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第52回 山中越ナイト・カオス

「はい、二百円」


舞子が琵琶湖大橋の手前でコインホルダーから硬貨を渡してくれた。

すっかり滋賀の道にも慣れたようだ。


鮎のコースをお腹いっぱい堪能した帰り道、僕はちょっとしたサプライズを考えついた。


「舞子、今日はちょっと違う道通って帰ろか」


「え?うん。いいよ。でもどうしたの?」


「いやまあ、たまにはな」


僕はそう言って、琵琶湖大橋を渡ると左折して国道161号線に入った。


「あ、この前お魚の飴炊きたくさん買った平和堂だ」


舞子が助手席で脚をブラブラさせながら言った。


「うん、今日はもう寄らんでええやろ」


「そうだねー。琵琶湖のお魚いっぱい食べたもんね」


「このままこの国道で結構走っていくな」


「どこ行くの?」


「内緒」


そう言って僕は車を南に向けて走らせた。

雄琴のいかがわしいネオン街を通り抜け、日吉神社への曲がり道も通り過ぎ、鶴喜そばの辺りまで来た時、舞子が


「あ!こんなとこに天下一品!」


と指さした。

帰省してきた時はよくタツヤと行く店だ。

堅田にも一軒あるのだが、どう考えてもこちらの唐崎店の方が美味い。

同じチェーンなのに不思議なものだ。


陸自を過ぎると、すぐに目印の柳が崎の交差点が現れる。

右折し、京阪の踏切を越えて近江神宮の鳥居でカクンとズレて京都方面への案内看板に従って山の方へ向かうと、住宅地を抜けてバイパスとの分岐。

バイパスには入らずに、「京都・比叡山」方面に進んでいく。

すると道は山を登り始め、すぐにクネクネ道になった。


「この道初めてだねー」


舞子が言う。


「うん。山中越って言うてな、滋賀県と京都を結ぶ道は、大雑把に言うたら、いつもの大原抜ける途中越と、この前通った一六一バイパス、蝉丸で有名な逢坂山越える国道一号線、あとは名神高速と、この山中越しかないねん。」


「へー。どうして今日はこの山中越?なの?」


「この先にな…」


まで言った時、後ろの方からレーシングカーみたいな爆音が聞こえてきた。

爆音はものすごい勢いで近づいてきて、あっという間に白いヘッドランプが迫ってくる。

しかも一台ではなく、三、四台はいそうな音と光だ。


パッパッとパッシングが飛んでくる。


「あ!しもた!今日、日曜と違ごて金曜やん!」


「どうしたの!?」


「走り屋!ヤバい!」


この山中越は、普段は普通の山道なのだが、週末になると、京都・滋賀中の走り屋が、腕を磨きに、あるいは腕を披露しに集まってくるスポットだと聞いたことがある。

六甲や阪奈道路と並ぶ走り屋スポットらしい。

彼らはコーナーごとに大きく車体を振り回してドリフトで走りぬけていくという。

僕の車みたいな、アウトドア仕様のステーションワゴンなんか、彼らにしたら迷惑でしかないだろう。


僕は今日が祝日で金曜日だと言うのに、なぜかすっかり日曜日だと勘違いしていた。

この先に展望台があって、琵琶湖を背にした大津の夜景を舞子に見せようと思って、この道を選んだのだ。


ヘッドランプはピッタリ後ろに張り付いている。


「わーごめんごめん!」


聞こえるわけもないのだが、僕は謝った。

道は狭く、車を寄せて停まってやり過ごすスペースもなければ、ブラインドコーナーが続いて、抜いていってもらうようなポイントもない。


「え?え?これどうするの?」


「どうするもこうするも、これ以上スピードなんかよう出さんし」


「どこか停めて避けられるとこないの?」


そうだ。

彼らにもうちょっとだけ我慢してもらえば、そもそも舞子を連れて行こうと思っていた展望台の駐車場がある。

あそこに入ってしまえばやり過ごせるじゃないか。

確か、次の急な左から右へのS字カーブを曲がれば…


「「わー!!!!」」


舞子と同時に叫んだ。


その駐車場の前には、ものすごい数の人がひしめき合っていた。

みんな、期待に満ちた目でこっちを見ている。

が、そこに現れた僕の車が、車を横にして走り抜けるトレノやワンダーシビックではなく、屋根にキャリアを積んでトコトコとカーブを曲がるカリブだとわかると、一斉にため息とブーイングが飛んだ。

本当にごめん、と思った。


なんとか人の隙間をかき分けて駐車場に入る。

よく見れば、駐車場の前はすごいヘアピンカーブじゃないか。

どうやらここが、一番の見せ場のコーナーらしい。

僕のすぐ後ろにつけていた何台かの走り屋は、申し訳ないがゆっくりとヘアピンを曲がっていった。

みんな、地面に擦らないのが不思議なくらい車高が低かった。


「ちょっと降りてみる?手つなぐから、絶対に離れないように」


「分かった」


そう言って車を降り、舞子の手を引いて駐車場の入口あたりの人混みの方に行くと、すぐにまた下の方から爆音が聞こえてきた。

タイヤの軋む音が激しく聞こえる。


白いスターレットが闇の中から進行方向とはぜんぜん違う向きに頭を向けて、斜めにヘアピンに入ってくる。

路肩ギリギリをかすめて、お尻を振りながらすっ飛んでいった。

歓声が上がっていた。


さて、この状況はどうしたものか?

