↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妻は不要とされた~壊れた夫の瞳に映るのは~  作者: ゆめ@マンドラゴラ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/4

遠い瞳


 翌朝、鳥の声に目が覚める。

 視界の先には旦那様がいた。


 ふと気付く。

 肩に触れている手が熱い。


「……旦那様?」


 隣の旦那様の呼吸が少し荒い。

 額に触れた瞬間、息を呑む。


 旦那様が目を薄っすらと開く。


「交代、を」

「旦那様、熱があります」

「問題ない」


 震えそうになる声を抑え、昨晩のやり取りを思い出す。


「見張りでしたら、旦那様の番はまだですよ」

「だが」

「交代要員は足りています」

「……」

「もう少しだけお休みくださいませ」


 体を起こすと、夜番をしていた使用人が静かに近づいて来た。


「お医者様を呼んで」

「承知しました」


 使用人が部屋を出ると入れ違いに家令が部屋へ入ってくる。


「奥様代わります」

「ええ、お願い」


 そっとベッドを離れ、家令に続いて入ってきた侍女と部屋を抜け出す。


「お医者様が来る前に着替えを」

「ええ」

「侍女長からも報告が上がっています」


 足早に部屋を離れる。

 なるべく足音を立てないように隣の部屋へ移動する。


 きっと今の旦那様には走る音は良くない気がした。


 部屋に戻ると、侍女たちが揃っていた。

 少し熱めのお湯で体を拭かれ、髪をとかされる。


 その合間に侍女長から預かった報告を侍女から受ける。


 曰く、客人は昨晩、部屋に着くなりすぐ眠ってしまったらしい。

 食事は朝に少量、会話はほとんど成立しない。

 ずっとお腹を庇ってぼんやりとしているだけ。


 そして彼女の名前は、「エレナ」ではなかった。

 

