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第42回 時間よ止まれ

「どうしたの?私の曲かけて」


マサキがビーチに持ってきたラジカセから、ラッツ&スターの「め組のひと」が流れ始めた時、更衣室から出てきたユリカが赤いビキニ姿で僕たちの陣地のビーチパラソルの下にやってきた。


夏の女が現れた、とでも言いたげなイントロだった。


「あれ?私の曲鳴ってるやん?」


今度はミナコが白いビキニでやってきた。なんなんだこいつらは。


とは言え、本人たちの自負の通り、この二人の注目度は確かに高かった。

アニメのキャラクターみたいな現実離れしたスタイルのユリカと、雑誌の夏号から抜け出してきたみたいなミナコ。

すれ違う男連中は、ほとんど例外なく振り返っている。


「もう、あんたらの後で出ていく私の立場は?」


そう笑いながら出てきたヨーコも派手な花柄のハイレグワンピースだ。

サクラだけは、焼けるのが嫌だ、肌を出すのは嫌だと言って、水着に着替えはしたものの、Tシャツと短パン姿のまま。


さらにその後ろから、パタパタと、ペンギンみたいな足取りで舞子がやってきた。


ユリカやミナコのように場をさらう華やかさではない。

けれど、白浜の光の中にちょこんと立つその姿は、妙に舞子らしかった。


空と海はどこまでも青く、砂浜は白く、水平線のはるか彼方には白い入道雲がもくもくと湧いていた。

どう見ても、文句のつけようのない夏だった。


僕たちは、水辺で水をかけ合い、水中メガネで潜り、浮き輪に仰向けで乗って波に揺られ、お互いを沈めあい、ビーチの砂に埋まり——まさに“夏の海のフルコース”を一つずつ消化していった。


僕は舞子をおんぶして、足が届くか届かないかのあたりまでゆっくり歩いて行き、足を滑らせて危うく二人まとめてひっくり返りかけたりもした。

足漕ぎ式の、大きなプラスチックのタイヤ型フィンが付いた水上自転車をタツヤとレンタルしてレースをして、遊泳区域外ギリギリまで行ってスピーカーで注意されたり。

海の家では、舞子と焼きそばとたこ焼きとかき氷を分け合って食べた。


若者が夏の海ですべきことを、僕たちは片っ端から全部やった。


午後になっても海と空はどこまでも夏らしく、入道雲はますます白く高く、ラジカセから流れてきた矢沢永吉の「時間よ止まれ」が、まるでこのシーンのために用意された映画音楽のようだった。


