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第十一幕『自分の足で歩く』

 その日、忍がゲームにログインしたのは午後十時を過ぎた頃だった。

 礼二と親しくなろうと始めたゲームだが、雲行きは怪しい。そもそも、礼二は常に鈴狐とか言う女性キャラと遊びに行っていてほとんど一緒に遊べないのだ。

 ならば、友樹や迷と遊ぼうかとも思ったが、両者はログインしていないようだった。


 なんとなく、礼二の溜まり場へ行くことにした。


『忍さんこんにちはー』


『こんにちはー』


 出迎えてくれたのはフェイだ。フェイとはイラストを交換する仲になっている。話せば話すほど中身が男なのか女なのかわからなくなる不思議な子だった。


『ルーなら今店を眺めてる最中だから、呼べば来るよ』


 流石フェイ、察しが良い。忍はその言葉に甘えることにした。

 数分遅れて、ルークというキャラがやって来た。礼二だ。


『待たせたな。面白いアイテム見つかったから、ちょっと狩りに行こうか』


『うん!』


 珍しい誘いだ。忍は、気分が高揚するのを感じた。

 やって来たのは地下洞窟だ。そこで、フェイは杖を渡された。


『マジカルスタッフ?』


 魔法少女が持つようなデザインの杖だった。


『それ、装備して、敵殴ってみて』


 言われるがままに、周囲を歩いている敵を殴る。驚くようなダメージが出た。


『これは魔力を腕力に変換する杖なんだ。魔法使った方が速いから、投げ値で売られてるけどね』


『へえ。これは良いねえ』


 そう言って、敵をのんびり殴っていく。


『だべりながら狩れるし、丁度良いだろう?』


『うん。気、使ってくれたんだね』


『あの二人に比べて、バイトで忙しい忍はログインできないだろ。調整しないとパーティー組めなくなっちゃうから、可哀想じゃん』


 忍は幸せな気分だった。授業中にうたた寝しているような礼二が自分に気を使ってくれている。自分と話す時間を取ってくれている。それだけで幸せだった。

 その日、忍は色々なことを礼二と喋った。

 授業中は起きていようよ、という注意が主だった気がするが。

 漫画の進捗の相談について礼二は色々と理解してくれる。趣味を共有できるパートナーと言えた。

 その時、忍の脳裏にあるメール文章が蘇った。


『礼ちゃんと鈴狐さん、大学出たら同棲するんだって』


 敵を殴る手が、止まった。


『どうした?』


 礼二はヒールを唱えながら、戸惑うように聞く。


『そんなに鈴狐さんが、良いの?』


 礼二はしばらく考え込んだ後、言った。


『惚れた弱みだ』


 その一言で、忍は崖底へ放り込まれたような気分になった。

 誰よりも自分と礼二は理解し合えるだろう。不遇な境遇同士、わかりあえるだろう。

 けど、その相手すら、恵まれた相手に盗られてしまうのだ。その事実に、忍は打ちのめされた。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