このまま京都方面に走っていきたいのだが、どう考えても次々にやってくる走り屋にパッシングしまくられることは間違いない。

いや、下手をしたら突っ込まれて事故に巻き込まれるかもしれない。

とはいえ、こんな物騒なところで舞子と朝まで過ごすわけにもいかない。

目の前のヘアピンでは、次々とドリフトショーが繰り広げられていた。


「ハルくん、どうしよう…」


舞子が不安そうに呟いたその時、滋賀県側の下の方に赤い光がチラチラしながら動くのが見えた。

やがて聞こえてきたサイレンに、観客がざわめく。

車はサイレンと一緒に何かスピーカーで叫んでいた。


「暴走行為は犯罪です。すぐに解散しなさい!」


はっきりそう聞き取れるまでパトカーが駐車場に近づいてくる前に、ギャラリー達は蜘蛛の子を散らすように各々の車に乗って去っていく。


僕達も慌てて車に飛び乗り、京都方面に向けて発進した。

もう夜景を見せるどころではなかった。


「舞子、ごめんな。危ない目に合わせてしもて。ホンマはここから夜景見せたかってんけど、そんなんどころやなくなってしもた」


「あー、びっくりした。でも面白かった。なかなかできない体験だよ、これは」


舞子が笑う。

僕も釣られて笑った。


山中越で府県境の山を越え、北白川に降りた時には、もう日付が変わっていた。


「もうアパートそこやから」


そう言って僕は右折して今出川通に入った。

もう大丈夫だったはずの右肩が、焦って山道を走ったせいでズキズキと痛んだ。


◇    ◇    ◇    ◇


「ほらな!?だから言うたんやんけ!」


電話の向こうでタカトモが大声を上げた。

でも、怒っているようでなぜか声は笑っている。


「いやホンマごめん!」


「明日まだベース弾くのは無理やねんな?」


「うん。運転とか普通の日常生活は問題ないんやけど、あの重い楽器肩から下げて演奏するのは無理やな」


「わかった。しゃあない。明日の練習は中止や。キャンセル代払えよ?ほんで、次の日曜日にやるから、これは絶対に来いよ!」


そう言ってタカトモは電話を切った。

やっぱり笑っていた。

なんでや。


◇    ◇    ◇    ◇


「ハルくん、明日バンドの練習なくなったの?」


昨夜あんな事があって遅くなったのに、舞子はちゃんと早朝から起きてホテルのモーニングのバイトに行って帰ってきた。

大したものだ。


「うん。ちょっと無理やな。ベース重いし」


「そっかー。じゃあ、予定なくなっちゃったね」


「うん。せやな…どっか行く?」


「うーん……遠くは昨日滋賀県行ったし、美味しい琵琶湖の幸食べて、レース見物までしたし……あ、そうだ!」


「ん?」


「ハルくん、自転車は乗れる?」


「ああ、それくらいなら問題ないと思うで。曲芸とかせんかったら」


「誰が曲芸しろって言ったの。んとね、今日バイト先のお姉さんに聞いたんだけど、最近京都にレンタサイクルっていうのができてきて、それ借りてお寺とか神社とか回るのが新しいんだって。」


「レンタサイクル?」


「うん、レンタル自転車のこと。」


「なるほどなあ。京都、JRは京都駅だけやし、横の阪急と、縦の京阪と地下鉄しな。バスは、住んでへんかったらめっちゃややこしいし。ええやん。自転車」


「でしょ?それでね、ハルくんも私も自転車は持ってるからレンタルはしなくていいけど、明日の日曜日、自転車で色々回らない?」


「色々?」


「うん。私京都住んでもう八ヶ月くらい経ってるのに、銀閣寺は湯豆腐の時行ったけど、清水寺も三十三間堂も金閣寺も二条城も行ってないんだよ。八坂神社も前通っただけだし。ラーメン屋と定食屋は詳しくなったけど」


「それは悪かった」


舞子が笑う。


「だからね、明日そんなのやろうよ。龍安寺の石庭とかも観てみたいし。」


「ええな。ただ、僕も実は京都三年住んで、そういう観光地ていうか、お寺とかあんまり何がどこにあるかちゃんとした場所知らんねん。何となくは分かるんやけど」


「そっか。じゃあ、地図とか観光情報とか載ってる本、買った方がいいかな?」


「『るるぶ』やな」


「じゃあ、それ買いに行こうよ!」


「よし、明日の自転車寺社めぐりの前に、河原町の駸々堂まで自転車や!」



僕達はそれぞれの自転車にまたがり、賀茂大橋を渡って河原町に出た。

鴨川デルタから吹く風は、もうすっかり涼しくなっていた。

かすかに金木犀の匂いが混じっている。


秋だった。

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