「そう」


 旦那様の瞳には今、何が見えているのだろう。


「様子見を引き続きお願い。誰か侍女長と交代して、以降は二人体制で付くように」

「承知しました」

「あとはそうね、出来る限りいつも通りに過ごしてちょうだい」

「よろしいので?」


 侍女の問いに一つ頷く。


「旦那様にここは安全だと分かってもらうためです」


 単調な日常の繰り返し。

 でもきっと今の旦那様にはそれが必要だから。


「奥様、先生が到着されました」

「分かりました」


 身支度と采配を終えた所で声がかかり、立ち上がる。


 心の中に広がる不安を深呼吸一つとともに封じ込める。

 今の旦那様の前で不安を見せてはいけない。


 貴族の妻として背筋を伸ばす。

 けれど気負い過ぎてもいけない。

 いつも通りを装うため、ほんの少し肩の力を抜いた。


 寝室に入ると、すでに先生の診察が始まっていた。


「昨日は眠れましたか?」

「ああ」

「それは結構」


 脈や熱を測りながら先生が質問し、その後ろで助手の方がメモを取っている。


「その前はどうでしたかな?」

「覚えてない」


 先生の手が一瞬止まった。


「そうですか」


 静かな応答が続き、長く感じた診察が終わった。


「熱は疲労によるものでしょう」

「仕事がある」

「しばらくは安静にするのが仕事です」


 立ち上がった先生とすれ違う瞬間、先生がこちらに視線を向けたので、先生をお送りすると言って、一緒に部屋を出た。


「身体も心も限界まで使われておりますな」


 部屋から少し離れた所で、ようやく先生が口を開いた。


「戦争でよほど酷いものを見たのでしょう……痩せた手足、慢性的な睡眠不足、栄養状態も良いとは言えません。長く戦場におられた方に見られる症状です」


 廊下を歩きながら重々しく伝えられた言葉。


「治るのでしょうか」

「時間は掛かります。今は安心させて差し上げてください」


 先生の言葉に胸の奥の重石が、ほんの少しだけ軽くなった。

 コツリと、廊下の曲がり角で足を止める。


「……さて、私はもう一人の患者を見に行きます」

「よろしいので?」

「もちろん」


 私は隣に立つ家令へ視線を向けた。


「先生を部屋までご案内して差し上げて」

「承知しました」


 家令が一礼する。


「奥様」

「はい」

「旦那様はここを安全な場所として、きちんと認識していらっしゃいますよ」


 それだけ言って先生は妊婦の元へと向かった。


「奥様」


 部屋の前で執務官が書類を抱えて待っていた。


「本日の決裁案件です」

「急ぎは?」

「二件です」

「……そうね、誰か簡易机と椅子を中へ運んで。しばらく仕事はこちらでします」

「ここでですか?」

「少なくとも旦那様が自分で動けるようになるまでは」


 旦那様の傍に居たい。

 けれど仕事の手を止める訳にはいかない。


 ならば、見えるところで仕事をすれば良い。


 運び込まれた机に書類を広げる。

 執務官のまとめた報告を確認し、私は決裁を進めていく。


 そうしてしばらく経った頃だった。


「……エレナ」


 掠れた声に顔を上げる。

 旦那様がこちらを見ていた。


「お目覚めですか?」

「交代、を」

「ふふ。旦那様の今のお仕事は休むことですよ、先生がそう言っていたでしょう」


 ペンを机に置き、旦那様の傍に寄る。


「少し汗をかいていますね、お召し物を変えましょう。誰か」


 部屋の隅で控えていた家令が侍女へ視線を向ける。


「準備を」


 侍女が静かに一礼し、部屋の外へ出て行く。


「エレナ」

「はい」

「どこへ行く」

「お昼の指示を出してきます。すぐ戻りますね」

「ああ」


 執務官はすでに机の上を片付け、必要な書類をまとめて持っていた。

 お湯が持ち込まれたので、家令に後を任せて部屋を出る。


「奥様」


 部屋から少し離れた所で執務官から声を掛けられた。


「先ほど、侍女から客人について伝言を預かりました」

「先生は何と?」

「衰弱が酷く、出産まで持つか分からないそうです」

「そう……」


 旦那様が連れ帰ったあの人、追い出すのはとても簡単だけど……。


「身元は分かりそうかしら」

「そちらは調査中です」


 調査結果が間に合わない可能性もある。


「出産の準備を進める手配をしないといけないわね」

「このまま面倒を見るおつもりで?」

「今、この屋敷に『死』の気配を持ち込みたくないの」


 旦那様がようやく眠れたのだ。

 今は少しでも穏やかな日々を守りたかった。


「貴方たちには暫く負担を掛けてしまうと思うけれど……」

「旦那様が戻られるまでの一年も乗り切れました。今回も何とかなります」


 そこへ侍女が駆けて来た。


「奥様!」

「どうしたの?」

「旦那様が!!」


 執務官が仕事を引き受けてくれたので、侍女と共に急ぎ部屋に戻る。


 部屋へ飛び込んだ時、そこにあったのは家令の背中だった。

 その向こうで、うずくまった旦那様が低く唸り声を上げている。


「えれな」

「旦那様」

「どれが、俺のエレナだ」

「落ち着いてください」


 旦那様の混乱した声と、家令の静かな声だけが部屋の中に響いていた。

 侍女たちは震えて壁際に寄っており、怯えて動けないようだった。


「旦那様」


 大きな声を出さないよう、でも旦那様に届くように優しく声を掛ける。


「……エレナ?」


 家令の背中の向こうで、旦那様が顔を上げた。


「はい、今戻りました」

「……そうか」


 ふっと旦那様の体から力が抜け、崩れそうになった体を家令が支えた。


「旦那様をベッドへ、貴方たちは部屋の外へ」


 指示を出すと、青い顔をした侍女たちが部屋の外へと出て行った。

 

「奥様、当面この部屋へは侍女は入れない方が良いかと」

「そうね、以後は男性使用人に任せます」


 ベッドの横に移動し、旦那様の額に触れる。


「また熱が上がっていますね」

「先生を呼び戻しますか」

「先生はお忙しい方ですから……まずは様子を見ましょう」

「エレナ」

「旦那様、何か口に入れましょうね」


 弱々しく私を見上げる姿に、ふと昔を思い出した。


 婚約時代、旦那様は私を真綿でくるむように大事にしてくれた。

 結婚してからもそれは変わらなかった。


 だから今度は、私が旦那様を守ろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。