第43回 サスペンス劇場と海辺の温泉
最初の目的地は、断崖絶壁だった。
ホテルのフロントの人に教えてもらった近くの絶景スポットだ。
海沿いの道を南に向かい、旅館・ホテル街を通り抜けると、すぐに看板が出てきた。
「三段壁 P」
そう書かれた駐車場に車を停め、案内板に従って海の方へ歩く。
歩道は、両側に屋台のようなお店が所狭しと軒を並べ、香ばしいいい匂いが漂っている。
「ね、ハルくんハルくん、イカ焼きだって!私、この前香川でゲソ天食べてから、大好きになったんだよ、イカ!」
「よしよし、買ってあげよう」
香ばしく焦げた醤油の匂いがする串をおじさんから受け取って、舞子に渡す。
隣の店の焼き貝も食べさせてみよう。
そう思って僕は、ぱかっと口を開いて醤油まじりの汁がクツクツしている大アサリ焼きも買った。
「はい、舞子。」
「へ?こへなに?」
焼きイカを頬張りながら舞子が言う。
「大アサリ。は、あーん」
そう言って白いトレイの上の貝の身を、串で突き刺して舞子の口に運ぶ。
「わ!!こへもおいひい!!!でもあちゅい!!!」
ハフハフ。
「もう!私猫舌だって言ったよね!?」
「ごめんごめん、でも美味しかったやろ?」
「うん。貝が美味しいなんて初めて思った!あ、とうもろこし!」
今度はとうもろこしを焼いている店先に舞子が走っていく。
もうすっかりお祭り状態だ。
トレイの焼きとうもろこしを持って歩く。
焦げた醤油の匂いが、潮風にゆっくり薄まっていく。
屋台の並ぶ通りを抜けると、ふっと風の温度が変わった。
その先に、海があった。
「わ」
突き当りの展望スポットまで行くと、景色が一変した。
真っ青な海に突き出す、荒々しい断崖絶壁が左右に延びている。
熊野水軍が船を隠した洞窟があると看板に書いていた。
「ね、なんかここも、この前の南禅寺の煉瓦のとこと同じで、おばあちゃんと観たサスペンスドラマで見たことある気がする!」
頭の中で、あの不穏な効果音が勝手に鳴った。
「そうなん?」
「ん?でも…なんか違う…犯人が追い詰められて自白する崖は、似てるけどもっと暗くて荒々しかった気がする。ここはなんか、のんびりして陽気な感じが…」
舞子が首をひねる
「それは東尋坊やな、お嬢ちゃん」
僕たちの隣で海を見ていたご夫婦のお母さんが、にこにこしながら声をかけてくれた。
「サスペンス劇場やろ? 犯人が追い詰められて自白するんは、だいたい東尋坊や。あっちは北陸の日本海、こっちは南紀白浜の太平洋。でも、ようその雰囲気の違い分かったね」
なるほど。
「そうなんですねー。ありがとうございます!」
舞子がペコリと頭を下げた。
「ほなお嬢ちゃん、ゆっくりね」
そう言って御夫婦は帰っていった。
僕は遠くの青い海を見ていた。
陽気な太平洋。
悪くない。
舞子は
「色んなとこにいるんだね、犯人」
と言いながら焼きとうもろこしをかじっている。
「さ、ほなそろそろ行こか」
「ん?次はどこ行くの?」
「お風呂。さっきフロントの人に、ここの近くにある歴史ある絶景のお風呂っていうの教えてもろたねん。無料やって」
「へー」
「なんでも、海に突き出てる岩のとこに温泉が湧いてて、そこに海の水が入ってきて混ざって、それで適温になるようなことらしいで」
「うわ!すごいねそれ!楽しみ」
僕達は、再び焦げた醤油の匂いの中を歩いて車に戻った。
さらば火曜サスペンス。
教えてもらった海沿いの露天風呂まではあっという間だった。
今来た道を戻り、「崎の湯」という案内に沿ってぐっと鋭角に折れて海の方へ。
「ここ?」
確かにそこに、脱衣所らしきものはある。
「男」「女」という扉も二つある。
でも。
「丸見えやん?」
そう。海に突き出したその温泉は、この場所から丸見えだった。
一応、男湯と女湯を仕切っているらしき葦簾は見えるが、女湯もその葦簾と岩の先端で目隠しになっているだけで、さっきからチラチラとおばあちゃんの肌が見え隠れしている。
「いいじゃん、私、気にしないよ?」
「いや、舞子が気にせんかっても、僕とか周りのおっちゃんとかが気にする」
いくら舞子が幼く見えるとはいっても、十六歳の女の子である。
本人が平気だと言っても、周りが平気で済ませていいわけではない。
これはいかん。
「あ、舞子、昨日の泳いでた浜のとこに、なんかすっごい古くてカッコいい建物で『ゆ』って書いてたことあったやん?あっこ行こ!」
「えーここでもいいのにー」
そういう舞子を車に乗せて、再び昨日のビーチの方へ。
「確か…この辺…」
見当をつけて左に入ると、あった!
建物の前に立った瞬間、「うわ、しぶ」と、思わず声が漏れた。
低い瓦屋根に、古い木製の看板で「白良湯」と書かれている。
外壁は漆喰のような白と濃いこげ茶の板張りで、どこか昔の旅館を思わせる雰囲気。
入り口には「ゆ」と染め抜かれた紫の暖簾がかかっていた。
飾り気のない、町の人たちに長く愛されてきたような“実用の湯”の佇まいがあった。
玄関の引き戸を開けて中に入ると、こぢんまりとした休憩スペースがあり、清潔で落ち着いた雰囲気だった。
入浴券を買って、浴室へ向かう。
大きな窓が三方をぐるりと囲むその浴室は、タイル張りの床が少し年季を感じさせながらも、丁寧に掃除されていて、ぬくもりのある清潔感があった。
何より感動したのは、湯船に体を沈めたときだ。
「あっつ……!」
思わず声が出た。
決して熱すぎるわけではない。ただ、昨日今日と日に焼けた肌に、その無色透明の湯がじんわりと染みていく感じがした。
同じ建物の反対側で、舞子もこの湯に浸かっている。
そう思うだけで、今日という日の価値が決まってしまう気がした。
窓の外には、松の木越しに白浜の海岸が見えた。はるか向こうに、さっきまで遊んでいた海が、小さく白い波を立てて寄せている。
「……これ、ええなあ」
古びた柱や、年季の入った湯船のタイルに、懐かしさと安心感を覚えた。
湯上がりに脱衣所で冷たい水を一杯飲むと、体の奥までふわりと熱が広がって、思わず「ふぅー……」と息が漏れる。
外に出ると、さっきまでよりも空が鮮やかに見えた。
「サイッコーだったね!」
舞子も程なく出てきた。
「でも、日焼けしてるから痛かったー!」
「うん。僕もや」
そう笑い合いながら再び車に乗り、出発する。
「舞子、ここからはずーっと海沿いの道で帰るで」
「わー!楽しみ!」
舞子の笑顔と真っ青な空と海。
白浜の匂いが、まだ髪にも服にも残っている。
僕はアクセルを踏んだ。