「いやー。同棲とは衝撃的だよなあ。相手の顔知ってんのかなあ礼ちゃん」


「今時そう珍しいことでもないよね。ネットを通じて出会うって」


「不純だと思う」


 ファーストフード店の中だった。忍は氷だけになったドリンクの容器をストローですすって音を立てる。

 フライドポテトを手ぬぐいの上に広げた物を、友樹が三きれほど豪快につまみ上げた。


「いやいや、それを言ったら婚活だって合コンだって不純じゃん」


「けど、おかしいよ。顔も知らない相手と付き合うなんて。私なら、無理だな」


「時代は変わりつつあるって感じなんじゃないかなあ。礼二君、あのゲームかなりハマってるみたいだしね。いつ見てもうたた寝してる」


「お前もゲーム中毒の相手なんかやめてさあ。どうせなら今度友達に頼んで合コン組んでやるからさ。良い男ぱーっと探そうぜ」


「……不純だと思う」


 なんとなく、嫌なのだ。自分は他人に依存しやすいことを忍は自覚している。その点に、付け込まれるような気がする。

 それが、親に屈服されたような不快感を忍に与えるのだ。


「忍は難しいねえ」


 友樹は呆れたように、背もたれに手をかけた。


「友樹ちゃんは、恋人とか考えないの?」


「俺はギターが恋人。一生添い遂げるのさ」


「多分歳取ってから後悔するタイプだよ友樹は」


「余計なお世話だこのヒッキー女」


 痛いところを突かれたらしく、友樹はやや苛立たしげに言った。


「ヒッキーじゃありませーん。学校にもバイトにも漫研にも出てまーす」


「まあまあ。どうせなら二人でコラボすれば? 漫画と音のコラボレーション」


 思いもしない迷の提案に、忍と友樹は顔を見合わせた。


「コラボ?」


「出来るかな?」


「出来ないな?」


「手段がないね?」


「礼二君なら良いアイディア知ってそうな気がするなあ。今度、相談してみようか」


「オタ系統の話なら頼りになるからな、礼ちゃんは」


「そういう言い方って、好きじゃない。オタクを馬鹿にしないで欲しい」


 そう言って、忍は膨れる。

 確かに、友樹はギターが趣味だ。文化祭でも目立つ花形の、陽の当たる場所を進む人間だ。けれども、趣味に人生をかけているという点では友樹も忍も一緒ではないか。


「そうだねー。俺も結局ギターオタクだしね」


 意外な台詞を、友樹は言った。


「親の感覚からすれば相容れないのは、俺も一緒さ」


 そう言って、友樹は忍の肩を抱いた。その腕を、忍は抓る。


「馴れ馴れしい」


 人に触れられたくないのだ。忍は。


「今の位は許されても良いと思う」


 そう言って、友樹は苦笑を浮かべたのだった。


(礼二君が遠くに行っちゃう……)


 元々、彼は遠くへ行こうとしていた。その兆候が、授業中のうたた寝だ。彼はずっと前から、そこへ行くと決めていたのだろう。

 だから、引き止めるには、全力を出すしかないのだ。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 外では雨が降っていた。僕は相変わらず、イグドラシルオンラインの世界にログインしている。迷達と約束がない日はそんなものである。ただ、一周目の僕と違い、大学はきちんと行っている、迷達の誘いがあればカラオケなどで盛り上がっている、という差異がある。

 今は金策の真っ最中。由美子と新しいダンジョンに篭もるには、新しい装備が必要だった。

 しかしそれも簡単だ。僕はこれからどのアイテムが値上がりしてどのアイテムが値下りするか知っている。転売をすれば勝手に貯金が貯まる状況だ。鈴狐とのクエスト用アイテムなども常に事前に揃えているので、半ば占い師に近い扱いをされている。

 ドアがノックされた。


(誰だろう。もう夜なのに)


 時計を見ると、八時だ。

 僕は、戸惑いながらも部屋の扉を開けた。

 項垂れている忍がいた。濡れ鼠だ。


「どうしたんだ、忍。こんな時間に、そんな濡れて」


「ちょっと、考え事してたら遅くなっちゃって。雨宿り、させてくれないかな」


「ああ、わかったわかった。着替えも貸すよ。温かい紅茶も出す。けどその後は傘貸すから出てけな」


「冷たいなあ」


 忍は膨れたように言う。


「体裁悪いんだよ。男の家に女を泊めるなんて。終電なくされると困る」


「友樹の家には泊まった癖に」


「あいつは女じゃないからな。女ではないなんらかの生命体だ」


「なんで私ばっかり、駄目なの!」


 忍の叫び声が、部屋に響き渡った。その震える声に、僕は驚いて硬直する。それを解いたのは、隣の部屋からの壁キックの音だった。


「すいませんすいません。ほら、忍。ここ壁薄いんだ。まず中に入って、シャワーでも浴びろよ」


「うん……」


 忍は言われるがままに部屋の中に入ってきた。


(危なっかしい子だなあ)


