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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第三章 後宮
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闇に輝く

 真夜中の中庭に出るまでの道のりは長かったが、誰にも会わなかった。もし誰かに声を掛けられていたら、途中で挫けていたかもしれない。

 今夜は月明かりが異常に明るく感じられ、中庭の低木の間に身が隠れる様になるまで、落ちつかなかった。

 辺りを気にしながら、忍び足で白い井戸の前まで歩いて来ると、私はそろそろと近づき、その白い石の縁に両手をかけて中を覗き込んだ。ーーー深い深い、暗い穴。私の絶望。最後に私を打ちのめす、猛烈な虚無感。その黒い染みの様な水面は、前世の苦しみと悲しみ、怒りの象徴であり、それは今なお私を困らせていた。なんでこんなに、この穴は私を苦しくさせるのだろう。レイヤルクならば、全てを知るはずなのだ。

 私は水面を見下ろしながら、当時の神官長の名を呟いた。おそらく前世の私が口にしたさいごの言葉。


「ジョシュア」


 途端に足元から寒気が這い上がり、全身がぶるりと震えた。

 井戸の上を半分覆う様に置かれた木の蓋が、まるで透けでもした様に、視界に入らなくなる。

 幼い頃から見た夢の中と同じく、私は腹の痛みと痺れにも似た吐き気、焼け付く喉の痛みに襲われる。ーーー大丈夫。これは現実ではなく、単なる記憶だから。

 この世界に来てから、そして後宮に来てから、夢はどんどんはっきりとしだし、終いには現実の私自身が今夢を体現してしまっている。

 願いの剣を、今抜くのだ。胸に手を当て、強く願えば、レイヤルクの力を今借りる事が出来るのだから。

 私は緊張でぶるぶると震える両手を胸に当てた。けれどもその先に進む勇気が持てず、胃が押し上げられて苦しくなり、その場にしゃがみこんで呼吸を整えた。

 救いと判断を求める様に月を見上げた。静寂の中、私の不規則な呼吸音だけがはっきりと聞こえた。霞の様に薄い雲に月が束の間隠れ、けれど雲は流されていき、再び月はその煌々と輝く姿をあらわす。あの時も、二百五十年前に一人の若い女性がこの井戸端で命を失った時も、この月はやはりこうして見下ろしていたのだろうか。

 今やもう、こちらの世界へ連れて来られてから、長く否定し続けてきた事を、私は認めざるを得なかった。ーーー私は、先代の巫女姫の生まれ変わりなのだろう。神官長は私を召喚しようとしたのだ。レイヤルクと神官長の話が、事実なのだと今は分かる。そして、これだけはサイトウさんに知られてはならない。私は先代の巫女姫の悪夢と決別しなくてはならない。今からやる事は、私自身と巫女姫であるサイトウさんの為に、避けては通れない道なのだ。そう思う事で、私は自らを奮い立たせた。

 これを終らせるのだ。井戸に沈むあのネックレスを手に入れる事によって。死に間際に渇望してやまなかったそれを手に入れる事で、先代の巫女姫の魂に安らぎを与えられるのなら、今夜のこの最後のチャンスを逃すわけにはいかない。私をいつまでも追い回す悪夢を、追い払うのだ。生まれ変わってもなお、夢に見るほど欲していたのなら、手に入れてやろうではないか。それが出来るのは、今しかない。

 私は再び立ち上がり、井戸の上に両手を掛けて、中を覗き込んだ。水面は深く、暗かった。とても肉眼ではネックレスなど探せそうにない。だがレイヤルクの力をもってすれば、難しくないだろう。ただ、問題はその後だ。

 深呼吸をして呼吸を整える。願いの剣を抜くには思った以上に、猛烈な勇気が必要だった。井戸は、私の前で大きな口を広げていた。私に、果たしてこの力が使えるのだろうか?そしてレイヤルクは大丈夫だろうか?ーーー何よりも、本当にこの井戸の中にネックレスは沈んでいるのだろうか。私の悪夢が前世の体験だったのかが、これではっきりするのだ。


「頑張れ、私。私なら絶対できる。」


 ふるえる手を開き、どうにかそれを胸の銀色の線に当てがう。目を閉じると、私は心の底から強く、強く願った。

 ーーーガレル神官長がくれたあのネックレスを井戸の中から地上に出して頂戴!!

