第十幕『優しくしないで』
どうして迷の名前がライングループから消えているのだろう。
いつの時期に抜けたかもわからないので、友樹達に聞くのも躊躇われた。
迷。僕が京都で初めて出来た友達。大事な友達。そして、キスをしかけた間柄。
その時のことを思い出して、僕は思わず頭を振った。
あれは変な雰囲気に流されてのことだ。本意ではない。
ともかく、迷のことを不安に思いながら、日々は過ぎていったのだった。
今度は中々、過去に飛ぶ日はやって来なかった。
自分でコントロール出来ないのだから不便なものだ。
ある日、豊からラインが来た。
『ペトロニウス結局どうするんだよ』
そうだ、京都旅行へ行くと言っていたのだ。
『ああ、あれならなしになった。京都旅行は、もう十分した』
『? 変な奴だな』
『変な状況なんだ』
『とりあえずわかったよ。じゃあ、元気でな』
スマートフォンをしばし眺める。
迷の電話番号は残っている。けど、何を話す?
僕達はもう互いに生活を持っている。離れた地に暮らしている。さらに、迷は二児の母。
共通の話題なんて何もない。
精々、大学時代の思い出を語るぐらい。本質には何も触れられない。
何より、迷に嫌われているのではないかという、懸念があった。
過去で、僕は何をしたのだろう。
悩んでいるうちに、僕は眠気に襲われ、布団で寝入っていた。
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『新しいダンジョン面白かったねー』
そんな鈴狐の発言が、チャットのログに残っていた。
意識が覚醒すると、僕は若返っていた。画面には溜まり場が映っている。
そうか、新ダンジョンが実装された時期か。僕と鈴狐は散々苦戦して帰ってきたのだった。
『僕の装備が整わないと無理だなあ』
『しばらく二人で貯金するかぁ』
『私も装備を整えたら、混ざれる?』
そう会話に入ってきたのは、迷だ。
僕は、胸が痛むのを感じた。未来では僕らから距離を置いている迷。だと言うのに、ゲーム上で僕らの距離は縮まらない。
『ぬーん』
そう言ったのは、フェイだ。
『難しいと思うな。迷さんはまず基礎装備を揃えることを優先すべきだよ。ルー達が集めてるのはその上の応用装備だ』
『そうですか……』
残念そうな表情が目に見えるような一文だった。
こんなことを繰り返しているうちに、迷は僕の前からいなくなってしまったのだろうか。そう思うと、僕は焦燥に駆られた。
『迷は今、何してるの?』
『モンクの一次限界突破してスキルを集めてる』
『結構良いレベルまで来たなあ』
『でしょう。ルーク君と遊べる日もそう遠くないんだからね』
『楽しみにしてるよ』
そしたらそしたで、今度は由美子を中途半端にすることになる。
迷という新たな存在は、僕に繊細なバランス感覚を求めていた。
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「誕生日なんだってさ」
「へえ」
「お祝いしなきゃねえ」
「そうだな」
友樹から急にかかってきた電話に、僕は寝不足の頭で対応していた。
時計を見ると午前七時。もう三十分は眠れたはずだった。
結局、三時間しか眠れなかった計算だ。
「で、誰の誕生日なんだ?」
「わからずに聞いてたのかよ」
「祝うだけなら誰が相手でもできる自信はある」
「迷だよ」
僕は一気に目が覚めた。
「気合い入れていこう。予算は考えるな。俺が全額出してやる」
「おおーやる気だねえ礼ちゃん」
「俺達の大事な友達の誕生日だからな。そりゃ、無下には出来ないさ」
「その調子で俺の時にも祝ってくれるんだよな?」
「……友樹は別に良いかな」
去って行く気配もないし。
「差別だ」
その後、誕生日会の簡単な段取りをして、電話を切った。
誕生日会なんて催し、出るのは初めてではないか? そんなことを思い、僕は浮かれた。
子供時代にはやっていた記憶がある。けれども、歳を取ってからはさっぱりだ。
僕は当日が待ち遠しくて、カレンダーのその日に赤い丸印をつけた。
そして、ふと気になって、友樹に電話をかけ直した。
「おうおう、友樹」
「なんだい礼ちゃん、あらたまって」
「なんで迷の誕生日なんて知ってたんだ?」
「動物占いした」
予想外の一言に、僕は一瞬硬直し、次の瞬間吹き出した。
友樹と占い。この二つがまったく頭の中で組み合わさらなかったのだ。
