episode 7
「聞いてもいい?」
殿下からそう問いかけられて、つらつらと話し始めた、誰にも話したことのなかった私の初恋の話。
こんな取るに足らない私の過去の話も、殿下は黙って耳を傾けてくださった。
「ふーん、じゃあ、やっぱりテオの方が先か」
全て聞き終えた後の、殿下のそんな呟きの意味は、正直よくわからなかったけれど。
もしかしたら、私が旦那様に想いを寄せるずっと前から、旦那様はマチルダ様が好きだった、ということなのかもしれない。
「それで、コゼットは辛くないの?コゼットはこんなにもテオが好きなのに、テオはマチルダばかり見てるんだろう?」
「そんなこと……っ」
ありません、と言い切ることができなかった。
だって、気づいてしまったから。
旦那様のお傍にいられるだけでいい。
幸せそうなお二人の様子を、見守ることができれば満足だ。
お飾りの妻でも、旦那様のお役に立てるのなら、私はそれだけで幸せ。
ずっと、そう思ってきたはずだった。
でも、それはただ自分自身にそう言い聞かせてきただけにすぎない。
本当は、ほんの少しでもいいから、私を見て欲しいと願っている自分がいるのだということに。
「テオの傍にいるの、辛い?」
今度は、素直に頷いてしまった。
旦那様の事が本当に好きだからこそ、今の状況で旦那様の傍に居ることが辛かった。
今は、旦那様のお姿も、マチルダ様のお姿も、見たくない。
「だったら、俺のところに来る?」
「は、い……?」
殿下のご提案は、あまりに唐突で、突拍子もなくて。
私はいったい何を言われているのか、すぐには理解ができなかった。
「知ってると思うけど、王族の正妃になれるのは四大公爵家の人間のみ。だから、マチルダと離婚して、君を正妃に迎えることはできない」
当然である。
というか、そもそも王太子妃になろうだなんて、私には到底考えられないことだ。
「でも、君を側妃に迎えることなら、できるよ」
それについても、仰る通りではある。
王族には側妃を迎えることが認められているし、側妃については正妃と違って何の制約もない。
実際に前例があるかまでは知らないが、平民であっても側妃に迎えることは可能なのだ。
しかし、可能だからといって、殿下がそうする理由はさっぱり理解ができなかった。
「先ほど、殿下は私のことを、妹のようだって……」
そう、たとえ側妃であったとしても、妹のように思う人間を妃に迎えるなんて普通は考えられない。
「ああ、うん。そうだよ。もし、君がテオに抱いているような感情を俺に期待してるなら、それはごめん。俺は、コゼットに対してそういう感情は一切ない」
その感情を期待していたわけではないので、殿下に謝っていただく必要はない。
けれど、それならば尚更、殿下のご提案が理解できない。
「たださ、兄と妹みたいな関係の、王太子と側妃がいても、いいんじゃないかなって思ったんだ」
「え?」
私には、ない発想だった。
「俺は、王太子として跡継ぎを儲ける義務がある。けど、マチルダは君も知っての通りだ。とても、子作りなんて期待できそうにないだろ?」
そうですね、と肯定するわけにもいかず、私はただ曖昧に笑ってごまかした。
「だから、君が側妃になったらマチルダの代わりに、俺の跡継ぎとなる王子を産んでほしいとは思っている」
それはつまり、側妃になれば夜を共にする必要は、ある、ということなのだろう。
淡々と仰っている様子を見る限り、好きでもない相手とそういったことをすることに、殿下はあまり抵抗がないようだ。
全ては義務、と捉えていらっしゃるのかもしれない。
「でも、それ以外はさ、今みたいに兄と妹のような関係で、楽しくお茶したりしながら過ごす、そんな関係の王太子と側妃も悪くないと思わない?」
悪くない、かもしれない。
口には出さなかったけれど、問われて最初に浮かんだのはそんな言葉だった。
「俺が忙しくなければ、たまには旅行にも出かけよう。もしくは、視察で行く先に興味があれば、側妃としてついてきてもらってもかまわない。一緒に行けば、きっと俺も楽しいだろうし」
