第16回 青春、体に悪っ!
「あと、何軒?」
三条の小川珈琲で、紙ナプキンに地図を描き散らかしていた舞子が、顔だけこちらを向けて言った。
「……え?」
「定食屋だよ、定食屋。掲載するの、十軒でしょ? 今、どこまでいったっけ?」
僕はコーヒーカップを持ったまま、視線を泳がせた。
「……四軒」
「少なっ!!」
「いや、四軒は確定したってことやん。京大のハイライト、京産大の今井食堂、立命のだるまや食堂、それに──」
「グリルアローン! 私が見つけたオムライスのとこ!」
「それそれ。五百八十円でごはん二合。死ぬかと思った」
「あれは、マスターが『お二人で一つにした方が良いですよ』って言ってくれて助かったね」
「ほんまに。舞子はオレンジジュースだけで済んだし、しかもデカいだけじゃなくて、ちゃんと美味かった。あそこは決定や」
「でも、まだ四軒かぁ……あと六軒も……」
◇ ◇ ◇ ◇
ことの始まりは、昨夜だった。
ミニコミ誌の企画を舞子に手伝ってほしいと話したあと、僕は彼女を助手席に乗せ、北野白梅町のバイト先へ向かった。
「バイト先行ってどうするの?」
「うん、色んな大学のやつらがいてるから、みんなの学校の近くで面白いとこ教えてもらえへんかと思てな。」
「なるほど~。あ、そしたらさ、私一軒気になってる店あるから、そこ知ってる人いたら訊いてみて」
舞子がバイト帰りに、いつも同じ川端通りからだと飽きてしまうからと寺町通を通った時に、市役所の横で見つけたという看板。
「オムライス大盛 五百八十円」
大盛には特に興味はないが、小さい頃からオムライスが大好きだったという舞子の目に留まったらしい。
ちょうどお昼時だったこともあり、若いサラリーマンや大学生風のガタイの良い男の子たちが行列を作っていたという。
「大学生の、特に男の子って大盛り好きでしょ?しかも安いし。」
なるほど。誰か知っているかもしれない。
僕は店の駐車場に車を入れ、舞子には車で待っているように言った。
うっかりまた誰かに見られて、苦しい言い訳をするのはゴメンだ。
その日は、タツヤをはじめ、京大、京産大、そしてもちろん立命のメンバーが入っていた。
裏口から入り、シフトに入っていない僕がロッカールームで待っていると、順番に休憩に入ってきたメンバーが口々に
「お、久しぶり」
「手伝っていけや」
「何してん?」
と声を掛ける。
僕はそれぞれの学校のメンバーに事情を説明し、おすすめの食堂をメモを取りながら聞き出していった。
「そらもう、『ハイライト』一択やな。ダブルチキンカツに飯大盛りにして昼飯にしたら、次の日の昼まで何にも食わんでも大丈夫や」
京大の裕ちゃんが言う。
立命の野口くんは、
「大盛やったら、ウチのだるまやも負けてへんで。しかも、ほとんどの定食が三百八十円で、毎日十種類以上から選べるねん」
「いやいや、お前ら大盛りしかないんかい!それよりも、今井食堂の鯖食うてみてくれ。あの店はもはや京都の文化財やで」
というのは京産大のタカトモだ。
こういうのは、実際にそこで食べてる人間の証言ほど確かなものはない。
この三軒は、とりあえず確定でいいだろう。もちろんあとで舞子と確かめには行くが。
「あ、あとな、市役所の横のアローンていう、大盛りオムライスが安い店誰か知ってる?」
「お!あそこか!」
声を上げたのは、バカ、もとい、タツヤだ。
「あそこの大盛りオムライスはすごいぞー。一人前でごはん二合や。しかもそれで五百八十円や!」
「また大盛りかい!お前らそれしかないんか!?」
タカトモが突っ込む。
「いやいや、味もめっちゃ美味いねんて!最初見た時、『こんな食えるか!』思たけど、美味くて夢中で食べてる内に完食してしまうねん。」
へー。ナイスだ、舞子。
「ただな。」
タツヤが続ける。
「その後、ダム女の女と飯行く約束しててんけど、俺腹一杯でなんも食えんかって、相手はお腹空かして来てたらしくて、めちゃめちゃ怒って帰られてしもた」
やっぱりバカだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「で、このあと、いつまでに何をしないといけないの?」
舞子が首を傾げて、大きな目でじっと見つめる。
僕はコーヒーカップを置き、両手でこめかみを押さえた。
「……まず、今日が三月十一日、金曜日。入稿締切は──」
「十七日の木曜、夜。でしょ?」
「そう。印刷屋の山田さん、毎年ウチらの無茶聞いてくれてるけど、今回は十六ページで表一表四はカラー。だから『どんなに遅れても木曜夜には版下を持ち込んでくれ』って。」
「で、配るのは?」
「四月一日。入学式の当日。やから、三月三十一日の夕方には、もう完成品が段ボールでドサッと納品されてへんと間に合わん。」
