第15回 ハムスターの正体
「ハ〜ルくん♡」
学食でサービスセットBのアジフライを食べていた僕の横に、あの気持ち悪い甘い声を落としてきたのは、もちろんタツヤだった。
「やめろ、気色悪い」
「え?なんでや?だって"ハルくん"なんやろ?」
「うるさい」
「そんな邪険にすんなよ。にしてもこの前の親戚の…えーと、名前なんやったっけ?あの大人しくてよそよそしいかわい子ちゃん」
「舞子?」
「そうそう、マイコちゃん。マイコちゃんや」
「舞子がどうした?一緒に飯食ったのに、まだ名前覚えてへんの?」
「それ、いつまで言い張るん?」
タツヤはニヤニヤしながら僕を見る。
「お前な、俺と何年の付き合いやと思てるん?保育園からやぞ?ハタチにして、もう十五年来の付き合いやで?」
「それがどうしたん?」
「しかもやな、ウチの親父とお前の親父も同級生。友達から親戚から、全部つながっとる関係や。せやろ?」
「で?」
タツヤが何を言いたいのか分からなくて、僕は思わずイラッとした声を出してしまう。
「せやからな、この前実家寄ったとき、親父に聞いてみたんや。"ハルヒトんとこの親戚に、中学生ぐらいの可愛い女の子おる家、どこや?"ってな」
なんでわざわざそんな無駄な裏取りをしてるんだ、この男は。
「ほんなら親父が"知らん"て言うねん。"あそこの親戚はもうみんな成人しとる"て」
「舞子は母方の親戚やから」
できる限り動揺を見せないように、僕は平静な声を装った。
「いやいや、もうええわ。実はな、その日の晩な、女と会うてたんやけど、その女が"GW軽井沢連れてけ"って言い出してなあ。それで急に思い出してもうてん」
嫌な予感しかしない。
「ペンギンのマイコちゃん。あれ、軽井沢の蕎麦屋の子やんけ!」
「いや、その……」
「いやいや、なんか初めて会ったときから見覚えある思ててん。"マイコ"って名前聞いたときもなんか引っかかったし。それがやっとハマった。そうやん、お前、箸袋に住所書いて渡してたやろ!」
終わった。
普段はバカみたいな顔をしているくせに、こういうところだけ、昔から妙に勘がいい。
「はい、もう正直に吐けや」
もはや逃げ道はなかった。
「……うん。せやねん」
「やっぱりな!──で、どういうことか説明してもらおか」
そこから僕は観念して、舞子が突然アパート前に座っていたところから、押し入れに住み着いたこと、あんなに大人しい子に見えて本当は好奇心の塊で元気いっぱいなこと、食べると面白いこと、香川に一緒に行ってたこと……全部話した。
「やっぱりかー。このロリコン!」
「違うって!そういう関係ちゃう!これだけは伏見のお稲荷さんに誓ってもええし、足りへんかったら鞍馬の天狗にも誓う!」
「まあ、それは信じるわ。お前の元カノ、ユリカも薫子も……あ、あれ誰やった?ヨルノオトモダチ」
「香織?」
「それやそれ。全部"強そうな女"ばっかりやもんな。あんな小動物系は、お前の守備範囲ちゃうしな。マイコちゃん怖わないし」
どう返すべきか困っていると、タツヤがさらに続ける。
「ほな、あの子いくつやねん?まさか中学生ちゃうやろな?それ本気で捕まるやつやで?」
「十六って言ってた」
「高校生?」
「いや、高校辞めて大検取るって言うてた。今はバイトしてるらしい」
「ふーん……なんかワケアリなんか?家出少女とか?」
「いや、そういう感じではないみたいや。親とも仲ええみたいやし」
「そっか。……なんでお前の関わる女って、毎回毎回ややこしいねん」
「いや、舞子は別にややこしく……」
言いかけてやめた。
いや、まあ、ややこしいのは事実だ。
いくら"そういう関係じゃない"と言ったところで、十六歳の女の子と同居なんて知られたらどうなるか──。
「まあええわ。正直に認めたお前に免じて、この話は俺の胸だけにしまっといたる。他のやつに知られたら、"親戚の子"で押し通したる。幼馴染の俺が言うたら信じるやろ」
