第14回 まんぼNo.5
「あ、舞子、これ友達のタツヤ」
「あ、はい。タツヤさん、はじめまして。舞子です」
舞子がお辞儀すると、タツヤは大げさに眉を上げた。
「"これ"扱いかいな。俺、幼稚園の頃から一緒の親友やぞ?」
「え、ハルくんの大学もバイト先も同じっていう幼馴染の人?」
「そうそう。――て、ハル"くん"ねぇ」
わざとらしく含み笑いをしながら、タツヤが僕の顔を覗き込む。嫌なニヤつき方だ。
「で、このかわい子ちゃんは誰なん?ハルくん? 今"マイコちゃん"って言わんかった?」
軽井沢の蕎麦屋で、タツヤは舞子と会っている。彼女の名前も普通に呼んでいた。
だが、まるで覚えていないようだ。
……そう見せているだけなのか、本当に忘れているのか。
タツヤの場合、どっちもあり得るから困る。
「あー、親戚の子。春休みに京都に来たいって言ってて、おじさんに頼まれてさ」
舞子を見ると、きちんと察してくれた。
「は、はい。親戚なんです。小さい頃から"ハルくん"って呼んでて……」
「ふーん。ハルヒトにそんな親戚おったかなぁ。まあええわ、そういうことにしといたる」
ニヤニヤは続いたが、聞き流すしかない。
「で、ハムスターどこ行ったんや?」
「それ、まだ続けるの?」
「ほな真面目に。お前、この頃付き合い悪いし、久々に飯どうかなと思ってな」
「わかった。今からやんな?どこ行く?」
「まんぼ、行かへん?」
「お、いいな。舞子も行くよな?」
「まんぼ?」
「お好み焼きっぽいやつや。舞子、お好み焼き好きやん。たまには違うタイプもええやろ」
「お好み焼き!? 行く!」
舞子の目が一気に輝き、タツヤが満足そうに頷く。
「行こや、マイコ……ちゃん?」
「はい、ありがとうございます。ご一緒させてもらっても……」
「急によそよそしいな!」
「あ、ごめんなさい。初めてだから緊張して」
……舞子が "初対面で緊張"?
香川の旅先であれだけ知らない人と喋ってたのに?
僕は舞子の耳元で小さく囁いた。
「どうしたん。タツヤ苦手なん?」
舞子も小声で返してくる。
「違うよ。ハルくんの親友だと思うと、ちゃんとしなきゃって……緊張しただけ」
可愛いことを言う。
「何やねん、二人でヒソヒソして。ほな行こか。車、下に停めてるで」
僕は501に履き替え、フライトジャケットを羽織りかけて、車だからいいかとやはり置いていった。
舞子は短パンのまま、タキシードサムのトレーナー姿。春先ならこれで十分だ。
駐車場に向かうと、舞子が声を上げた。
「うわ、すごい車……!」
タツヤの白いソアラは、ドアを開ける音からして重厚だった。
革シートの上に白いムートンが敷かれ、スピーカーからはバービーボーイズが流れていた。
コンタと杏子の声が、革シートの空気と妙に馴染んでいた。
僕がシートベルトを締めると、タツヤがこちらを見て言った。
「相変わらずシートベルト早いなぁ。俺の運転、そんな信用あらへんか?」
「安全第一や」
舞子は後部座席で、ムートンにそっと腰を下ろして落ち着かない様子だった。
「舞子、どうした?」
「ううん……ただ、こんな高そうなシート初めてで。ハルくんの車って、もっと"椅子です!"って感じでしょ?」
「悪かったな」
タツヤはまた笑っている。
橋を渡ると、鴨川デルタが見えてきた。
人が行き交い、春の光に川面がきらきらしている。
「舞子、"まるたけえびす"って知ってる?」
「え?何それ?歌?」
「京都の東西の通り覚える歌やで。丸太町、竹屋町、夷川、二条、押小路、御池……」
「へー……その続きは?」
僕は五条までしか曖昧だ。すると、
「せったちゃらちゃらうおのたな~ろくじょうさんてつとおりすぎ〜ひっちょうこえればはっくじょう〜じゅうじょうとうじでとどめさす!」
タツヤが得意げに歌い切った。
「で、それ何通り?」
「知らん」
なんやそれ、という顔をする舞子。
その表情が少し和らぎ、緊張がほぐれていく。
七条を越えて左に入ると、タツヤが車を停めた。
古い緑のテント、色の抜けた白い筆文字。
そこに「まんぼ」の店名が見えた。
「まぁ、店の前に停めといても大丈夫やろ」
車を降りると、舞子がきょろきょろしている。
「舞子、あれが京都タワーや」
「ほんとだ。なんだか大きいロウソクみたい」
「ほな、入ろか」
古びた暖簾をくぐると、濃いソースと鉄板の匂いが鼻をくすぐった。
「いらっしゃい」
お母さんの低めの声。
赤いビニール椅子、薄い座布団、演歌歌手のポスター。
鉄板では、お好み焼きとも焼きそばともつかない丸い何かがいくつも焼かれている。
慌ただしく動く店のお父さんとお母さん。忙しそうだ。
お母さんが水を持ってきてくれた。
「まんぼ焼き全部入り、そばでお願いします。玉子は半熟で」
迷いなくタツヤが言う。
「あ、僕も同じで。僕はうどんで、生玉子」
そう言って舞子を見ると、固まっている。
そりゃ、初めての店で「全部入り」と言われても分からない。
「舞子。ここは"まんぼ焼き"頼んどいたら間違いない」
