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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第三章 後宮
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皇祖祭

 皇祖祭の準備に追われた多忙な日々は瞬く間に過ぎ去り、ついにその当日を迎えた。サイトウさんが後宮にきてから、四ヶ月近くが経とうとしていた。

 前夜はおそくまで巫女姫が身に付ける、特注の衣装合わせや立ち位置、台詞の確認に勤しんだ為、護女官長やサラとタラ、そして勿論私も寝不足であった。

 その日朝一番に後宮内の祈りの間での恒例の祈祷の時間があり、その後が皇祖祭本番であった。

 サイトウさんは、薄紫色の下地に銀色の輝きを放つレースを重ねたドレスを纏い、白金のティアラを結い上げた髪の上にのせた。

 神殿庁の権威を示す為に、巫女姫は絢爛な装身具で飾り立てられた。首まわりには何処までも透き通り、けれど強い輝きを放つ大粒のダイヤモンドが散りばめられたネックレスを、そして腕には深い海の青色を持つサファイアのブレスレットを。

 支度の間、緊張をしているサイトウさんは何度も私や護女官長の顔を見ては、泣き笑いに似た表情を浮かべていた。

 私は緊張のあまり絶え間無く深呼吸をするサイトウさんに、自信を持たせようと、しつこいまでに褒めちぎった。でもそれはお世辞ではなく、本当に心から出た言葉であった。ーーーその日のサイトウさんは、いつも近くにいる私ですら見惚れてしまうほどに、綺麗だった。

 すべての準備が整い、後は出発を待つだけになると、サイトウさんの緊張はピークに達し、せわしなくドレスと装身具を弄っていた。私はそんな彼女の手に「人」という漢字を三度書いて、彼女の口元に持っていった。するとサイトウさんは顔を綻ばせ、笑った。

 

「それ、懐かしい。しかも微妙に古いよ、この占い。」

「私、オバちゃんですから。」


 同じく豪華に着飾った皇帝と共に、白い馬車に乗ると巫女姫は宮殿を出て、ほど近くにある皇室所縁の神殿に向かった。沿道には巫女姫を見る為に国中から駆け付けた民たちが押し寄せていた。手に花々を持ち、お祝いの気持ちを表そうとする人々や、千切れんばかりに手を振り、馬車に向かって皇帝と巫女姫の名を叫ぶ人々。彼等によって、都中が歓喜一色に包まれていた。馬車はその中をゆっくりと進み、皆で高揚感と一体感を分かち合った。国中に見守られる中、堂々としたサイトウさんの姿は、可愛がっていた妹が自立していくような寂しさがあった。

 馬車が辿り着いた神殿には既に参列者たちが集まって、二人の到着を待っていた。そこには帝国中の高位の貴族や神官たちばかりではなく、近隣諸国の重鎮や外交官たちも招かれて列席していた。皇帝と巫女姫が姿を現わすと、神殿の高い天井にまで届くかと思うほどの大きな祭壇の前で、神官長による祭事が始まった。荘厳な神殿の中で行われる見目好い神官長による儀式は見る者全てを魅了し、巫女姫の天にも舞い上がる様な伸びやかで涼やかな歌声は、出身国を問わず、その場にいた参列者を終始虜にした。

 巫女姫はハイラスレシア帝国が保有する偉大な神技の結晶であり、同時に象徴であった。それは太陽神がハイラスレシア帝国に与えた祝福そのものを思わせた。

 神殿での祭事が終了すると、皇帝と巫女姫、そして参列者たちは移動して宮殿で晩餐会が開かれた。その豪華さと規模の大きさと言ったら、どうやったらこの準備が出来るのか想像すらつかないほどで、これはまさに国家の威信をかけた行事であった。

 サイトウさんは上座に座っており、「異世界から召喚された巫女姫」のもとには、招待客たちが列をなして貢ぎ物を贈った。

 晩餐会は夕方まで続き、皇帝よりはひと足先に晩餐会場を退出して後宮に戻ると、あとにはもう、途方もない達成感が残った。


「終わりましたね。お疲れ様です、ヒナ様。」

「ご立派でしたよ。」


 私たちは部屋に帰ると、口々にサイトウさんを労った。最も重要で大きな催しをやり遂げた私たちは、心地よい疲労を感じていた。

 いまこの時、あれだけ時間を費やして準備をした皇祖祭だけが終わったのではない。巫女姫の後宮での滞在も、これで終わるのだ。とにかく、一区切りがついた思いだった。

 明日の朝、神殿庁からは巫女姫のお迎えが来る手筈になっていた。


 その夜、私はサイトウさんに誘われて、一緒に浴場に向かった。多分これが巫女姫と一緒にお風呂に入れる貴重な最後の機会なんだろうな、と感じながら。

 疲れ切った身体を湯船に沈めると、どちらからとも無く日本語で話し始めた。

 この数ヶ月の後宮生活についてや、皇帝の事など、ここでの暮らしが終わる事に、感慨深く話が尽きなかった。

 ひとしきり互いの労い話が終わると、サイトウさんは感極まった様子で言った。


『私ね、辛い気持ちになる時もあったけど、この世界に来て良かった。ううん、それより、やっぱりこれが私の運命だったんだろうな、って思う。』


 運命ーーー。

 それは曖昧な様で逃れるすべの無い、定められた道だろう。

 サイトウさんは後宮に来る前、皇帝のもとに来るのを嫌がっていた。でも、今は過ぎた事として受け止めているのだ。レイヤルクに言わせれば、これこそ巫女姫の洗脳の一つなのかも知れない。巫女姫たちは皆、ただ与えられた道を諾々と歩んだのだ、と。