舞子の顔がちょっと引きつる。
僕は指を折って数えながら、状況を整理する。
「だから、実質、取材と制作に使えるのは──今日入れてあと七日。」
「うへぇ……」
「すでに確定の四軒は、舞子と一緒に食べに行っときたい。それに、残り六軒はロケハンで候補十五軒くらいまわって、実際に食べて絞って、掲載OKもらって、写真も撮って、記事書いて、あと──」
「地図もでしょ。イラストマップ。」
「そや。あと、レイアウトと割付作業。印刷所への持ち込み用に版下も作らなあかん。」
「うへぇ……しかも私、午前中は毎日バイトあるし」
「俺もや。週末、店長に頼まれてバイト入れてもうた……日曜の昼まで潰れる」
舞子がストローをくわえながら、「あはは」と乾いた笑い声を漏らした。
「……ムリじゃん?」
「いや、やるんや。」
「舞子の“オムライスセンサー”が動いたおかげで、やる気スイッチ入ったからな。」
「責任、重大?」
「当然。」
舞子はコップを置き、両手でぱちんと軽く頬を叩いた。
「よし、やるぞ。舞子、走るぞ。」
「バイト帰りに寄り道して、気になる路地裏の食堂をリストアップして。僕はまだ話聞けてへん他大のやつらに電話して、情報集めて、一気にロケハン回ろう。」
「“ロケハン”って、なんか映画撮ってるみたいだね」
「僕らの青春、撮ってんのや。定食屋と一緒に。」
◇ ◇ ◇ ◇
そんなわけで、僕と舞子の鬼のように忙しい日々がスタートした。
鬼がそんなに忙しいのかどうかは知らないけれど。
「錦市場の近くで、店構えは高級っぽいのに『おすすめ定食五百円』って書いてる店見つけた!」
「キョウジョの子が、女坂にある喫茶店っぽい店の自家製ハンバーグ定食が美味しいって」
「河原町で、お店の名前のカタカナが人の顔になってる中華屋さんあったよ! 中華そばが五百円で、唐揚げとデザート付きだって!」
「佛大の二条城のとこのキャンパス近くに、甘辛い豚肉と錦糸卵が山になった『地獄盛』って丼があるんやって!」
「三条大橋のとこに、すっごい『昔ながら!』って感じのお蕎麦屋さんがあって、店前のメニューに、『皿盛り』っていう名前で、カレーうどんぽい和風のカレーがかかったカツカレーの写真があったよ。六百円だって。」
「あ、前に行った、加茂街道沿いのハンバーグのお店は入れとかないと!」
「何ていう通りかよく分からないけど、豚角煮定食の写真が美味しそうなお店があった。定食は何でもお刺し身付いて八百円くらいだって!」
「芸大の近くに、おかずが三十種類くらい選べる食堂があるって。定食もあって、日替わりが六百円!」
「龍谷の近くに、たまごかけごはん専門店やって!」
用意したノートはみるみる内に地図とメモで埋まり、もう新しい情報を受け付ける余白がない。
とりあえず全部の店まで行ってみて、良さそうなら時間とお腹の許す限り食べて回った。
それにしても、タカトモが言った通り、いささか大盛りに振りすぎだ。
ハイライトのダブルチキンカツは、ラグビー部の合宿で監督に食わされた丼飯並みに胃を膨張させた。
だるまやの特大チキンカツ定食も、それに負けていない。
チキンカツばかりではない。地獄盛りも、本当に地獄の三丁目まで行った。
その点、タカトモ推薦の今井の鯖煮定食は、適量にして絶品だった。
黒光りする鯖のあまりの美味しさに、舞子は取材ということを忘れて、いつものアレを発動していた。
広研の予算でもらった一万二千円は、あっという間になくなった。
食後に載せさせてもらうかどうかを二人で検討し、「これは」と思った店にだけ掲載交渉をかけ、OKならそのまま取材だ。
お願いした全てのお店が快く取材を受けてくれたのは幸運だった。
やはり京都で同志社大学というのはなかなかのものだ。
しかもあろうことか、その中の三軒は、「元気な学生さんを応援したい」と、協賛広告まで出してくれることになった。
僕は、高木に鼻高々で報告し、
「取材費ケチろうとした会長さん、ほ~ら予算だよ~!」
と言って怒られた。
調子に乗りすぎたようだ。
ともあれ、掲載する十件のお店の承諾と取材、そして写真は揃った。
既に、三月十六日──水曜日。
◇ ◇ ◇ ◇
「あと二日で、原稿・レイアウト・地図・写真、ぜんぶ終わらせる……って本気で言った?」
「言うた」
「狂ってるよ!」
机の上には、食べ歩き中に舞子が描きためていた手描き地図のスケッチ。
その横では、僕がハイライトのダブルチキンカツを記事に仕立てるべく、手動タイプライターをカチャカチャやっている。
夜通し作業のために買ってきたチオビタドリンクが並び、深夜二時、舞子がふらつきながらポットにお湯を足してインスタント味噌汁を作っている。
テレビからはKBS京都で亀岡山田木材のCMが流れていた。
よいしょ!