歌の中の太平洋みたいに、白浜の海まで青く燃えている気がした。


「そろそろホテル行こか」


誰かがそう言い出すのを誰もが待っていて誰も言い出せないままに、気がつけば時間は夕方五時になっていた。


「そろそろチェックインしないと」


やっと皆の踏ん切りを付けてくれたのは、今夜のホテルを手配してくれたユリカの言葉だった。


ホテルは、白い壁に南欧風の屋根瓦が載った会員制リゾートホテルだった。

ロビーには「選ばれし者の休日」というパンフレットが山積みされていて、従業員の制服もどこか高級感を漂わせていた。


「なにこのホテル……めっちゃええやん……」


と、タツヤが誰よりも感動しているのが少しおかしかった。


「お風呂、先入るやんな?」


海で疲れた僕たちは、広めの部屋、女性陣は四人部屋にそれぞれの荷物を置いた。

部屋のバルコニーからは、さっきまでいたビーチが小さく見下ろせた。


海の見える大浴場は、焼けた肌が痛くてお湯に浸かるのはなかなかに勇気がいったけど気持ち良かった。


晩ごはんは、さすが海の近くというだけあって鱧しゃぶ鍋だった。


盆に載せられた鱧は、骨切りされた白身が花弁のように折り重なり、照明の光を受けてほのかに透き通っている。

それを箸でつまんで、ぐつぐつと静かに湯気を上げる鍋にそっとくぐらせる。

身が、ふわっ、と一瞬で反り返り、まるで咲きかけの白い花がその場で開いたようになる。


それを氷水に落とすと、きゅっと身が締まり、表面に細かな冷気がまとわりつく。

梅肉をほんの少しのせて口に運ぶと——


……美味い。


淡白な白身のふくらみを、骨からとった出汁の旨味がじわっと押し上げ、そこに梅肉の酸味がすっと刺し色みたいに入る。

味に立体感があって、ひと噛みごとに香りが変わる。

夏の夜の空気まで、なんだか上等になった気がする。


「おいしい……!」


舞子がつぶやいた。

その横顔を見るだけで「この旅、来てよかった」と思える。


学生が食べる料理じゃない。

むしろ“学生のうちに味わっていいのか?”と心配になるくらいの贅沢だ。


このホテルを格安で手配してくれた香川の住職、ユリカのお父さんの顔が浮かぶ。

ありがたすぎて、思わず胸の前で手を合わせたくなる。


南無阿弥陀仏。



食後はもちろん、花火を持ってホテルの目の前の砂浜に戻った。

着火用のロウソクなんて気の利いたものは誰も用意してなかったから、ライターで直接火をつけて、今度はそれを別の花火に移して、となかなかに忙しい。


「はい、舞子」


僕は火をつけた花火を舞子に渡す。

夜の暗がりの中、花火の光に、日に焼けた舞子の顔がぼんやり浮かぶ。


「ハルヒトー!何しっぽりしとんねん!勝負やー!」


そう言うタツヤの手にはロケット花火の束が握られていた。


「受けて立とう!」


小学生の頃から繰り広げられてきた、僕とタツヤのロケット花火戦争の始まりだ。

戦争と言っても、お互いにロケット花火を水平撃ちするだけなのだが。


「うらりゃあああ!」


「うを!おらああ!!」


「いた!くそ!どりゃああ!!」


「あちあちあち!」


アホである。


舞子も一緒にキャーキャーいいながら逃げ回っている。


僕は、タツヤのロケット花火が舞子の方へ飛ばないように、ずっと舞子を背中側にかばいながら逃げ回った。

まるでラグビーのセービングのように。


「はあはあはあ。今日はこのへんにしといたろか」


「こっちのせりふや。ぜえぜえぜえ」


今まで一度たりとも決着の着いたことのない戦いは、今回も勝敗の定まらないままで終わった。

繰り返すが、アホである。


「舞子、線香花火」


そう言って僕は、隠しておいた線香花火を舞子に渡す。

2人で向かい合ってしゃがんだ。

火を付けると、ぱっぱっと頼りない光がオレンジ色の玉から飛び出す。


「揺らしたらあかんで」


「うん…きれいだね」


「そうやな」


「あ、落ちそう」


「ははは」


笑った拍子に僕の火玉が先に落ちた。

舞子も笑う。


穏やかな夏の夜だった。


ホテルの部屋に戻ると、大部屋に男女集まって酒盛りを始めた他のメンバー達には悪いけど、僕は先に寝ることにした。

僕は旅行でも合宿でもいつもそうなのだが、夜は一番に寝てしまう。

そして朝は一番に起きて、まだ静かな見知らぬ朝を楽しむのが好きだ。


布団に横になると、あっという間に眠りの帳が降りてきて、一番深いところまで一気に落ちていった。

少し離れた隣の布団では、僕よりも先に寝てしまった舞子が、すーすーと寝息を立てている。


◇    ◇    ◇    ◇


次の日も朝から快晴だった。

僕が舞子と朝の海岸散歩から帰ってきて、ロビーの喫茶店でアイスコーヒーと、舞子がミルクティを飲んでいると、皆が朝食に降りてきた。


夕食に比べたらなんてことのないごく普通の朝食バイキングを食べ終えて部屋に戻り、水着に着替えた。

まだ朝八時だが、早めに海に出てチェックアウトの十時まで少しでも長く海で遊びたかった。


そんなわけで、また朝から海を堪能しまくっていると、あっという間に十時になる。

僕達はチェックアウトを済ませ、ホテルから出た。


「よろしかったらお車は、チェックアウト後もお帰りになるまでお停めいただいていても差し支えございませんが?」


品の良い初老のフロントの人がそう言ってくれた。

そんなことまでしてくれるのか。

ありがとう、親鸞聖人。


タツヤ達は、好意に甘えさせてもらって午後までまだ遊ぶという。


と、玄関前の車寄せに一台の車がリトラクタブルライトをパカパカっと点滅させながら滑り込んできた。

真っ赤なプレリュード。


「ユリカさん、来たよ」


祇園祭の時にあった、あの阪大だかのメガネの彼氏だった。


「ごっめーん!私、彼と帰るわ!もう私の水着姿見られないのは残念だけど、ちょっと行きたいところあるから!」


そう言ってユリカは助手席に乗り込むと、窓を開けて大きく手を振りながら走り去った。

皆がポカーンとしている。


嵐みたいに来て、嵐みたいに去る。

本当に、最後までユリカだった。


「ユリカさんってほんとすごいね」


舞子の声に、全員が大きく頷いた。


「あ、ごめんけど」


僕も皆に話しかけた。


「僕らもここで解散するわ。のんびり海岸線回って帰りたいから、みんなは楽しんで!」


そう言うと、


「ま、お前はそういうやつやわな、前から」


「個人プレー大好きハルヒトやもんな」


「中田くん、ありがとうねー色々セッティングしてくれて」


と口々に、概ね好意的にそう言ってくれた。


「ほな、舞子、行こか」


「みなさん、ありがとうございました!」


ぺこりと頭を下げて舞子が助手席に乗る。

僕も運転席に乗り込み、みんなに手を振ってアクセルを踏んだ。


白いホテルが、バックミラーの中でゆっくりと遠ざかっていった。

その向こうで、まだ夏の海が光っていた。

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