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旦那様には好きな人がいる  作者: えくれあ


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6/13

episode 6

 

「も、申し訳、ありません」


 結局、私は涙を止めるまでに、かなりの時間を要してしまった。

 その間、殿下はずっと私の傍で膝をついたまま、優しく寄り添ってくださった。

 あまりに申し訳なく、そして恥ずかしくもあって、私は顔を上げられず、また殿下を見ることも憚られた。


「気にしないで。とりあえず、落ち着いたみたいで、よかったよ」


 おそるおそる、殿下に視線を向けていた。

 不機嫌だったらどうしよう、と思ったけれど、殿下は優しい笑顔のままだった。

 そして、優しい手つきも変わらないまま、そっと私の涙の跡に触れる。


「それで、この涙の理由、聞いてもいい?」

「あ、あの、たいしたことでは、ないので……」


 殿下に、わざわざお話するようなことではない。

 ただ、旦那様のことを思い出したら、無性に悲しくなって涙が溢れただけなのだから。


「たいしたことないなら、聞いてもいいよね?」


 そう問われ、私はどう返答すべきかわからず、困ってしまう。

 たいしたことない話なのは間違いないが、殿下にお聞かせしていいような話でもないだろうから。


「俺、勝手だけど、夫人のことは妹のように思ってしまっててね」

「え……?」

「ほら、俺、ひとりっ子だろ?兄弟に憧れててさ」


 殿下がひとりっ子であることは、私だけではなく国民の多くが知るところだろう。

 ひとりっ子である方が、兄弟に憧れるというのも、わからなくはない。

 けれど、どうしてそれが私を妹のように思うことに繋がるのかは、理解できなかった。


「夫人とは、ダンスするのも楽しかったし、この間のお茶の時間も楽しくて。こんな妹がいたら、楽しいだろうなって、思っちゃってさ」


 私も楽しかった。

 ダンスも、この間のお茶の時間も。


「迷惑だった?」


 私は、慌てて首を振った。

 迷惑だなんて感情は、微塵もなかった。

 むしろ、とても嬉しいと思った。


 私は、ひとりっ子ではない。

 兄弟なら、たくさんいる。

 でも、私が一番年上で、いるのは弟と妹ばかり。

 兄や姉がいる光景に憧れたことは、何度もあった。

 もし、その兄が殿下だったら、さぞ素敵だろう、そんな考えを抱かずにはいられなかった。


「すごく、嬉しいです。私も兄弟は下ばかりで、その、こんなことを考えるのは失礼かもしれませんが、殿下がお兄さんだったら、きっと楽しいだろうなって思います」


 こんなこと、わざわざ言う必要もなかっただろう。

 後から冷静になって考えれば、そう思う。

 けれど、この時の私は殿下のお言葉が嬉しくて、舞い上がってしまっていたのだろう。

 気づけば、こんなことを口走ってしまっていた。


 せめてもの救いは、殿下が決して不快な表情は見せなかかったこと。

 むしろ、殿下とても嬉しそうに笑ってくださって、私はその表情にただただほっとした。

 先日、旦那様を不機嫌にしてしまったばかりだ。

 この状況で、今、殿下にまで背を向けられたら、私はきっと立ち直れないだろうから。


「嬉しいな。じゃあ、コゼット、お兄さんに悩み、話してみない?」


 殿下が、ウインクまでして、茶目っ気たっぷりにそう仰った。

 なんだか、すごく久しぶりに、誰かに名前を呼んでもらったような気がする。

 それだけ長く、旦那様とお会いしていない、ということなのかもしれない。


「何が悪かったのか、未だにわからないんです」


 わざわざ、殿下にお話するようなことではない。

 こんなことを話したところで、殿下を困らせてしまうだけなのだから。


 頭では、そうわかっているはずだった。

 けれど、誰かに話を聞いてほしい、そんな願望が私の中にあったからなのだろう。

 殿下の作り出す優しい空気に促されるように、私は気づけば殿下に先日の出来事を全て話してしまっていた。




「まったく、テオには困ったものだな……」

「だ、旦那様は何も、悪くありませんっ!!」


 私の話にただ黙って耳を傾けてくださった、王太子殿下。

 そのことには感謝しかなかったけれど、聞き終えた後の第一声だけは聞き捨てならなくて、私はつい声をあげてしまった。

 だって、悪いのは間違いなく、旦那様の気分を害してしまった私なのだ。


 普段は、お飾りの妻でしかない私にも、とても優しく接してくださる。

 そんな旦那様があれほど不機嫌になったのだ、私は余程のことをしたに違いない。


「そうかな……」


