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サイなあたし達  作者: 戸理 葵
第七章 お楽しみはこれからだっ
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お楽しみは、これからだっ

第三者視点です。

「結局今日、帰っちゃうんだ」


 真琴は膝を抱えながら、携帯電話を耳にあて、ベッドの上に座っていた。実家の自分の部屋は、そのままになっている。けれども埃も無く綺麗で、母親が彼女の帰りをいつでも待っている事が、無言で伝わってくる。


 でも彼女は思う。あたしがこの部屋で暮らす事って、多分もう無いんだろう。

 


「・・香取のやる事って、一体何?」



 無意識に足の指をいじりながら、ふと床に置いてある浴衣に目をやった。昨日は実家に浴衣を置きたくて、その為に帰ってきた。そのまま、居心地良くつい泊ってしまって、今に至る。けれどもあの屋敷には勉強道具一式があり、受験生に夏休みは無い。丸一日勉強をサボってしまい、焦っていない自分に焦ってしまう。今日は水島屋敷に帰らなきゃ。



「・・・はるなちゃんがちょこっと言ってた。会社を継ぐ、とか言うヤツ?・・・ふーん? 庶民には分からない話ね。・・わぁ、面白い」



 面白い、と言った割には少し脹れっ面をした。



「香取って卒業したらどうするの? 大学は?」



 声のトーンが下がり、伏し目がちになる。勝気そうな大きな瞳に、睫毛が影を落とした。



「・・・一緒には進学しないんだ」



 自分でも甘えているな、と思ってしまう。電話だからつい、面と向かっては恥ずかしくて言えない台詞や態度を、取ってしまった。

 こっちの気配を察知した相手が、彼らしい軽口を叩いてくる。真琴も僅かに口角を上げて、それに応戦した。甘い言葉も、切ない台詞も、きつい舌戦も、彼が相手だからこの上無く楽しい。それは分かっている。だから、早く帰ってきて欲しい。



「うん。気をつけてね。・・・エリザベス女王の似顔絵入りのパンツとか?・・・・・・・冗談だってば。そこまで絶句しないでよ」



 クスクスと真琴は微笑んだ。電話の向こうでの、呆れた顔が目に浮かぶようだ。

 ところが相手は、あっさりと電話を切ろうとした。余韻の無い会話の終わらせ方に不意打ちを食らった真琴は、一瞬焦ってしまい、咄嗟に本音が口をついて出た。



「ね。・・・本当に帰って来るよね」


 

 言ってしまってから益々切なくなり、見えない彼の胸にしがみつきたくなってしまった。こんな乙女な自分、我ながら恥ずかしい。だけどそれでも構わない。一日でも早く帰ってきて欲しい。2か月なんて長すぎる。


 会えなくなってもしょうがない、なんて彼に発破をかけていた自分が、遠い昔に思えてくる。


 彼が、電話口でくぐもった声を出した。含み笑いをしながら、何かを言ったらしい。



「え? 香取?」



 聞き返した時には、あっさりと別れの言葉を言われて電話が切られた。



「・・・切れちゃった」



 呆然と、携帯電話を見つめる。こんなにサッサと切られるとは思ってもみなかったのだ。だってここ数日の彼は、真琴がビックリするほどベタベタと、彼女から離れなかったのだから。正直、一人で飛行機に乗る気があるのかと疑ってしまったほどなのに。