 或いは私も変えられたのだろうか。この国の人々の考え方に流されたのだろうか。自分がおかしいと思うなら、周囲に巻かれる必要はないのだろう。多数派に囲まれようとも、正しいと確信する信念を曲げる必要はない。だがふと振り返ると何が正しいのか、度々分からなくなるのだ。

 私はどうしても先代の巫女姫について考えてしまった。

 ここで志半ばで命を落とした彼女も、自らの短い人生を運命だったのだと総括する事が果たして出来ただろうか、と。サイトウさんは、もし皇帝が歳が近く魅惑的な今の陛下ではなく、容姿の大層悪い脂ぎった老人だったとしたら、今と同じ心境に至れただろうか。

 ーーーきっと先代の巫女姫のジュリアは、運命というものが存在するのなら、それを断ち切りたかったのではないだろうか。

 道は自ら選び、開いていくものだ。その結果ならば納得して受け入れられるだろうけど、ジュリアには選ぶこともできなかった。


『その線、薄くなってない?』


 サイトウさんが私の胸元の銀色の線を見ながら言った。釣られて私も自分の胸元のレイヤルクの術あとに視線を落とした。

 当初見事な銀色だった線は、形も細くなり、色は薄くなっていた。私は人差し指でその線をそっとなぞった。

 この線が薄くなっている理由。それに頭を巡らせると、胸の中に氷を押し付けられた様な心地がするーーー本来この願いの剣によって、彼の力を使える筈なのだ。それが薄くなっているという事は、つまりこの銀色の線は、レイヤルクに残された力とか時間を表していたりするのだろうか。

 例えどんなに強い神官だとしても、力を永遠に保持できるわけではないのだ。二世紀以上に渡って生きてきた彼の力が、もうじき終わりを迎えようとしているのだとしたら。この銀色が、それを暗示しているのだとしたら。もし私の考えが当たっているとしたら、彼に残された時間はあまり無いのかもしれない。彼にもう二度と会えないかもしれない、という事は、先代の巫女姫の最期を知る者が、誰もいなくなる、という事だ。

 けれどどうすれば会えるのかが分からない。

 この願いの剣を使えば彼の所へ連れて行って貰えるだろうか?ーーー明日の朝、神殿庁に戻ったら休暇を願い出よう。これが終わったら、サイトウさんの役割も一段落がつくのだ。

  私はレイヤルクに会いに行かなければ。

 そして私にはもう一つ、この後宮にいる間にやらなければいけない事がある。ーーー先代の巫女姫のネックレスを、取り返したい。いや、取り返さなければならない。でもそれこそどうやって?







 皇祖祭の一日で体力を使い切っていたサイトウさんや護女官たちは、いつもより早く床についた。

 隣で眠る護女官長の穏やかな寝息を聞きながら、私は暗い寝室の中でジッと目を開けていた。

 身体はとても疲れていたが、目と頭はこれ以上ないほど冴えていた。これからしなくてはならない、正確にはしようと自分で決めた事を実行するには、大変な勇気が必要だった。

 私は音を立てない様に寝台から降りると、隣の居間へ出た。少し逡巡した後で、更に隣にあるサイトウさんの寝室に向かう。

 ノックもせず、慎重にドアノブを回すと、ゆっくりと彼女の寝室に入った。

 サイトウさんは大きな寝台の真ん中で寝ていた。長い睫毛が縁取る瞳はぴったりと閉じ、その深い寝息から察するに、このまま朝まで一度も起きる事なく寝ているだろうと思われた。

 私は何気なく天井を見上げた。そこには変わらず、翼を広げた大きな鳥の優雅な彫刻があった。

 この部屋に初めてサイトウさんと来た時から、私はこの天井が大嫌いだった。それが何故なのかは、ずっと分からなかった。でも今なら私は確信している。多分先代の巫女姫も、この彫刻が大嫌いだったに違いない、と。

 私はサイトウさんに深く頭を下げてから、彼女の寝室を後にした。居間は静まり返り、窓から月の光だけが溢れる中、私は暫し考えこんだ。

 これからしようとしている大それた事に、臆する自分がいた。

 けれど私がこの世界にきた経緯を考えるなら、そうしなければいけないと思う。でも失敗は絶対に許されない。一度で終わらせなければならない。

 もう決めたのだ。

 ーーーいや、やっぱり今なら、まだ引き返せる。

 居間をでようとした時に、やはり私は本当にこれで良いのか迷った。何事もなかったみたいに、布団に入って寝てしまおうか。

 此の期に及んで迷う自分を奮起させる為に、私は薄い寝巻きの襟周りを引っ張り、胸元を見た。やはり願いの剣の金色は、細く、薄くなりかけていた。やはり今しかないのだ。自分を奮い立たせると、私はそっと廊下へ出て、中庭へ向かった。井戸のあるあの、中庭へ。



 

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