第44回 潜水艦と謎のあかもく丼
白浜の海沿いの道を北に向かうと、やがて国道42号線に合流した。
地図によると、ほとんどずーっと海沿いを走れるらしい。
「すごいねー」
左側にずっと続く青い海。
変わった形をした岩や小さな島が次々と現れては消える。
舞子はサイドウィンドウに両手と顔をつけてずっと景色を見ていた。
「この、次々出てくる変わった形の岩って、どうしてできたんだろうね」
「さあ、波の侵食?とか?いや、よう知らんけど」
よう知らんけど、とにかく素晴らしい景色の連続だった。
やがて車は一旦海岸線から離れ、すぐにまた海の見える町に出た。
「由良港」
そう書いてある看板に惹かれて、ハンドルを切る。
「舞子、港があるんやって。ちょっと見ていこう」
「うん」
港へはすぐに出た。
そこは、僕が知っている港とはなんだか違った。
造船所のような大きな建物がある。
なんだろう?
そう思いながら、港の形に沿って車を走らせていると、突然舞子が叫んだ。
「ハルくんハルくん!あれ何!?」
ブレーキを踏んで舞子の指差す方を見る。
普段見る船とは違う、真っ黒な物体が港に入ってきていた。
ゆっくりと進むその物体は、上部がつるんと丸く、そこに縦長の円筒が突き出している。
その円筒の両側には、水平に小さな羽がついていた。
黒い船体の表面は、海面の反射で鈍く光っていた。
ただの“船”ではなく、“生き物”がゆっくり呼吸しながら港に入ってくるように見えた。
これは…子供の頃図鑑で見たことがある。
「潜水艦や…」
「え?潜水艦って、あの、海に潜って魚雷打つやつ!?」
「んー、魚雷打つかどうかは分からんけど、とにかくその海に潜るやつや!」
「えー!!初めて見たよ!すごい!!!
「うん!すごい迫力やな!」
僕も舞子も大興奮だ。
こんなとこで潜水艦が見られるなんて。
ワーワー言いながらそのまま車を進めると、気になる看板が目に入った。
「海鮮ランチ」
「漁師風あかもく丼」
ブレーキを踏む。
そう言えばお腹も空いてきた。
海鮮は絶対に美味いだろう。
ていうか、「あかもく」ってなんだ?
「な、舞子、ここでごはん食べていかへん?海鮮、絶対美味しいし!」
そういうと、舞子の顔が一瞬曇ったように見えた。
酢豚の時、ハンバーグの時、冷やし中華の時、何度か見た表情だ。
「もしかして、お刺身も苦手?とか?」
と訊くと、舞子はぱっと笑顔になり
「ううん!そんなことないよ!食べよ!でも『あかもく』ってなんだろね?」
と答えたので、駐車場に車を入れた。
看板が出ていたのは、飲食店というより、古い旅館の一角だった。
右側は宿のフロント、左側に食堂に入るドアがある。
「こんにちは、まだランチいけますか?」
「大丈夫ですよ。いらっしゃいませ」
感じの良い店員のお姉さんが答えてくれた。
窓際のテーブルに座ってメニューを見る。
・あかもく丼
・おつくり定食
・あかもく丼おつくり定食
……やはり謎のあかもく推しだ。
「すみません、この『あかもく』ってどういうものですか?」
お姉さんに訊く。
「はい、あかもくはですね──」
お姉さんはにこやかに言いながら、手元のメニューを指さした。
「海藻の一種で、細かく刻むとすごく粘りが出るんです。めかぶみたいなぬめりもあるんですけど、もう少しシャキッとした歯ごたえがあります」
「なるほど……」
「うちは最近、それを丼にして出してるんです。ご飯の上に刻んだあかもくと釜揚げしらす、オクラ、それに生卵をのせて。おつくり定食は、そこに今日のお刺身と魚のお吸い物が付きます」
「へぇー」
「……じゃあ、あかもく丼おつくり定食、ひとつください」
僕が注文すると、
「私もそれで」
と舞子も同じものを頼んだ。
「はい、ありがとうございます。お待ち下さい」
お姉さんはそう言って、すっと厨房に戻っていった。
再びメニューを見ながら、舞子がつぶやいた。
「ねえ、こういう時ってさ、『推してるもの』を頼むのが正解な気がするよね」
「まあ、名物って書いてあるしな」
「うん。“ご当地の謎の推しメニュー”に素直に乗っかるって、大事だと思う」
頷く僕の前で、舞子はもうお箸を手に取って待機していた。
「おまたせしました。」
「わあ!」
やってきたあかもく丼おつくり定食は、見るに豪華なものだった。
お盆の上に所狭しと、おつくりのお皿、お吸い物の椀、生卵、お漬物、そしてどどーんと噂のあかもく丼。
たっぷりの釜揚げしらす、手前にある深い緑色のがたぶんあかもくだな。
その上に、何やら黄色いペースト状のものが乗っている。
なんだこれは?からし?ではない。
ふんわりと鰹節も盛られている。
その横の椀を開けると、なんとも言えない魚の出汁の香り。
「生卵を丼の上に割って、お醤油かけて、全部をよく混ぜて食べてください」
お姉さんが説明してくれる。
「あの、この黄色いのは何ですか?」
「ああ、それはうちで作ってる八朔胡椒です。八朔の皮と青唐辛子をすりおろして、果汁と塩を少し混ぜたものなんです。柚子胡椒の八朔版みたいな感じですね。爽やかでピリッとして、美味しいですよ」
「あ、香川で柚子胡椒ってあったんですけど、それと…」
「はい、それのはっさく版ですね」
なるほど。
で、このお吸い物とお刺身は?