「なんて愛想の無いヤツ」



 唇を突き出して、聞こえない相手に文句を言う。

 そうしてしばらく画面を睨みつけていたが、不意にある事を思い出し、眉根を寄せた。

 考えた末、考えてもしょうがない、とばかりにメモリーを開いて、友人の電話番号を捜す。真琴の頭の中には既に、電話を切った彼の事は半分以上消えかかっていた。






 バタバタと階段を駆け降りる音がして、由美は炊事の手を止めた。

 廊下を覗くと、真琴は座りこんで靴を履いている。先程見かけた服装とは違っている。遠出をする気だ。


 由美はにっこりと微笑んだ。



「まこちゃん、早いわね。もう、あちらに戻るの?」

「うん。その前にちょっと、唯と会ってくる」

「そう。唯ちゃんは元気かしら?」

「元気・・・とは流石に言えないけど、でも大丈夫だよ、きっと」



 そう言って真琴は顔を上げると、後ろで立っている由美を見上げた。


「あの子、すごくいい子で、他人に対する思いやりとか気遣いとかはバッチリあるけど、なんて言うのかな・・・開き直る事の出来る子だから」



 真琴は苦笑して見せるが、その目には、友人に対する信頼の色が見てとれる。彼女は軽く肩を竦めた。



「今、すごくいい感じで開き直ってる。だから、大丈夫だと思う」

「そう。それはいいわね。じゃあ、行ってらっしゃい」

「はい。行ってきまーす」



 十代の輝きを連れて、真琴は玄関を出て行く。由美はそんな娘を眩しく見送った。

 後ろに母親の気配を感じ、玄関を見つめたまま、彼女は言った。



「・・・あの子が本当に、あんな大役を背負っていくのかと思うと、心配ね」

「・・・まだ、そうと決まった訳ではないけど・・・」



 恵美子の口調は穏やかだ。真琴に対する芝居がかった話し方とは、全然違う。それが母なりの、あの子に対するプレッシャーの与え方なのだ、と由美は知っている。同時に、恵美子自身の不安を隠すためのハッタリでもあるのだ、とも知っている。



「そうなんでしょ?」


 由美が真顔で振り向き母親を見つめると、恵美子は苦笑した。



「・・・まあ、ほぼ、そうだろうね」

「本当、心配だわ」

「だからそうとは言わずに、しばらく様子を見るんだよ。今から告げたら、プレッシャーで潰されかねないだろう?」

「・・・私が心配しているのは、真琴じゃなくて、世界の方」



 片手を頬にあて悩ましげに首を振る娘に、恵美子は軽く絶句した。

 由美は、さも不幸な様に仰々しく溜息をつく。



「あんな子に未来を託されるなんて、私達もあちらの方々も、運が悪いわね。大丈夫かしら?」

「・・・・」

「私達は何があってもあの子を守るけど、後の事までは考えてられないものねぇ」

「・・・まあ、そこらへんは、誰かがバランスを取るさね」

「あら。それもそうね」



 そう言ってにっこりと笑う由美に、恵美子は呆れつつも内心舌を巻いた。



「・・・由美は本当に、余計な事を考えないというか、あっさりしてるねぇ」

「そりゃあお母さんの娘で、真琴の母親ですもの」



 彼女の悠然とした微笑みに、つられて恵美子も微笑む。お互い見つめ合い、開き直りと覚悟、両方を見て取った。

 つまり、いつの世も、母は強し、である。






「寝ますかね、ふつー」



 ヒトミは、広場にある腰の高さより僅かに低いポールに腰かけ、長い脚を投げ出した。パンツをはき、胸の開いたノースリーブを何枚か重ね着して、アクセサリーもいくつか付けているが、全体としてギリギリ、まだ男。よくいる、華奢な美男どまり。

 空を仰いで軽く溜息をつくと、ぬるくなりかかって結露しているカフェモカのストローを咥えた。

 その隣に薫が慌てて座り、彼女を覗き込むようにして弁解を始めた。



「最初は俺だって聴いてたんだ。すげーよかったし感動したぞ? だけどどうしてクラシックつーのは、あんなに長いんだ」


 ヒトミより頭一つ分高い長身を丸め、落ち着かなく腰掛ける姿は傍から見ても、出来の悪いご機嫌取り。いつものキツイつり目も、その威力を発揮していない。

 ヒトミはそんな彼を見もせずに、コーヒーをすすった。



「気持ち良く満喫してましたね。睡眠を」

「あの椅子だって悪いんだぞ? あんな寝心地のいい椅子を提供したら、誰だって寝るだろう、つか結構寝てるヤツいたぜ?」

「だから素人と一緒には行きたくないんだ。私の母親が出てるんですよ? 薫、思いっきり面が割れてるじゃないですか。無礼もそこまでくると立派な度胸だ、あっぱれ」

「んな怒んなよ。悪かったって」

「怒ってませんよ。感心しているんです」

「怒ってんじゃねーか」



 どっちが年上だか分からない台詞を吐かれ、ヒトミは再び溜息をついた。

 そして、既に膨れかかっている隣の男を眺める。この脹れっ面、妹とそっくりじゃないか。あ、この場合、妹が兄貴にそっくりなのか。



「薫のおかげなんだから、怒る訳ないでしょう。一人じゃ絶対来ないし、他に付き合ってくれる人もいないし」

「おー。俺は消去法でノミネートか。充分充分。お前が向き合う決心が出来たんだったら、残り物、万歳だ」



 開き直りとも嫌味とも、或いは思いやりとも取れる台詞を言うと、薫は正面を向き、ニヤッと笑った。

 その横顔を、ヒトミは無言で眺める。彼は、妹の面倒を見る事に徹してきた。宮地家も自分と同じで、女性にその能力が受け継がれる。能力の無い薫は、常に宮地家の縁の下だった。