「くっくっく、お前も一応女の子なんだなあ」
「うわ、嫌な奴」
そう言って、適当に雑談して、再び電話は切れた。
ベッドに寝転がって、考え込む。
迷が喜ぶものは一体なんだろう。思えば、迷の趣味を何も知らない。普段何処にいて、誰と遊んでいるかも。
「……私じゃ、駄目かな」
迷の言葉が脳裏に蘇って、僕は壁に頭を打ち付けた。そして、隣の部屋の住人に思いっきり壁を蹴られた。
「すいませんすいませんすいません」
平謝りする。
何が一体良いんだろう。
講義で一緒になった時に、単刀直入に聞いてみることにした。
「え、私の趣味?」
迷は戸惑うように言った。
「お裁縫」
「女子力たけぇ……」
隣の席にいた友樹が、呆れたように言う。
「マフラーとか縫えるの?」
「縫おうとすればいくらでも」
「女子力たけえ……」
友樹が、再度言う。
なら、裁縫関係の道具でも買えば喜んでもらえるだろう。僕は安直にそう考えたのだった。
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店員の勧めも聞いて、裁縫道具と毛糸を買ってラッピングしてもらう。
それで、準備は整った。
店に行くと、既に忍と友樹が待っていた。個室分けされた居酒屋の一室だった。
「良いかー? 来たら全員で、お誕生日おめでとう! だからな」
友樹が大声で言う。
「あ、そういう催し?」
迷が、やって来ていた。場は一気に迷走した。迷走すると書いてメイと読む。まさにその通りの展開だ。
「お誕生日おめでとう!」
友樹が破れかぶれで大声で言い、僕と忍もそれに習う。
迷は照れくさげに微笑むと、友樹の隣りに座った。
「ありがとう。なんかこんな場まで用意してもらっちゃって、照れくさいな」
「はい、これ俺からのプレゼント」
そう言って、友樹が包装された袋を手渡す。
「何が入っているのかなあ?」
「たまごっち。しかもレアな白色」
迷の表情が一瞬硬直したのを僕は見逃さなかった。
「……流石に古いよ」
「古いネタ好きなのかなあって思って。ヤフオクで安く買えたんだ」
友樹は悪びれた様子がない。
「俺は裁縫用品」
そう言って、用意していた袋を迷に手渡す。
迷は手に持った袋を見ると、本当に幸せそうに微笑んだ。
僕は、心音が高鳴るのを感じた。
「わあ、ありがとう。大事に使うね」
「おう。店員さんに聞いてまとめてもらっただけだけどな」
「ううん、けど大事に使う」
「で、忍は?」
皆の視線が忍に集まる。
「手作りのカップケーキ。ごめんね、予算がなくて」
そう言って、忍がカップケーキを四つ取り出す。各々、それを食べ始めた。
「ん、美味しい。忍は良いお嫁さんになるなあ」
「女同士で言われても嬉しくないけどね……」
「本当に美味しいよ、忍ちゃん。私のために作ってきてくれたんだね、ありがとう」
「友達の誕生日を祝いたいって気持ちは本当だから……」
その後、酒宴になった。
僕はウーロン茶を飲んでいたが、三人共ハイペースで飲み進み、大きく盛り上がった。
「いちばーん、酒井友樹、脱ぎまーす!」
「いえーい」
「いえー、え? え?」
戸惑う迷を尻目に、僕は友樹の頭を殴った。
「わいせつ物陳列罪に未成年者飲酒で役満だぞ」
「ですよねー。友樹、ペース落としまーす」
「吃驚したよお……」
また、こんな一幕もあった。
「礼二君は私のことどー思ってるんですか?」
「友達だと思っています」
忍の絡みを、軽やかに受け流す。
「私の思いは告げたつもりなのに礼二君は流すばかり……」
面倒臭い流れになってきたなあと僕はぼんやりと思った。
「友樹の家には泊まった癖に!」
「やめろ! 周りが聞けば誤解する!」
「誤解も何も事実じゃん」
面白がってそう言うのは友樹だ。
「お前なあ……」
僕は彼女に憎しみの視線を送ることしか出来ない。スターウォーズで立ち去るオビワンを見送ったアナキンの表情が確かこんな感じだった気がする。
「私の家もいつでも泊まっても良いからね」
「はいはい」
「けど手ぇ出したら一生責任取ってもらうからね」
「出さないから安心してね」
いつもの安定した忍と僕だった。
そして、三人共見事に酔い潰れた。
一軒目で酔い潰れるとは。二次会の予定が台無しだ。
「もー駄目ー、立てないー」
と、迷。
「気持ち悪い……吐きたい……」
と、忍。