 そんなことを、僕は思う。もしも僕が悪い男ならば、狼の巣に入り込む子鹿のようなものだ。

 忍は風呂の中で服を脱ぎ、シャワーを浴び始めた。


「着替えとタオル、置いとくから」


 そう言って、僕は新しい服とタオルを脱衣所に置く。そう言えば、下着がない。コンビニで売っているだろうか。


「下着、変えあるか?」


「……ある」


 忍は小さい声で、そう言った。

 一段落がついた。

 僕はゲームの世界に、再び入り込む。

 クリック、タッチ、クリック、タッチ、クリック、タッチ、その繰り返し。

 その背中に、忍が抱きついてきた。

 湿っていた。

 振り返ってはならない。服に触れる肌の柔らかさを感じて、僕はそう悟った。


「ねえ、なんで私じゃ駄目なの?」


「服を着てくれ。それから、冷静に話をしよう」


「私なら、一杯気持ち良いことさせてあげられるよ。ちょっと怖いけれど、礼二君のためなら我慢できるよ」


「落ち着いてくれ。忍らしくない。こんなの、急過ぎる」


 僕はパニック状態だった。頭の中で天使と悪魔が取っ組み合いを始める。悪魔がやや優勢だった。


「私達、きっと支え合える」


 忍は、泣きそうな声でそう言う。


「辛い思いをしてきた者同士、思いを共有できる。誰よりも深い部分で分かり合える。なのに、どうして、私じゃ駄目なの?」


 そうか、忍は縋りたいのだ。僕に。不遇な人生を送ってきた分を、僕に縋ることで昇華しようとしているのだ。

 それは、一周目の僕も一緒だった。由美子に縋って、甘えて、そして全てを台無しにした。


「それは駄目なんだよ、忍。それは共依存って言って、破滅への道なんだ……」


「共依存?」


「互いに、依存し合う関係だ。確かに、俺達不遇な人生を送ってきた連中ってのは、何かを学び損ねている。恵まれてる連中みたいに、真っ直ぐ立っていない。どこか、偏っている」


「その偏った部分と偏った部分で支え合えば、誰よりもくっつける」


「そりゃ気持ち良いだろうな。けど、気持ち良いだけだ」


 僕は振り向いて、忍の体を抱きしめた。そして、裸体の彼女の頭を、撫でていた。


「自分の足で歩かなきゃ駄目なんだよ、忍。依存するんじゃ、駄目なんだ。欠けた部分を自分で補って、なんとかコントロールして、折り合いをつけて生きて行くしかないんだよ」


「そんな惨めな人生、私は嫌……。普通の人と、同じように暮らしたい」


「漫画家になるんだろう? 忍」


 忍が、僕の腕の中で小さく震えた。


「俺にはわかる。忍はそんな器用なたちじゃない。恋すれば、それに依存してしまう。恋に依存して振り回されてるようじゃ、漫画の時間も取れなくなっちゃうよ。自分の足で歩くんだ。自分の足で決めて、行くんだ。」


「……漫画と恋の両立は出来ないのかなあ」


 忍は、泣きそうな声で言う。


「出来るよ。忍が精神的に成長した、その時に。依存ではなく、恋を知ったその時に」


 忍は、僕の体から離れて、しばし考え込んでいるようだった。


「する?」


「しない」


 即答だった。頭の中では、天使が悪魔をノックダウンしていた。


「だよね」


 そう言って微笑むと、忍は脱衣所に戻っていった。

 そして、僕の服を着て、帰って来た。

 彼女に僕は、温めていた紅茶を出す。

 彼女はそれを一口飲むと、少し冷静になったような様子で、喋り始めた。


「嵯峨嵐山の川を見ていたんだ。保津川って言うんだね」


「そうなんだ。知らなかったな」


「船で下れるらしいよー。料金払えば」


「そうなのか」


「礼二君と前の恋人は、どんな話をしていたんだろうなって考えてた。人の憩いの場所って感じで、良い場所だった」


「……馬鹿な女だったよ」


 僕は苦笑する。


「ネトゲしか取り柄がないような奴を信じて、自分の人生も放り投げて、俺が就職駄目でも、それでも支えてくれて。だから俺は、次は、その人を幸せにしなければならないんだ」