 自分とは真逆の立場だけど。彼はそれで、良かったんだろうか?


 自分は、逃げたかった。



「・・・女だから。家系だから。当り前の事として期待されると、ね。やれと言われると、やりたくなくなるんです」


 

 ヒトミが俯きクスッと笑うと、頭上から静かな声が聞こえた。


「・・・自分を、見て貰いたかったんだろ? 東田ヒトミとして」



 緩やかに顔を上げ、彼を見つめる。彼は真顔で彼女を見つめていた。

 その台詞はひょっとしたら彼女に向けてではなく、彼自身の事を言ったのかもしれない。ヒトミはそう思った。



「そうだね。女である事を否定して、歌を否定したら、私に何が残るかなって。そしたら親は、こんな私にどこまで付き合えるのかな、って」



 他にも色々と考える事はあり、様々な要素が絡み合っているけど、シンプルに言えばつまり、こういう事なのだろう。彼女は自嘲気味に笑った。



「とんだ駄々っ子で。親も苦労しますよね」

「でもヒトミ、歌が好きなんだろ? 俺も好きだぜ」



 ふっと影が落ちる。

 ヒトミが何気なく顔を上げたら、唇にその影が降ってきた。


 彼はただ唇を重ね、最後に少し、それとは分からない程、軽く啄ばんだ。


 ゆっくりと離れ、目を見開いている彼女を見ると、口角を上げた。



「素人、舐めんなよ?」

「・・・」



 断りも無くこういう事をするとは、薫らしいし、薫らしくない。それでもこの不敵な微笑みは、自分の事を分かっているっていう、自信からくるんだろうか? ヒトミは彼をマジマジと観察した。



「いや、舐めてんのはむしろそっち」

「上手い! 一枚!」

「・・・(オヤジくさ)・・」



 軽くクラっとくる。この独特のマイペースさ、兄妹に共通するよ。

 

 周囲がこの二人を見て、明るい太陽の元、堂々と男の子同士がキスしていちゃついている、と盛り上がっている事は、もちろん当人達は確信的に無視している事である。






「出来るだけ早く、やる事やっちまいたいんだよ」


 礼は空港内の椅子に座り、携帯電話を耳にあて、気だるく足を組み直した。


「あれもこれも? 詰め込まれ最中なんだ。俺んち家族の跡取り、って色々厄介でさ。これでも頑張ってんだ」



 ゆっくりと煙草をふかす。彼女と出会って以来、少なくとも学校では煙草を吸う事を控えてきた。よからぬ事で大人から目をつけられて、それで彼女までとばっちりを食う事を避けたかったのだ。

 そうなると、色々と面倒だったから。



「会社なんて継げねーよ。んな事やってたら潰れるぜ。そんなんじゃない、損をしたくないんだよ」



 久しぶりの煙草は上手い。正直、吸っていない時期は夢にまで出てきた。禁断症状って言うのはこういう事を言うんだろうな、クスリなんかに手は出せねぇな、と思ったものだ。



「お前が庶民なら、世界中の人間がみんな空中を飛んでるな。・・・拗ねるなよ。なるべく早く帰ってくるから。10月に入る迄にはきっと戻れると思う」



 電話の向こうの彼女はいつになく素直だ。目の前にいないから、意地を張らなくて済むのだろう。



「しばらくプー。羽を伸ばすよ。・・・・・・年下だからね。宮地が二浪ぐらいするなら話は別だけど?・・じゃ、俺の明晰な頭脳で追い付いてやるよ」



 クスクスと笑いながら答える。自分がこんな甘い台詞を吐けるなんて、思ってもいなかった。

 優しい言葉に女の子に様な顔、だけど礼の目つきは、まるで刃物の様に光っている。スレた表情で、彼は頭の片隅で感じていた。

 