と言うと、舞子は控えめに口を開いた。
「全部入りって、何が入ってるの?」
お母さんが柔らかい京都の調子で言う。
「お好きなもんだけ言うてくれはったら、それで焼きますえ。全部やと、お肉・いか・ホルモン・油カス・玉子・ねぎ。そばかうどん、どっちになさいます?」
「あ、じゃあ……お肉と玉子とネギで、そばでお願いします。玉子は半熟で」
「はい、かしこまりました。ちょっと時間かかりますよって、待っといておくれやす」
舞子はまだ少し緊張しているようで、注文してもどこかぎこちない。
タツヤがビールを頼もうとして、「いやいや、車やで」と僕が止めると、
「相変わらず固いのぉ。舞子ちゃん、こいつこういうとこ以外はめっちゃ柔らかいねんで。特に女とか」
「おい」
「はい、そうなんですね」
舞子が神妙に返すので、タツヤが声を上げた。
「そこ笑うとこや!マイコちゃん!」
舞子の緊張はどうにも解けない。
タツヤのマシンガントークも空回りしている。
「ほんでな、信州にスキー行った時もな…」
あ……やばい、このままだと、軽井沢の蕎麦屋の話にいく。
そう思ったとき、
「はい、お待たせしましたえ」
お母さんの声がナイスタイミングで落ちてきた。
薄い生地に具材ともんわりした麺、玉子がゆらりと乗り、ねぎがこんもり。
黒光りするソースの匂いが一気に鼻をくすぐる。
「いただきます!」
タツヤが箸を割り、僕も続く。
舞子はというと、じっと断面を研究するように見つめている。
そして耳元でささやく。
「ハルくん……キャベツ入ってない」
「うん。ここはキャベツほとんど使わへんねん」
「へぇ……お好み焼きみたいで焼きそばみたいで、不思議」
「食べてみ」
舞子のハムスターモードを期待している自分がいた。
ところが。
「あ、美味し」
上品に一切れを小皿に取り、丁寧に食べ始めた。
ほっぺたを膨らませるどころか、姿勢も綺麗。
味は気に入ったらしいが、完全に「借りてきた猫」状態だ。
そして四分の一ほど残したところで、
「ごめん、すごく美味しいんだけど……もうお腹いっぱい。ハルくん食べて」
こんなの、初めてだ。
タツヤも、
「マイコちゃん、大人しいねぇ」
と笑う。
「すみません、お勘定お願いします」
タツヤは店のお母さんにだけ妙に礼儀正しい。
こういうところは、友達を続けていく上で大事だ。
「おおきに。ほなまた寄っておくれやす」
店を出ると、タツヤは急に言った。
「悪いけど、このあと女と待ち合わせあるねん。お前ら帰れるやろ?」
「ああ、大丈夫」
「ほなな、"親戚の"マイコちゃん!」
ソアラは音もなく走り去った。
バス停へ向かう途中、舞子はようやく肩の力が抜けたようで、
立ち止まって大きく息を吐いた。
「あ~~……緊張した……!」
「え、タツヤ苦手なん?」
「違う違う。ほんとに違うよ」
舞子は首をぶんぶん振った。
「ただ、初対面の人で……しかもハルくんの幼なじみなんて聞いたら、なんか失敗したらダメな気がして……ずっと力入ってた」
「だから、まんぼでもいつもの"ハムスターモード"が出ぇへんかったんか」
「うん……。味はすっごく美味しかったよ? でも頭の中ずっと"ちゃんと食べなきゃ"って感じで」
バスが滑り込んできて、僕たちは後ろの席に座った。
河原町通に出ると、夕方の混雑で窓の景色がゆっくりと流れていく。
「……でもさ」
舞子は少し照れたように笑った。
「ハルくんには、最初から緊張しなかった」
「なんで?」
「なんでだろうね……。最初会ったときから、"この人は大丈夫"って思った。うまく説明できないけど」
バスが少し揺れ、舞子が反射的に僕の腕をつかんだ。
「ごめん! ちょっとびっくりして……。出町柳着くまで、こうしてていい?」
「ええよ」
舞子の手は少し冷たかった。
やがてバスは出町柳駅に到着した。
降りると、夕方の空気は冷え始め、川沿いに行けばなおさらだ。
「ね、ハルくん」
舞子が僕の袖を引いた。
「あそこ行こ。鴨川デルタ」
「ええけど、上着ないで? 寒いと思うで」
「ちょっとだけ散歩して、寒くなったらアパート寄って、そのまま銭湯行こ!」
それは悪くない提案だった。
僕たちは河合橋を渡り、三角州へ降りていった。
昼間はあれだけ賑やかだったデルタも、今は人影がまばらだ。
川面に映る夕暮れの色が、とても静かに揺れている。
風が少し冷たい。
舞子は両手をポケットに突っ込みながら、
川の方を見つめて小さくつぶやいた。
「今日、楽しかったなぁ……」
その横顔を見ていると、
舞子の言う「大丈夫」という言葉が、なんとなく胸の中で形になる気がした。
川の石を渡るのは寒いのでやめにして、
三角州の先のあたりをゆっくり歩く。
水の上にかかる薄い金色、柳が揺れる音、遠くの子どもたちの笑い声。
どれも一瞬で過ぎていくような、春の匂いのする夕暮れだった。
「寒っ!」
「よし、銭湯や!」
「だね!」
舞子が駆け出したので、僕も笑いながら後を追った。
春は、もうそこまで来ていた。