「ねえ、これって“卒論”とかじゃないよね?」
「ちゃうな」
「じゃあ“卒業制作”?」
「ちゃうな。……“青春”や」
「青春、体に悪っ!」
◇ ◇ ◇ ◇
三月十七日──木曜日。
舞子が描いた地図を、僕が版下用の大きな紙になぞって清書している途中、ついにマジックが切れる。
「うそやろ……まだ、北山通描いてへんのに……」
舞子が自転車で走ってコンビニまで行くが、零時で閉まっていた。
結局、隣の部屋からまだテレビの音がしているという理由だけで突撃し、マジックペンを借りてくるという離れ業。
朝方、二人でふらふらになりながら写真を切り貼りし、原稿をホチキスで仮止めする。
気がつくと、床で舞子が丸くなって眠っていた。
「舞子、寝るな。地図に色、まだ……」
「寝てない……目が閉じてるだけ……」
「それを寝てる言うねん……」
三月十八日──金曜日・午前十時半。
西院の印刷所「山田印刷」に向かうバスの中、僕はずっと書類を抱えていた。
手は震え、目は霞んでいる。
さすがに自分で運転していくのは危険と判断した。
舞子はというと、マジックの匂いが手についたまま、ぐっすり隣の席で熟睡中。
印刷所の山田さんは、受け取った分厚い原稿束をペラペラとめくり、ニヤリと笑った。
「ぎりぎりやな。でも、よう間に合わせたわ。……青春の匂いがするわ」
「インクとマジックの匂いです……」
◇ ◇ ◇ ◇
そして、三月三十一日、木曜日。
大学のクラブボックスに、完成したばかりの血と汗と眠気の結晶が、ダンボール三箱分、ずっしりと届いた。
印刷のインクの匂いが、春の風にまざって鼻をつく。
ちなみに誌名は、僕の知らないうちに「Hot Doshisha Press」に決まっていた。
会議で揉めに揉めたはずなのに、気づけばノリと勢いで即決されていたらしい。
表紙では、織田が赤いジャケットに白のコットンパンツ、足元はスエードのモカシン。
百万遍の壁に背を預けて、スカした顔で斜めに腰かけていた。
どこかで見たようなポーズ。だけどそれは確かに、僕たちの“ホットドッグ・プレス”だった。
そのうちの一冊をそっと鞄に入れて、帰宅。
「舞子、できたぞ」
「えっ!」
洗い物していた舞子が、手を拭きながら駆け寄ってくる。
僕が一冊手渡すと、彼女はページをめくりながら、息を呑んだ。
「うそ……ほんとにできてる……」
「表紙、広研のロゴ、ちょっと斜めになってもたけどな」
「これ、私が描いた地図じゃん……ちゃんと使ってくれたんだ」
「せや。あれがないと、京都の街やないからな」
舞子は、しばらくそのページから目を離さなかった。
やがて、オムライスのページにくると、ふっと笑った。
「これ、ハルくんが撮ったやつ?」
「うん。舞子の口に入りかけた瞬間な」
「ぶれてるじゃん」
「青春やからな」
数秒後、舞子は小さな声でこうつぶやいた。
「私、こういうの、初めてかも……自分が作ったものが、人に届くって、なんか……嬉しいね」
その顔を見て、僕はふと思った。
新しい季節が来るってのは、こういう顔が見られることなんやろな、と。
そして、僕らの春は、まだ始まったばかりだった。