「そういう時は吐いて水飲んだほうが良いぞ。我慢してたほうが長引く」
「礼ちゃんは相変わらず経験豊富だねえー。あっはっはっはっはー」
「五月蝿い笑い上戸。取り敢えず忍と友樹は遠いからタクシーな。迷は近いから俺がおぶってってやるよ」
「えー!」
「迷ちゃんの家で二次会頑張るんですー!」
僕はしばし迷ったが、彼女達がそう言うなら仕方がない。
「はいはい、三人共運びますよ……」
店員に代金を払い、事情を話す。店員は苦笑して、しばらく三人が個室で休んでいることを容認してくれた。
そして、まずは一番軽い友樹の移動に取り掛かった。
「んじゃー迷、鍵くれ」
「鞄の中適当に漁って持ってってー」
迷は魚市場のマグロのように横になって動かない。
仕方がないので、鞄の中を勝手に漁らせてもらうことにした。鍵は、すぐに見つかった。
「じゃ、友樹、行くぞー」
「はあい……」
体の力が抜けた友樹を背負い、歩いて行く。
「頑張ってくださいねー」
店員が苦笑交じりにそう声をかけてきた。
「礼ちゃん」
道を歩きながら、友樹が言う。
「なんだ」
「私の胸、ボリュームあるだろ」
「死ね」
「へっへっへー照れてる照れてる」
「地獄へ落ちて帰ってくんな」
「そっちは天国へ行けるとでも?」
「……どうだろうなあ」
僕は二度目の人生を送っている。事前に知っている情報が色々とある。それを吐き出さないことは、嘘をついているのと同じではないかと少し思ったのだ。
「急にシリアスにならないでよ」
友樹が困ったように言う。
「悪い」
「そろそろ迷の村も復興してるだろうしなー。壊しがいがあるぞー」
「お前ら良く友達やれてるよな」
呆れてしまった僕だった。
忍は寝入ってしまっていた。やむなく、お姫様抱っこで運ぶ。
その手が急に動き、僕の頭を鷲掴みにした。そして、彼女の唇が近づいてくる。
そこで、僕は彼女の下半身を手放した。
「きゃっ」
彼女は地面に降り立つ形になり、僕の頭には届かない。
「お前も本当にしょーもない奴だよな」
仕方がないので彼女に背を見せて、おぶることにする。
そして、再び歩き始めた。
「冗談でキスをするのは友樹だけかと思ってた」
「……友樹にキス、されたの?」
「ねえよ」
「そっか」
忍はそれきり、何も言わなかった。
何か考え込んでいるような、そんな様子だった。
そして、迷の番だった。
この頃になると、結構な時間が経過していた。
「一人で歩ける」
そう言って、迷は立ち上がった。そして、ふらつく。
「危なっかしいからおぶってくよ」
「いいよ」
「遠慮すんなって」
そう言って、迷に背を向けてしゃがみ込む。
しばし考え込んで、迷は僕の背に乗った。
そして二人、進み始める。
「こんな誕生日で良かったのかね」
酒に潰れて三人共ノックダウン。爛れた誕生日だ。
「凄く楽しかった。酒の勢いで普段できない話が沢山できたし。すっごく楽しかった」
「そういう前向きなの、お前の良いとこだよ」
「そかな?」
「凄いと思うよ。高校時代まで無口だったのに、大学で変わろうと思って。俺は、変われなかったから」
「明るい人格の時は結構喋ってない?」
「それは、長年積み重ねて矯正された俺なんだ。色々な経験を経て身につけた技術だ」
「良くわかんないな。たまに君が、良くわかんなくなる」
「俺も、現状を理解しきれてないからな」
沈黙が漂った。
僕は慌てて、会話を探す。
「そういや誕生日プレゼント、あんなもんで本当に良かったのか?」
「うん、良かった」
「本当に欲しいものとかないのか? 今なら、出血大サービスでなんでも用意するぞ」
「……じゃあ、山へ行きたい」
「……山?」
急に出てきた素っ頓狂な言葉に、僕は戸惑った。
「二人で花火を見た、山」
「いや、二人が待ってるし」
「なんでも用意してくれるんでしょ?」
そう言われてしまっては仕方がない。
「はいはい、わかりましたよ、お姫様」
そう言って、僕は山に向かって歩き出した。
そうだ。あの山で、僕は精算していないことがあった。
「そういやあの山のことだけどさ」
「うん」
「俺達、変なムードになってたなって。流されてたよなって」
「……変なムード、だったかな」
「だって」
キスしそうになっただろう、とは言えない。
どうしてだろう。あの時は妙だったよね、何か勘違いがあったよねと笑い話にしたいのに。迷は乗ってくれない。
迷走すると書いてメイと読む。現状はまさにそんな感じだ。
