がいた。
これは…
ユリカだ。
いつ来たんだ?
その格好は、ほとんど裸みたいなものだった。
動揺しつつもベースを弾いているからその場を動けない僕の方にユリカが近づいてくる。
手には、ショットグラス。
まさか。
「ハル~♪」
ユリカはそう叫ぶとステージに上ってきて、僕の首に後ろから手を絡みつかせた。
そう。
そのまさかだった。
手に持ったショットグラスの中身を一気に自分の口に含むと、
そのまま僕にキスをして、テキーラを流し込んできた。
「「「「「「「「うわあああああ!!!!!!!!」」」」」」」」
今日最大の歓声が上がった。
なんてことするんだ。
僕が手を離せないのにつけ込んで。
客席を見た。
舞子を探した。
けれど、やっぱり見つからなかった。
と、また客席の、今度は反対側から大きな歓声が上がった。
肩紐の細い赤いスリップドレスの女が、これまた腰を振って踊りながらステージに向かって来た。
片方の肩紐が、ずり落ちかけている。
え。
今度は。
香織だー!!!
なんてことだ。
こいつも来てたなんて。
なんで知ってるんだ!?
いつからいたんだ!?
ユリカが絡みついたままの僕の方に向かってくる香織の手には、
ワイルドターキーのボトルが握られていた。
まさかこいつも…
そう思う暇もなく、香織もステージの前でバーボンをラッパ飲みして、
そのまま僕にキスをして口に流し込んだ。
もちろんまた大歓声。
そんな騒ぎをよそに、曲は進む。
サビに入ると、客席はほとんど叫び声になった。
歌の言葉に合わせて、下品なヤジが飛ぶ。
僕のベースや、ユリカと香織の動きに絡めた、どうしようもない声ばかりだ。
笑いと歓声と口笛が、曲の勢いに乗ってさらに膨れ上がっていく。
ユリカと香織は、何度も酒を口に含んでは、僕に絡んできた。
客たちはますます盛り上がる。
二人は、両側から僕の頬にキスをしていた。
どんどん回ってくる酒を感じながら、何とか最後まで演奏し終わった時には、
心拍が上がっていたこともあって僕はもうヘロヘロだった。
舞子。
たこ焼きに行かなきゃ。
零時は、もう過ぎている。
「舞子……どこ……?」
胸の奥に、さっきまでなかった冷たい穴があいた。
ぼやけていく意識の中で、舞子を探した。
でも、どこにもいない。
「この辺に、ポニーテールの小柄な女の子いなかった?」
「デニムの短パンはいた、小柄な女の子は!?」
客たちに聞いて回るが、みんな僕を冷やかすばかりで舞子は全然見つからない。
「舞子~?どこ~?」
ぶっ倒れそうになりながら舞子を探していると、客席の反対側で
「ガシャーン!」
というグラスの割れる音がして、
「やめろ!」
という怒声が聞こえてきた。
何かとそちらを見ると、
ユリカと香織が、あの甲高い声と、酒焼けしたハスキーな声でなにやら罵り合っている。
もう何が何だかわからない。
僕はどんどん回る酒に意識が飛びそうになりながら、二人のところに向かった。
「ハル! あんた、このおばさんと帰るの!? もちろん私だよね!?」
「何やて!? この露出狂の鶏ガラ女! ハルヒトは私んとこ来んねん!」
もう収拾がつくとは思えない。
またつかみ合いになりそうな間に割って入って、朦朧とした意識の中でやっと僕が言ったセリフは、何とも情けないものだった。
「ジャンケンで決めて……」
周りの野次馬から、どっと笑いが起きた。
その笑い声の中で、自分がどこまで情けない人間なのか、少しだけ分かった気がした。