 彼女とは逆に、電話で話すと、俺は冷静になっていく。



「じゃあな。向こうに着いたら電話するから。・・ああ。土産に何が欲しいか、調べとけよ」



 すると電話の向こうでとんでもない返事が返ってきた。返答の仕様が無く、溜息すらつくのが勿体無い。煙草の灰まで落としそうになる。



「時間が無い。切るぞ」


 生ぬるい目つきでそう言うと、彼女が珍しく、縋りついてきた。

 正確には、縋りつく一歩手前の声を出してきた。


 今まで冷めていた彼の心に、急に鮮やかに、彼女の笑顔が蘇ってきた。



「・・予定外だけど」



 灰が床に落ちるのも気付かず、彼は柔らかに笑った。



「結構幸せかも」



 本当に、予定外だった。相手も、自分の気持ちも。本音を言えば、このまま彼女を繋ぎとめておきたい。

 

 ああ、俺って幸せなんだ。



「じゃな。また10月に」


 

 電話を切って、煙草を灰皿に潰しながら思った。

 彼女は人情があるので友人としては最高だが、遠距離恋愛には向かないらしい。本人は気付いていないだろうが、2ヶ月はギリギリの限度だろう。何とかそれまでに、カタをつけたいところだな。


 携帯に視線を落とすと、再び電話をかけた。



「ああ、俺。今から乗るんだけど。・・あったよ、彼女の所に。戻って来ていた。・・・ああ。祖母がコソコソやってたけど、間違いないな。あの時だ。彼女のポケットから抜いていた。きっとそこにあったんだ。予想通りだ」



 今度の会話は、煙草片手に、といった姿勢では無い。

 椅子に浅く腰かけ、膝に肘を乗せ、考え深げに言った。



「・・・彼女は、あの女とやり合っている時に、何度か我を忘れていた。その時にアレを呼び寄せて、なおかつ支配されかかっていたんだと思う。そういう目を、していた」



 長い睫毛の瞳を、キュッと細める。

 そこには先程の様な気だるさも、甘さも無かった。無機質なまでの、硬質な瞳と雰囲気をまとっている。



「さあ。そこまで彼女は知らされていないからな、まだ。・・・勿論、そのつもり。残りは何処にあるのか分かったのか?・・・・分かってるよ。じゃあ、そっちに着いた時に」



 携帯を畳むと、しばらくそれを眺めた。

 それから足元のボストンバックを手に取ると、礼は搭乗ゲートに向かって行った。








 おまけ。

 リビングの机に突っ伏す義希と、向かいのソファで雑誌をめくっている智哉。

 智哉は先ほどから義希がウザくて堪らず、イラついている。



「・・・(帰って来なかった・・・)」

「結局さ、よっちゃんはどうしたい訳?」

「・・・分からない・・・俺ってどうしたいの?」


「(バカだ)あんたは人との距離が近すぎんだよ。近すぎて、自分でもこんがらかってきてんじゃない? そういうのって絶対幸せになれないよ?」


「うぉーっ! 幸せになりてぇっ!」

「それ、毎回言うよね。不幸だよねぇ、幸せ求めて、自ら色々泥沼作っちゃうんだから。見た目の可愛さだけじゃなくてさ、例えば、命かけてもいい女とか、人生捧げちゃってもいい女とか、そういう出会いや見方は出来ないの?」


「俺、惚れた女の子はみんな、命も人生も捧げちゃっていいと思ってんもん、毎回」

「(バカだ・・・そして不幸だ・・・)」







end



やっと終わりました。

こんなに長い話をお付き合い頂き、本当にありがとうございます。

このお話では、作者が色々と実験的な事をやってみました。凄く楽しかったですし、勉強になりました。


沢山の方々に読んでいただき、大変感謝しております。

ちょっとスッキリしない終わり方ですが、最後は礼クンのこのシーンで締めたかったのです。(おまけは省く)

真琴達のお話はまだまだ先がありますが、機会があれば続きを書いてみたいと思います。



次回は、少しお休みを頂いて、中編を書いてみます。

皆さま、お暇な時に是非、遊びに来て下さい。



このお話が、皆さまのお暇つぶしに役立った事を願っております。



戸理 葵



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