episode 2
きっと、いや、間違いなく王太子殿下のリードのおかげなのだろう。
私はこの日、生まれてはじめて、ダンスを楽しいと感じた。
といっても、練習を除けば、これが私にとって人生二度目のダンスなのだけれど。
「なかなか上手いじゃないか、夫人」
殿下はそう仰ってくださるけれど、これが全て殿下のおかげだというのは痛いほどよくわかる。
足を踏んでしまわないかと足元ばかり見ていたはずの顔は、少し強引なくらいのリードのおかげですっかり上を向いている。
おぼつかなかったはずの足取りも、びっくりするくらい軽やかに動いて、いや動かされている。
まるで、自分の身体ではないかのような感覚もあったけれど、音にあわせて上手くステップが踏めているのがよくわかってとても楽しかった。
「殿下のおかげです。こんなにダンスが楽しいの、はじめてでびっくりしています」
「そう、それはよかった」
はじめてのダンスは、旦那様と結婚したばかりの頃、旦那様と踊った。
私は緊張でガチガチで上手く身体が動かなくて、旦那様にたくさん迷惑をかけたまま終わってしまった。
余程嫌な思いをさせてしまったのだろう、それ以降旦那様にダンスに誘われることは一度もない。
「テオも変に緊張しなければ、リード上手いんだけどね」
テオ、とは旦那様の愛称だ。
呼んでいるのは、旦那様のご両親と、殿下、そしてマチルダ様くらいしか聞いたことはないけれど。
「旦那様でも、緊張、なさるんでしょうか?」
「もちろん。好きな子の前だと、びっくりするくらいにね」
私には、全く想像のつかないお姿だ。
旦那様はどんな時も、完璧に見えていたから。
マチルダ様の前でも、柔らかな表情を浮かべているだけで、とても緊張しているようには見えない。
そんなことを考えているうちに、楽しい時間は終わってしまった。
「あっちで、何か飲もうか」
ダンスが終わっても、殿下のエスコートは続くようだ。
恐れ多く思いながらも、やっぱり断る選択肢はなくて私はおとなしく殿下の後をついていった。
そうして辿り着いた会場の片隅で、殿下に手渡されたグラスを受け取り、一息つこうとした、まさにそんな時のことだった。
受け取るはずだったグラスは、私が手に取るより前に第三者によって取り上げられてしまう。
驚きながらもグラスの行先を視線で追った私は、現れた第三者の姿に驚愕せずにはいられなかった。
「だ、旦那様!?どうして、ここに!?」
「別に驚くことでもないだろう。君は、俺とともにここに来たのだから」
「えっと、いや、その……」
まったくもって、旦那様のおっしゃる通りなのだけれど。
私が驚いたのは、決してこの会場内に旦那様がいることではない。
マチルダ様と一緒にいるはずの旦那様が、お一人でこの場に突然現れたことである。
「早かったね、テオ。いや、この場合、遅かったのかな?」
殿下は殿下で、よくわからないことを呟いていらっしゃる。
その意味がわからないからだろうか、旦那様は見たことのないほどの怖いお顔を殿下に向けてしまっている。
「二人で、何をしていた?」
「ええっと、お話、でしょうか」
正確には、まだしてはいないけれど。
これから、たぶんきっと、そうなる予定だったはずだと私は信じている。
「さっきまで、夫人とダンスを楽しんでいてね。ちょうど終わったところなんだよ」
殿下には、旦那様の怖いお顔は見えていないのだろうか。
こちらはびっくりするほどの笑顔を、旦那様に向けていらっしゃる。
「ダンス?」
「は、はい」
視線から、問いかけた相手はおそらく私だろうと思って、私は慌てて頷いた。
「殿下にお誘いいただきまして」
「なら、俺とも踊ろう」
「えっ!?」
何を思ったのだろう。