 始めは何も起こらなかった。水面は変わらず残酷なまでに静かだった。しかし、やがて湿った空気が井戸の中を回旋していくのが感じられ、それはあっと言う間に強くなり、井戸の丸い入り口を半分塞いでいる木の蓋が、破壊音と同時に弾け飛ぶのを見た。慌てて避ける間もなく、その破片は私の顔にしたたかに当たった。次に井戸の水面が激しく揺れ、泡立ち、唐突に井戸の中に反響する爆音と爆風が起きた。その瞬間、大量の水が井戸の中から噴射した。

 時間にすれば一瞬のことではあったが、その水の飛沫の中に、それを私は見つけた。

 夜の闇に輝く、黄金の光。

 素速く手を伸ばしたが、手は宙を切り、金の鎖は水飛沫と一緒に重力にならって地面に落ちた。

 濡れた地面に目を凝らす。外灯があまりなく、暗いのでよく見えない。どこにネックレスが落ちたのか見るのだ。ーーー急げ!早く探さなきゃ!

 這いつくばる格好で井戸の周りの地面を調べ、ほどなくして芝に絡まる金色の鎖を見つけ、急いで手を伸ばした。拾い上げると、手の中には煌めく金色の鎖とそれにぶら下がる大きな楕円の水晶があった。縦長の水晶の真ん中には、金色の線が入っていた。これはレイヤルクの施した、いや正確にはガレル神官長が施した願いの剣だ。彼はこれを先代の巫女姫に手渡したのだ。二世紀以上を経てもなお残るその術あとは、まさしくそれを施した者が存命中である事を意味していた。私はきっとこれを何らかの理由で、レイヤルクが言ったように手放してしまったのだ。いや、正確には、井戸の中に投げ捨てたのだろう。けれど、死に直面して、彼の力に縋ろうとしたのだ。

 これが、夢の中でいつも私が探していた物だった。幼い頃から、繰り返し夢にまでみたこのネックレスを、とうとう手に入れたのだ。その重さと時を経ても変わらぬ輝きに、両手が震えるほどの感慨を覚えた。黄金に輝くその重たいネックレスを前に、我知らず涙がこみ上げ、それは濡れている私の頬をさらに濡らした。ついに、やっと取り戻せたのだ。

 私は右手にネックレスを固く握りしめると、自分の首に掛けた。

 部屋へ戻るのだ。私はなるべく足音を立てずに歩き出した。しかしその直後、闇を割って唐突に中庭に神官長が現れた。


「っ!!」


 私は行く手を遮られて、タタラを踏んだ。彼は私の顔を見るや目を驚愕に見開き、すぐに辺りを見渡した。


「今しがた、結界内で強力な神技の発動を感じた。」

「し、神技を………?!」


咄嗟にワザとらしく驚いたフリをした。だがむしろ、神官長か突然ここへ転移してきた事に私は驚きを隠せなかった。


「あの、神官長がこんな所にいきなり来て良いんですか?」

「良いわけがない。」


 神官長はピシャリと開き直った。


「だが手順を踏んでいては間に合わない。誰か見なかったか?」


 私はぶんぶんと首を左右に振った。


「特に…」


 だが神官長は僅かも説得された様子はなく、寧ろその表情は曇っていった。不可解そうに揺れる青い瞳が私に向けられていた。彼は私から目を全く逸らさないまま、大股でこちらへ歩いて来た。

 近づいて来ると、彼は私を食い入る様に見つめた。対する私は、何か疑われただろうかと、縮こまるように数歩、後ろへ下がった。

 しばらくの間、神官長の形の良い唇は動くことはなく、何の言葉も発せられなかった。だが神官長はその眉をひそめて私を長い事見下ろした後、周囲に聞こえない小さい声で私に言った。


「額の上を、どうした?」


 言われた事が分からず、問うように彼を見上げていると、長い腕が伸ばされ、袖口が私の額に当てられた。離された神官服の白い袖口に、薄っすらと赤い血がついていた。

  ーーー怪我をしたんだ!さっきの井戸の木蓋が当たった所?

 神官長は抑えた口調で続けた。


「手に泥が付いている。」


 神官長にそっと掴まれた手首から先が、確かに所々汚れていた。ネックレスを探して地面を触った時に汚れたのだろう。慌てていたから、そこまで気が回らなかった。思わず神官長から目を逸らしてしまった。これでは隠し事をしているのがバレバレだ。

 さあ、どうしよう。

 

 

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