「……高卒で就職しようとしてたの?」


「いや、話すのが難しいな。ややこしい話なんだ」


 忍はしばらく、その言葉の先を待っていたようだったが、そのうち諦めたように苦笑した。


「そっか。最初から、私の入り込む隙間なんてなかったんだね」


「……面目ない」


「謝ることじゃないよ。悪いことじゃない。ねえ、礼二君」


「なんだ?」


「自分一人で歩けるようになったと思ったら、本当の意味で精神的に自立できたと思ったら、私はもう一度礼二君に告白するよ」


「言っただろう。共依存の道へまっしぐらだ。俺達は、相性が悪いんだ」


「けど、今の礼二君はそれを判別できる判断力がある。なら、私だって、同じ風になれる」


 僕は黙り込む。反論できなかったのだ。


「その時は、もう一度聞いて。私の告白を」


「……わかったよ」


 僕は頷いた。


「けど、今日は帰れな?」


「気持ちの良いこと一杯させてあげられるんだよ。ちょっと怖いけど」


「お前話がスタート地点にループしてるぞ? 頭バグったか?」


「自立するのが先でも恋が成就するのが先でも良いかなって」


 僕は傘を持たせて忍を家から追い出した。

 そして、遠くなっていくその背中に声をかける。


「自棄にはなるなよなー」


 忍は元気良く手を振ると、去って行った。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 嵯峨嵐山、保津川の辺りで、僕と由美子は手を繋いで川を見ていた。


「のどかな場所だね。ちょっと肌寒いけれど」


「君と見たかった。本当は、夏の予定だった。祭りがあって、灯籠が流される。それが、俺と君との初デートになるはずだった」


「そんな祭りがあるんだね。楽しみだな」


 そう言って、由美子は微笑む。

 迷のように美人ではない。

 友樹のように活発ではない。

 忍のように積極性があるわけではない。

 けど、一度信じた相手は裏切らない、そんな愚直な人だった。


 歴史は書き換えられつつある。僕は順調に大学の単位を取得し、由美子との出会いは半年ずれた。

 その後がどうなるか、僕はわからない。

 二人の胸には、ペンダントがある。パワーストーンショップで買った、お揃いの安物の石だ。貧乏な僕達にはお似合いだった。


「一緒にいよう。住んでる場所が離れてるから、離れてる時間もあるけれど。それも、僕らには必要だと思うんだ」


「……うん。私、初恋もまだだから。友達みたいな感覚からよろしくお願いします」


 そう言って、由美子は深々と頭を下げた。


「いやいやこちらこそ」


 僕も、深々と頭を下げる。

 そして、僕は、由美子の唇を奪っていた。

 少しの間、接吻したまま、抱き合う。


「友達みたいな感覚からって言ったのに……」


「君が好きだ」


 僕は真っ正直に言っていた。


「誰にも譲る気はない」


「うん」


 由美子は、幸せそうに頷いた。


「けど、僕らの将来には暗雲が立ち込めているんだ」


「暗雲……?」


 由美子が、戸惑うような表情になる。


「これから先、リーマンショックって言う大事件が起こる。世間は不況になり、様々な会社が倒産する。就職氷河期が起こり、僕らはそれに巻き込まれる」


「リーマンショック? 何のことを言ってるかわかんないよ?」


「俺は、未来からやって来た。君ともう一度恋するために、未来からやって来たんだ」


 由美子は、きょとんとした表情をしている。

 それもそうだろう。唐突に話されて納得できる話ではない。

 けれども僕は話さなければならない。これから起こることを。



次回『変わらない未来』

ハッピーエンドに向かって弾みをつけるために、シリアスなターンになります。

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