タツヤは、うるさい。
しつこい。
余計なことしか言わない。
それでも、こういう時だけは、ちゃんとこちら側に立ってくれる。
「頼む」
「よっしゃ。じゃ、その礼に今日の飯おごりや!」
タツヤは満面の笑みを浮かべた。
サービスセットでも何でも食べてくれ。
◇ ◇ ◇
「中田さん!やっと見つけました!」
スペシャルスタミナ定食を平らげたタツヤと外で一服していたとき、声が飛んできた。
広研の後輩、織田だった。
「おう、織田、久しぶり!」
「久しぶりちゃいますよ!新入生向けミニコミ誌、編集会議いつまでサボる気なんですか!」
ああ、そうか。もうそんな時期か。
ミニコミ誌は毎年の広研の大仕事だ。
新入生に撒くB5の雑誌。
十六〜二十ページ。
表紙は流行雑誌のパロディで、広告・企画記事・学校周辺マップ……。
そして僕は今年から「企画部長」。
よりによってその僕が完全に忘れていた。
「ごめんごめん。明日、必ず企画持っていく!」
「ほんまですよ!また逃げたら、京都市ごと追いかけますから!」
「ほな俺、琵琶湖まで逃げるわ」
「やめてください!」
織田は怒りながら去っていった。
さて、どうしたものか。
◇ ◇ ◇
「ハルくん!噴いてる!」
舞子の声で正気に戻る。
僕は肉じゃがを作っていた。
舞子が「美味しいの食べたことないし、好きじゃない」と言ったあれだ。
どこかのグルメ漫画の主人公みたいに、
「かわいそうに、本物の肉じゃがを食べたことがないんだな」
とでも言ってやりたい気分だった。
だが編集会議のことで頭がいっぱいで、鍋が噴いていた。
そこからは全力で肉じゃがを仕上げた。
昆布と鰹で出汁をとり、日本酒を落とし、牛肉、じゃがいも、人参、玉ねぎ、しらたき。
甘さは最初に決めて、醤油は最後。
絹さやは別茹で。
「山岡はん……なんちゅうもんを……」
いつの間にか、舞子は本棚から借りたマンガを読んでいたらしく、豪商みたいな口調で覗き込んでくる。
「どうぞ。本物の肉じゃがです」
料理を並べると、舞子は半信半疑の顔。
「ええから食べてみ」
おそるおそる箸を伸ばし──
「え!?うま!なにこれ!?」
よし。
勝った。
そこからはハムスターモード発動。
肉じゃが→ご飯→味噌汁→ご飯→肉じゃが……
ほっぺたがぷくぷくに膨らむ。
僕も一緒に食べながら企画を考えたが、いい案は出ない。
食後、舞子がほうじ茶を飲みながら覗き込んでくる。
「今日ずっとボーっとしてるよ?編集会議のやつ?」
舞子に事情を説明すると──
「じゃあさ、京都の定食屋紹介すれば?」
「去年やった」
「学校の周りだけでしょ?京都全体にしたら?」
……たしかに、一理ある。
舞子は続けて言う。
「名付けて──『京の定食いただきます!』」
「それええやん。ありがとう。明日言うてみる」
「やった!役に立った?」
「立った立った。ご褒美あげるわ」
僕は冷凍庫から「北極アイスキャンデー」を取り出して舞子に渡した。
「これ!子どもの頃欲しかったのに買ってもらえなかったやつ!」
舞子は子犬みたいに喜んだ。
◇ ◇ ◇
翌日の編集会議。
「ええやん、それ。じゃあ中田、担当な!」
新幹事長の高木が言い放つ。
ひとりで見開き十軒はキツい。
予算もいる。
「広研の運営費から一万二千円までなら出す。他は自腹」
ギリギリで承認された。
これで当分、僕と舞子の飯代が浮く。
正直、それが一番うれしい。
「やったー!」
舞子は、謎の踊りをはじめた。
膝を叩き、胸を叩き、天を仰ぐ。
「何その踊り?」
「この前、深夜にKBS京都見てたらね、ラグビーやってて、黒い服のチームが試合前に踊ってたの。これ!」
……まさかのハカだった。
こうして、舞子と僕の「京都定食屋巡り」はスタートした。
広研の企画という名目で、堂々と二人で飯を食べ歩ける日々が。




