episode 13
「コゼットが話そうとしていたのは、花を売っていた時のこと?」
「はい。覚えてくださって、いたんですね」
きっと、旦那様は覚えていないだろう、ずっとそう思っていたのに。
けれども、覚えていらしたらいらしたで、嬉しさもあるけれど、気まずさも込み上げる。
「あの時は、申し訳ありませんでした。あんなお花に、金貨1枚だなんて……」
「いいんだ。あれは、俺が望んだことなんだから」
まるで小さな子を慰めるかのように、旦那様の手が私の頭を撫でる。
優しく触れてくださる手が、とても心地いい。
「はじめてコゼットに出会った日から、ずっとまた会いたいと思っていた。でも、あの街は頻繁に行けるような場所ではなくてね」
それはそうだろう。
あの街は、私の実家の領地のすぐ傍にある街。
私は頻繁に訪れていたけれど、旦那様のご実家、つまりこの侯爵邸のある領地からは遠い。
子どもが、簡単に行けるような場所ではなかっただろう。
「もう一度会いたいと、ずっと思っていたけど、名前も知らなかったから、どうすることもできなくて」
それも、そうだろう。
小さな子どもには、なす術がなかっただろうことは容易に想像できる。
それでも、会いたいと思い続けてくださっていたことが、むしろ嬉しい。
「あの日、ようやくもう一度あの街に行くことができて、運よく君を見つけることができた」
私にとっても、運がよかった。
よりにもよって、あの日、旦那様に見つけていただけたのだから。
「ついでに、周りの人たちの話し声から、名前まで知ることができたよ」
あの辺りでは有名な、没落寸前の貴族の令嬢。
それが、よれよれの花を売ろうと奮闘していたのだ、あちこちで噂になっていたことだろう。
「君は弟たちのために肉を買いたいから、お花を買って欲しいと必死に訴えていたのに、大人たちは誰も見向きもしなくて、腹立たしかった」
「それは、仕方ありません。当時はただただ必死でしたけど、あんなお花、到底売り物にはならないですから」
今思い返してみても、恥ずかしいばかりである。
「俺はあの時、お金を持っていなくて。急いで取りに帰ったんだ。君は買ってくれれば、誰でもよかっただろうに、俺が戻るまで誰にも買われていないことを祈りながら」
あの時の旦那様のお姿は、私も鮮明に覚えている。
額に汗が浮かび、息も乱れていたのは、そういった事情があったからなのだろう。
「でも、戻ったら、君の姿はなくなっていて」
「すみません、あちこち歩きまわっていたので」
場所を変えれば、誰か買ってくれるかもしれない、といろんなところでいろんな人に声をかけたのはよく覚えている。
どこで声をかけても、誰も買おうとはしてくれなかったのだけれど。
「それはいいんだ。君も必死だっただろうから」
旦那様はそうおっしゃるけれど、旦那様に余計な手間をかけさせてしまったかと思うと、やはり申し訳なく思う。
「俺はその後も、もういないのかもしれないと思いながらも、必死に探して……ようやく見つけた時には、すっかり日が暮れてしまっていて、君は今にも泣きそうな表情だった」
旦那様が見つけてくださった時の私は、本当に泣きそうだった。
あと少し遅ければ、私は泣き崩れていたに違いない。
「俺が馬鹿なことを祈ってしまったから」
「そんなことありません。どのみち、あんなもの買ってくれるような方は、いなかったでしょうから」
そう、あれを買ってくださるような優しい方は、旦那様くらいしかいないのだ。
私は本当に、幸運だった。
「でも、どうして金貨をお持ちに?」
わざわざ取りに帰ったのなら、銀貨を持ってくることもできたはずだ。
一目見て、銀貨で十分であることはわかったはずなのに。
「銀貨だと、そんなにたくさんの肉を買うことはできないだろう?」
かごのお花程度のお金なのだから、そんなものだろう。
それでも、弟や妹たちにお肉を食べさせるくらいのことは十分にできたはずだ。
「きっと、君なら、買えたお肉は全て弟たちに譲ってしまうだろうと、あの時の君を見て思ったんだ」
もちろん、そのつもりだった。
お肉が食べたいと喚いたのは、他でもない弟と妹たちだったのだから。
「でも、がんばったのは他でもない君だから、俺は君にもおいしいお肉を食べて欲しかった」
本当に、本当に、旦那様はお優しい。
そんな旦那様のおかげで、私もちゃんとあの日、弟たちと一緒に分厚いステーキを食べられたのだ。
「それに、俺には君が摘んだ花だというだけで、金貨1枚の価値は十分にあったしな」
旦那様はそう言うと、ゆっくりと起き上がる。
上半身裸なのが目に入り、私は思わず目を逸らした。
そして、私もまた同じ状態であることに気づき、急に恥ずかしさが込み上げて顔が熱くなる。
だが、そんな私には気づいていない旦那様は、ベッドから出ていってしまった。
がさごそと何かをしていらっしゃる音が聞こえるけれど、私はそちらを見ることができずにいた。
「ほら、これ」
旦那様はすぐにベッドに戻ってきた。
どうやら、何かを取りに行っていたみたいである。
再びベッドに潜り込むと、持って来たものを私に見せてくださった。
「これ、もしかして……」
旦那様が見せてくれたのは、押し花だ。
とてもとても、見覚えのある花の。
「うん、あの日、君から買った花だ。全部は無理だったけど、一部だけメイドに頼んで押し花にしてもらったんだ。ちょうど得意なメイドがいてね」
そうして、今もずっと大切に持っていてくださったんだ。
そう思うと、なんだか熱いものが込み上げてくる。
私は今にも泣いてしまいそうなのを、必死に耐えていた。
「嬉しい、です。あれが、私の初恋、でしたから」
そう言うと、旦那様に強く抱きしめられた。
痛いほど強く抱きしめられているのに、なぜだか心地よく感じてしまう。
「それなら、金貨1枚じゃ足りないな」
そんなことは、全然ないのだけれど。
「これから、一生かけて支払っていくよ」
そんな旦那様の言葉があまりにも嬉しかったから、私は否定しなかった。
やっぱり、私は、ぼったくりのようである。
翌日、殿下の仰ったことは、嘘ではなかったことが証明された。
決して疑っていたわけではなかったけれど、やはり驚かずにはいられなかった。
いつものように、侯爵邸を訪れたマチルダ様。
けれど、この日は門前払いだったのだ。
追い返したのは、旦那様で、私だけではなく使用人の皆さんもそれはそれは驚いていたようだった。
「コゼット、一緒にお茶してくれる?」
マチルダ様とお茶をすることがなくなった旦那様は、そうして私をお茶に誘ってくださるようになった。
いつも、遠くから見つめているだけだった光景が、今はすぐ目の前にある。
やはりどきどきして仕方がなかったけれど、とても嬉しかった。
そして、それからさらに数日後。
またも王太子殿下から、お茶のお誘いがあった。
前回と違うのは、それを聞いた旦那様が私の隣で非常に不機嫌なお顔をされていることだ。
「コゼット、行かなくていい」
「そういうわけには……」
「大丈夫だ、何の問題もない」
そうは言っても、一言お礼も言うべきだと思う。
それに、保留状態になってしまっているだろう『側妃』のお話も、しっかりとお断りしてくるべきである。
そう考えた私は、旦那様に申し訳なく思う気持ちもあったけれど、王宮へ向かうことにした。