「おつくりは、和歌山で上がったビンチョウマグロ。このへんではトンボシビって呼んでます。それと、そのトンボシビの漬けと、タイです。お吸い物は、お刺身に使ったタイのアラですね。」
「ありがとうございます!美味しそうです!」
「どうぞごゆっくり」
「「はい!いただきまーす!」」
僕と舞子は教わったとおりに卵を割り入れ、醤油をかけ、添えられた赤いさじで丼を混ぜ始めた。
あかもくがネバネバと糸を引く。
待ち切れない心を押さえて、全部をよく混ぜて────
「!!!!!!!」
僕も舞子もひとくち食べて目を見開いた。
美味い!
柔らかな釜揚げしらすと、あかもくとオクラのネバネバが一体となってごはんを包み込み、そこに醤油と鰹節。
初めて食べる美味しさだ。
とんでもなく美味い。
舞子も早くも無言でほっぺたを膨らませている。
お吸い物を一口。
これまた潮の香りと鯛の香りが一体となって、深く滋味深い味だ。
お次はこのトンボシビとやらのお刺身を…
「「なにこれ!!!!」」
同じくお刺身を口に入れた舞子と僕は、これまた同時に同じ声が出た。
こんなお刺身食べたことがない。
濃い旨味と、わずかな酸味、しつこくない脂の味。
山葵の香りも爽やかに、感動すら覚える美味さだ。
更には胡麻を振った漬けの味わい深いこと。
鯛は言わずもがな、やはり魚の王様だ。
もう箸が止まるわけがない。
僕も舞子も、もはや一言も喋らず一心不乱に食べ続けた。
◇ ◇ ◇ ◇
「はあ~、すごかった…」
助手席で舞子が言う。
僕もさっきの余韻でまだ幸せいっぱいな気分だ。
「実はね、ハルくんが言った通り、私、お刺身も」
「嫌いやったん?」
「嫌いっていうか、美味しいって思った事なかったの。なんか生臭くてグニュグニュしてて気持ち悪くて。だからお寿司も、玉子ときゅうりしか食べるものなくて」
「で、またもやそれが覆ったんやろ?」
「うん。お刺身ってこんなに美味しいものだったんだね。あと、あの…」
「「あかもく!」」
同時に声に出して、大笑いした。
いつもにもまして、よく笑った二日間だった。
やがて車は有田に着いた。
ここからは高速道路に乗って、阪和自動車道から近畿自動車道、名神高速道路と乗り継げば京都まで帰れる。
僕はタバコに火を点けて、さっき買った缶コーヒーの蓋を開けた。
最近は、蓋が缶から外れないタイプが出てきていて、片手でも開けられる。──こういうのがもっと増えたらいいのにと思う。
海沿いを離れた途端、窓の外の夏が一段静かになった。
段々と空が夕暮れ色になっていく高速道路、ふと助手席を見ると、舞子が寝息を立てていた。
おでこにかかった前髪が、エアコンの風に揺れている。
カーステレオからは、ハウンドドッグの「ラストシーン」が流れていた。
白浜の海が、バックミラーの奥で少しずつ遠ざかっていく。
曲のタイトルどおり、ひとつの夏の場面が終わっていくような気がした。