旦那様は突然私の手を取ると、そのままさっきまで殿下とともに居たフロアへと進んで行ってしまう。
私のダンスの拙い実力は、旦那様が誰よりもご存知なはずなのに。
「旦那様、あの」
「なんだ?俺とは踊りたくないのか?」
「いえ、決してそのようなことは……」
むしろ、踊りたくないのは、旦那様なのではないだろうか。
もしかしたら殿下と踊ってしまった以上、旦那様とも一曲踊っておかないといけない、なんてことがあるのだろうか。
私はそんなことを考えながら、旦那様と向かい合った。
旦那様とのダンスは、緊張のあまり頭が真っ白だった。
足を踏んでしまわないよう、必死に足元を確認したけれど、それでも2、3回ほどは足を踏んでしまった。
旦那様がどんな顔をされているのか見るのが怖くて、私はますます下ばかりを見てしまった。
「旦那様、上手く踊れず、申し訳ありません」
曲が終わるや否や、私は慌てて頭を下げた。
旦那様のお顔は、まだ見れてはいない。
「もう一曲だ」
「はい?」
驚きのあまり顔を上げたことで、私はようやく旦那様のお顔を見ることができた。
だが、その表情からは、全く感情が読み取れなかった。
二曲続けて踊ることができるのは、夫婦、もしくは婚約者のみ。
旦那様と私は、形はどうであれ夫婦なのだから、何も問題はない、そう問題はないはずなのだが……
「はい、ストップ。そこまでにしてあげて」
「え……?」
私がどうにか断ろうとするよりも早く、一人の背中が私と旦那様の間に割り込んだ。
あちこちから、黄色い悲鳴が聞こえてきているような気がする。
それも、無理のないことだろう。
私に背を向け、旦那様と向かい合っているのは、かつて旦那様と社交界の人気を二分していた王太子殿下なのだから。
「ウィル、邪魔するな。俺たちは夫婦なんだから、何も問題はないだろう」
「まぁ、普通はそうなんだけどね」
殿下はそう言うと、私の方を振り返る。
だが、その視線は私の顔よりもずっとずっと下へ向けられているようだった。
「侯爵夫人、足、痛いんでしょ?俺が無理に誘ったせいで、余計な回数増やしちゃったからかな、ごめんね」
「あ、いえ、そんな……っ」
きっと、めったにこういった場に姿を見せない殿下は知らないのだ。
普段、私と旦那様が一曲たりとも踊っていないことを。
だから、私が完全に油断してしまっていたのだということを。
今日身につけているサイズがぴったりなドレスや靴、そしてそれにあわせた装飾品は、全て今日のためにと新調されたものだった。
旦那様が自ら私にあうものを選んでくださった、と聞いているが、それは全て優しい使用人たちの方便だろう。
そして、新調したばかりの靴を、どうせダンスなんて踊らないからと、いつも通り一度も慣らすことなく履いてきたのが大きな間違いだったのである。
「とりあえず、ここじゃ何もできないから、移動しよっか」
「え?ひゃあっ」
どこに、と聞く前にふわりと身体が浮き上がる。
思わず声をあげた所為でますます周囲の注目を集めてしまった気がするが、今はそれどころではない。
「殿下、おろしてください」
他でもない王太子殿下にお姫様抱っこされたのだとわかり、私はパニックだった。
「足、痛いんでしょ?奥の部屋を使えるように伯爵に許可貰ったから、ね?」
「だったら、自分で……っ」
「大丈夫、大丈夫。気にしないで?ほら、あんまり騒ぐと注目されちゃうよ?」
殿下はむしろ気にしてくださいっ!!
なんて言葉は、さすがに言えなかった。
こんな時どうすればいいのだろう、と助けを求めるように旦那様を見たけれど、旦那様はただただ呆然と立ち尽くしているだけだった。
「じゃ、行こっか」
一人楽し気な殿下を前に私にできたのは、これ以上注目を集めてしまわないよう息をひそめて小さくなることだけだった。