妙な沈黙が、場に漂った。
そのうち、小雨が降ってきた。
「帰るか?」
「……進んで」
「……誕生日プレゼントだもんな。進むよ」
やむなく、二人で進んで行く。
そのうち小雨は大ぶりになって、二人は濡れ鼠になった。
「まだ進むのか?」
「進む」
迷は、静かで、意志の篭った声で言う。
そして二人は、あの草原にたどり着いた。
前と同じ場所に位置取って、迷を下ろす。
「座って」
迷が言う。
「濡れるぞ」
「ここまで濡れたら一緒じゃない」
そう言って、迷は何か迷いが吹っ切れたように笑った。
そして、二人は寄り添って座った。
何をやっているのだろう。ずぶ濡れになって、頭上には曇り空しか見えない。
あの祭りの日の輝きすら色褪せてしまいそうだった。
「欲しいプレゼントがあるの」
不意に、迷が言った。
「なんだ?」
雷鳴が響いた。
「私に、もう、優しくしないで」
予想外の言葉に、僕は戸惑う。
「嫌だ」
淡々とした口調。けれども、衝動に突き動かされたような言葉だった。
迷は遠くへ行こうとしている。それが、わかってしまったのだ。
「迷は俺が、京都で出来た初めての友達だ。色々な思い出がある。外せない日常のピースなんだ」
「けど、私は貴方に優しくされたくないの」
「……なんでかな」
「ね、こっち向いて」
迷がそう言ったので、僕はそちらを向いた。迷は中腰になっていて、その顔は僕の目の前に合った。
唇と唇が重なった。
そして、押し付けられて、離れた。
「だから、言うの。私に優しくしないでって」
そう言った迷は、泣いていた。
僕は泣き始めた彼女の体を、抱きしめていた。
「……ごめん」
謝ることしか、出来なかった。
「けど、大切な、本当に大切な友達なんだ」
それは、相手を逃すまいとする自分本意な言葉。
けれども、迷は黙って頷いていた。
それは、自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。
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びしょ濡れで迷の家に転がり込むと、先に運んだ二人は既に寝入っていた。
「礼二君、着替えがないね。困ったね」
「このまま、家まで帰るよ。流石に同じ部屋で着替えたくない」
「友樹とは着替えてたんでしょ?」
「あいつは俺の中で女にカウントされてない」
「礼二君、友樹ちゃんのことをなんだと思ってるの」
「男女」
「こんなに可愛い顔立ちなのになー」
「俺は中身を見るからな。風邪引くからそろそろ行くよ」
「うん」
扉のドアを、掴む。
「今日は、ちょっと変な雰囲気になっちゃったね」
迷が、言う。
「うん」
僕は、頷くことしか出来ない。腫れ物に触るような対応だった。
「ちょっと、雰囲気に流されたっていうか」
「うん」
「また、元の二人に戻れるよね」
「うん」
「そう、良かった」
「うん」
沈黙が漂った。それが気まずいものに変化する前に、僕は言葉を発した。
「そんじゃ、行くから」
「うん、またね。今日は、色々無理を聞いてくれて、ありがとう」
扉を閉める。迷の最後の言葉の語尾は、微かに震えていた。
「……ごめんな」
僕は、呟くように言うしかなかった。
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家に帰って着替えてゲームにログインすると、鈴狐とフェイが話している最中だった。
『ルームシェアでもしようかとー』
『へー』
『あ、ルーク君こんにちはー』
『ルー、おはよー』
『ああ、おっす』
色々なことがあった。色々なことを振り切ってきた。今日のために。この日のために。
『ルームシェアするんだ?』
鈴狐に問う。
『うん。将来的にはそれが理想かなって』
『相手は決まってる?』
『ううん』
『じゃあ、相手は俺で良くない?』
答えは率直だった。
『いいよ』
『おおー、おめでとー』
フェイが立ったり座ったりと落ち着かない動作を取る。
『それじゃあ、今度遊ぼうよ。ゲームじゃ沢山遊んだ。けど、リアルじゃどんな感じになるかわからないよね』
『いいよ』
鈴狐の言葉はさっきから短い。
動揺しているのかもしれなかった。
僕は、ついに彼女と出会う。
現実のこの世界で。
次回『自分の足で歩く』(忍回)
今後の投稿スケジュールは前回の後書きに記載されています。




