episode 3
「はい、とりあえずここに座って」
殿下は私を近くにあったソファに降ろすと、なぜか辺りを物色し始めた。
部屋を使う許可を得たとはいえ、そんなことをしていて大丈夫なのか私はただただ不安になった。
「あの、殿下……」
止めた方がいいのではないかと思い、そうして殿下に声をかけた時だった。
騒がしい足音とともに、先ほど殿下が閉めたはずの扉が、勢いよく開いて旦那様が現れた。
我に返って、私たちを追いかけてきたようである。
「ウィルっ!!」
「なんだい、騒がしいな」
すごい剣幕で声をあげた旦那様を見ても、殿下は表情一つ変えない。
そして、相変わらず物色を続けている。
「コゼットは俺の妻だ」
「そんなこと、言われなくても知ってるよ」
旦那様はずっと怖い顔で殿下を睨んでいるのに、殿下は見向きもしない。
そして、私はこの場で、ただおろおろと二人を見ていることしかできない。
「だったら……っ」
「あ、あったよ夫人!」
「はい?」
旦那様は何かを言いかけていたはずなのに。
何かを見つけたらしい殿下は、そんな旦那様には目もくれず、見つけたものを持って一目散に私の元へとやってくる。
「おい、話を……っ」
「それは、後ね。今はほら、夫人の手当てが先」
そう言って、殿下は手に持っていた救急箱を見せてくる。
「あ、安心して。これも、ちゃんと使っていい許可を伯爵にもらってるから」
そう言って楽しそうにウインクまでして見せる殿下は、未だに怖いお顔の旦那様と随分対照的に見えた。
「コゼットの手当てなら、俺がっ」
旦那様がそう申し出てくれて、私もその方がいいだろうと思った。
こんなことで一国の王太子の手を煩わせるのはどうかと思うし、何より救急箱さえ貸してもらえたら旦那様の手を借りることもなく一人で手当てすることだって可能だ。
だが、そうして旦那様が救急箱へと手を伸ばすと、殿下はひょいっとその手を避けるように救急箱を旦那様から遠ざけてしまう。
「駄目だよ」
「なぜだ!?」
「だって、使用許可を貰ったのは俺なんだから」
だからといって、使用用途が同じなら私たちが使っても問題がないような気はするのだけれど。
殿下はなぜか、頑なに私たちには使わせてはくれなかった。
「あの、殿下。手当てなら、私が自分で」
「駄目だよ。さっきも言っただろ?俺が、許可を貰ったんだから」
「ですが、その、汚いですし……」
そう、他でもない足なんて場所を、殿下に触らせるわけにはいかないのだ。
だからこそ、私は必死に食い下がったけれど、それでも殿下は聞き入れてはくれなかった。
「大丈夫、そんなことないよ。だから、気にしないで」
だから、殿下はむしろ気にしてくださいってば!!
なんてことは、やっぱり言えるはずもなくて、私は結局黙り込むしかできなかった。
旦那様もすぐ傍までいらしていたけれど、お顔は怖いままで私はそちらへ目を向けることもできなかった。
きっと、侯爵夫人としてあるまじき失態に、お怒りなのだろう。
あとでどうやって謝ろう、許してもらえるだろうか、私はそんなことを考えながら、なぜか手慣れた様子で私の足の靴擦れの手当てをする殿下を眺めていた。
「はい、これで終わり」
殿下がそう仰ったので、慌ててお礼を述べようと思った時だった。
「ひゃあっ」
突然強い力に引っ張られるようにして、私は立ち上がらされた。
そのままバランスを崩すようにしてぽすんと倒れ込んだ先に見えたのは、旦那様の胸元で。
私は慌てて離れようとしたけれど、なぜかとても強い力に抑え込まれていてびくともしなかった。
「こら、夫人は怪我してるんだから、乱暴は駄目だよ、テオ」
「わかっている。終わったなら、もういいだろう」
旦那様はとても不機嫌な様子だった。
きっと、ものすごく怒っていらっしゃるのだ、と私が思った時、またしても私の身体がふわりと浮いた。
「あ、あの、旦那様!?」
「今日は帰るぞ」
「え?ですが、まだ……」
「気にしなくていい」
まだ、お暇するには早すぎる気がするが、旦那様は帰る気満々のようである。
殿下をこの場に残したまま、今すぐにでも来た道を戻ろうとしている。
百歩譲ってそれはよいとしても、私にとって受け入れがたい点が一点だけあった。
「わ、わかりました。では、とりあえず、おろして……」
「足が痛むのだろう。おとなしくしていろ」
「いえ、歩けないほどではありませんので……」
このままでは、行きは殿下、帰りは旦那様にお姫様抱っこをされているのを、大勢に目撃されてしまう。
せめて帰りくらいはなんとか、と思ったけれど旦那様はおろしてくださらない。
「ウィルはよくて、俺は駄目なのか?」
「はい?」
そういう問題ではない。
しいていうなら、殿下もよいなんて私はまったくもって思っていない。
「とにかく、怪我をしているのだから、無理はよくない」
きっと、ものすごく怒っていらっしゃるはずなのに、静かにそう仰った旦那様はやはり紳士だと思った。
そう、いつだって、旦那様はお優しい。
「わかりました。では、お言葉に甘えます」
私がそう言うと、心なしか旦那様の表情が和らいだ気がした。
「あーあ」
どこか呆れたような殿下のお声を背後に聞きながら、私は結局そのまま旦那様に馬車まで運んでもらうこととなった。
翌日、マチルダ様がいつものように旦那様を訪ねて来られた。
私のせいで旦那様が先に帰ることになったから、きっと怒っていらっしゃるだろう。
「あ、でも、殿下がいらしたから、大丈夫だったのかな」
夫がいるならば、本来夫のエスコートを受けるのが正しい。
旦那様がいらっしゃらない方が、むしろよかったのかもしれない。
一人でそんなことをつらつらと考えながら、いつものように仲睦まじいお二人の様子を眺めていた時だった。
「奥様、少しよろしいですか?」
珍しく、執事の一人が私に声をかけてきた。
「何か、ありました?」
こうして私が二人の姿を眺めている時は、皆さん私を気遣っているのかあまり声をかけられることはなかったのだけれど。
「実は、妃殿下の馬車と一緒に、王太子殿下の使いの方がいらしておりまして」
「えっ!?」
「奥様に、王宮まで来てほしいとのことです」
「ええええっ!?」
なんで、そんなことになったんだろう。
昨日のことで、何か気分を害してしまったのだろうか。
思い当たることは山ほどありすぎて、私はパニックだった。
旦那様に相談したいところだけれど、マチルダ様と談笑するお姿を見ると、邪魔はしたくない。
「えっと、馬車を用意してもらえますか?すぐに、支度をしますので」
「それが、その……馬車も使者と一緒に王宮から来ておりまして」
「えええええええっ!?」
それは、つまり、今この瞬間も王宮の馬車が私を待っている、ということになる。
「使いの方は、急がなくていいとは言ってくださっているのですが……」
そんなの、絶対に急いだ方がいいに決まっている。
目の前の執事だって、そう思っているから困ったような表情を浮かべているのだ。
「い、急いで支度します」
私は慌てて王宮へ赴いても問題ない装いへと着替え、王宮から来たという馬車へ飛び乗った。
びっくりするほど乗り心地のよい馬車だったけれど、それを堪能する余裕はこの時の私には皆無だった。