 殿下はどこか腑に落ちないご様子だ。


「テオのやつ、ごはんも食べられないほど悲しんでるコゼットを放っておいて、マチルダとは今も会っているんだろう?」


 それも、仕方のないことである。

 私がここ数日、まともに食事をとっていないことは、旦那様にも報告されているだろう。


 以前の旦那様なら、私を心配してごはんを食べようと声をかけてくださったかもしれない。

 けれど、今の旦那様は、こんな私の状況など気にもとめないほど、お怒りなのだ。


「仕方ありません。旦那様がお好きなのは、マチルダ様ですから」


 そう言うと、殿下は驚いた様子で目を丸くした。

 ひょっとして、ご存知なかったのだろうか。

 だとしたら、マチルダ様の旦那様相手に、言うべきではなかったのかもしれない。


「す、すみません、こんなこと、殿下にお話するべきでは……っ」

「ああ、そのことなら、気にしないで。マチルダとテオのことは、俺も気にしてないから」


 そう言った殿下は、本当に気にしていないご様子だった。

 自身の妻と友人が相思相愛で、今この瞬間も顔をあわせていらっしゃるというのに。


「ただ、コゼットは俺が思ってるよりずっと、テオのことが好きなんだなって思っただけ」

「え……?」

「あれ?違った?今のコゼットを見てると、てっきりそうなのかなって、思ったんだけど……」

「ち、違わないです」


 殿下が、私の何を見てそう思ったのかはわからない。

 けれど、間違っていないことは、確かだった。


「旦那様は、私の初恋なんです」


 旦那様はきっと知らないだろう。

 真っ直ぐな視線と、私の名を呼ぶ柔らかな声。

 それだけで私はときめいて、心臓が煩く鳴り響いていたことを。


 そして、きっと、旦那様は覚えていないだろう。

 旦那様が私の実家に求婚に来るよりも、もっとずっと前に、私たちが出会っていたことを。

 幼い私が、旦那様に心を奪われた、その瞬間のことを。






 あれは、私が7歳の時だった。

 私より4つ年上の旦那様は、おそらく11歳くらいだっただろう。


 その頃から、いや、正確にはそれよりもずっと昔から、我が家は多くの借金を抱えていた。

 貴族でありながら、贅沢とは無縁の日々で、衣服も食事も質素なものばかりだった。


 そんな日々に嫌気がさしたのだろう。

 その日は、弟や妹たちが、どうしても豪華なステーキが食べたいと言って泣き喚いた。


 しかし、泣こうが喚こうが、我が家にはそれを用意できるだけの余裕がなかった。

 それでも、泣いている弟たちに、どうにか食べさせてあげたい、そう考えた私の目に飛び込んできたのは庭に咲いたたくさんの花だった。


 今考えると、そんなものが売り物になるはずない、とよくわかる。

 だが、当時の私は、その花を摘んで売れば、分厚いステーキをたくさん買うことができるような気がしたのだ。


 ちゃんとした花の摘み方さえ知らない私は、乱暴に摘み取った大量の花をかごにいれて、希望を胸に街まで売りに行った。

 だが、子どもが摘んだよれよれの花を買いたい人などいるはずもなく、一本も売れないままあっという間に日が暮れてしまった。


『どうして、誰も買ってくれないの?』


 希望は見事に打ち砕かれ、私の目の前にあるのは冷たい現実だけだった。


『これじゃあ、お肉、買ってあげられない』


 その事実が悲しくて、今にも泣きそうだった、そんな時だった。


『それ、全部』


 私のかごを指差して、そう言ったのが旦那様だった。

 額には汗が浮かび、息も乱れていて、ここまで走ってきたのだということは、子どもの私にもよくわかった。


『全部、買ってくれるの……?』

『うん。これで、足りる?』


 そう言って、旦那様が差し出したのは、金貨一枚。

 かごいっぱいの花を買うにはあまりにも多すぎて、私たち家族がしばらく贅沢な食事が食べられるだろうお金。

 足りるどころか、多すぎるほどだった。


 当時僅か7歳だったとはいえ、私はそれをわかっていた。

 それなのに、そのお金が欲しくて、多すぎる、とは言えなかった。


『うん、足りるよ、ぴったりだよ』


 お釣りなんて出せない私は、そう言って全額受け取った。

 ぼったくりもいいところである。

 それなのに、旦那様は嫌な顔一つしなかった。


『よかった』


 旦那様は優しい笑顔でそう言うと、私からかごを受け取った。

 摘んでから時間が経った花は、さらによれよれになってしまっていた。

 それなのに、旦那様は文句一つ言わず、優しい笑顔のままだった。

 その瞬間、私は恋に落ちてしまったのだ。

 今も忘れられない、私の初恋である。

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