結婚して以降、出かけたのはパーティーや夜会ぐらいだった。
そして、結婚する前は、多額の借金を抱えた没落寸前の貴族の令嬢で、どこか遠くに出かけるようなことなんてなかった。
だからだろうか、想像するだけで、胸が躍るほどわくわくした。
「愛や恋なんて感情はきっと、この先もお互い生まれないだろうけど、きっと穏やかで楽しい日々が待ってると思うんだ」
この先もきっと、私が好きなのは旦那様ただ一人だけだろう。
そして、殿下もまた、私に対して妹のように想う以上の感情を抱く可能性は、ないということだ。
きっと、見つめられるだけで、ときめくような瞬間はない。
けれども、恋しさのあまり、苦しむこともないだろう。
待っているのはきっと、家族として穏やかに笑いあう日々。
想像すればするほど、私はそれも悪くないのかもしれないと思った。
けれど、私は、それを受け入れるわけにはいかない。
「とても、素敵だと思います。でも、できません。私は、旦那様の……セルヴァン侯爵の妻ですから」
「確かに既婚者は、側妃に迎えられないね。でも、それは、離婚すればいいだけでしょ?」
この国に、離婚を禁じる法律はない。
しかし、だからといって、私にはそんなに簡単に離婚を申し出る権利があるとも思えなかった。
「それも、できません。だって……っ」
「実家の借金の肩代わりをして貰ったから?今も、資金援助して貰ってるから?」
全て、殿下の仰る通りだ。
多額の借金を肩代わりしてもらった上、実家は今も尚、旦那様に支援していただいている。
うちにとっては大金でも、旦那様にとっては取るにたらない金額かもしれない。
現に、いつか必ずお返しする、と言ったことがあったが、必要ないと断られてしまった。
返すあてなどない、と思われたからかもしれないが。
だから、今後も実家に対して使っていただいた費用を、返せと言われることはないのかもしれない。
けれども、それを一切返すことなく離婚を申し出るなんて、私にはできない。
そして、何より、旦那様からの資金援助が途絶えてしまえば、実家は非常に困るだろう。
「コゼットが側妃になってくれるなら、今までテオが君の実家のために支援したお金は、俺が君の代わりに全てテオに返してあげるよ」
「えっ?」
思ってもみないご提案に、私は驚かずにいられなかった。
「で、今後の資金援助は、代わりに俺がしてあげる。どう?それなら、問題ないでしょ?」
「それは、そうなんですが……どうして、殿下はそこまで……」
もし、殿下が本当にそうしてくださるのなら、私は離婚も前向きに考えることができるかもしれない。
けれど、私にとっては非常にありがたい話である一方で、殿下には何一つメリットのない話でしかない。
そこまでする理由が、私には全く理解できなかった。
「このままマチルダとの間に子ができなければ、いずれは誰かを側妃に迎えて跡取りを産んでもらわないといけなくなるだろうからね」
それは、私にも容易に想像ができた。
なんといっても、王太子殿下にはご兄弟がいらっしゃらない。
いつまでも跡継ぎとなる王子が誕生しなければ、あちこちから側妃を迎えるよう進言されるはずだ。
「それなら、少しでも好感が持てて、一緒にいて楽しい相手の方がいいでしょ?つまり、俺にもちゃんとメリットはあるよ」
殿下には何のメリットもない話ではないか。
そんな私の心の内にも、殿下は気づいてくださっていたみたいだ。
「す、少し、考えさせてもらえませんか?」
「もちろん。そんなに簡単に決められることじゃないしね。ただ、前向きに考えてみてくれたら、嬉しい」
たとえ、お飾りの妻でしかなくとも、旦那様が私のことを必要としてくださるなら、それに応えたいという気持ちもある。
他でもない私が、そして実家が苦しい時に、手を差し伸べてくださった方でもあるのだから。
一方で、殿下からのご提案は、本当に魅力的て、簡単に手放す気にはなれなかった。




