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第3話 精霊は嘘を知らない

 翌朝のギルドで、俺に紹介された仕事は「荷運び兼、雑用魔法使い」だった。


 北の坑道ダンジョンに入る調査隊の後方支援。灯りの維持、荷の防水、野営の結界。報酬は宮廷時代の日当の、およそ十二分の一である。


「文句あるか?」と窓口の職員は言った。


「ない。妥当な査定だ」


 現場経験二回(自称)の四十手前に、これ以上の値が付くほうがおかしい。俺は依頼書に署名した。十九年ぶりに、自分の値札を自分の目で見た気分だった。安いが、少なくとも本物の値段である。


 集合は昼、東門の乗合場。それまでに装備を整えろと言われ、俺は町へ出た。


 そして早々に、後悔した。


 喧騒というものを、俺は舐めていた。


 大通りは人と声で煮えていた。荷車が軋み、呼び込みが怒鳴り、子供が足の間を弾丸のように抜けていく。俺は十九年、王宮の書庫と研究室で暮らした男である。あそこでは羽ペンの音がうるさいと苦情が出る。人混みを三筋抜けただけで、俺は聖堂の儀式一回ぶんくらい消耗した。


「そこのお兄さん! 別嬪の姉さんが焼いた串だよ、食ってきな!」


 自分で自分を別嬪と言い張る店員に腕を掴まれ、気づけば俺は居酒屋の床几に座らされていた。まあいい。ちょうど空腹だった。


 運ばれてきたのは、麦粥と串焼きと汁物である。俺はいつも通り、粥の表面を匙で三度撫でて温度を確かめ、串の焼き加減を検分し、汁物の椀を両手で持ち上げて香りを——


「お兄さん!」


 別嬪(自称)が俺の卓を、ばんと叩いた。


「うちは回転が命なんだ! 拝んでないでさっさと食べとくれ! 昼の波が来ちまうだろ!」


「……食事とは、本来こう——」


「はいはい宮廷様は結構! ほら汁が冷める!」


 宮廷様、の一言は図星なので黙って食った。急いで食う麦粥は、味がよくわからなかった。だが周囲を見れば、職人も冒険者も皆、俺の三倍の速度で食い、食い終わった端から席を立っていく。彼らの一日は、俺の一日より目盛りが細かいのだ。ここでは俺の優雅が、他人の席を塞いでいる。


 勘定を払うとき、別嬪が串を一本、竹皮にくるんで俺の袋に突っ込んだ。


「怒鳴った詫び。……あんた、食べ方は貴族だけど、目は職人の目だね」


 どういう査定基準なのかは、ついにわからなかった。


 東門の乗合場で、俺は本日二度目のカルチャーショックを浴びた。


 乗合、と聞いて馬車を想像していた俺の前にいたのは、家一軒ほどもある六本足の獣だった。陸亀に似た、しかし毛深い巨獣の背に木造の客席が組まれ、そこに人が、詰まっていた。


 詰まっていた、としか言いようがない。


「奥へ詰めな! まだ乗るよ!」


 押し込まれた。右肩に商人の籠、左肩に冒険者の槍の柄、背中に誰かの子供の膝。俺の座標は他人の荷物によって定義され、呼吸のたびに三人と接触した。宮廷魔法使いの移動といえば、一人一台の馬車と決まっていた。普通の人々は、日々、これに乗っているのか。これに乗って働きに出て、あの速度で飯を食い、また乗って帰るのか。


 十九年、俺はいったいどこの国に住んでいたのだろう。


 巨獣がのそりと歩き出す。存外、揺れは少ない。感心していると、御者台のほうから、聞き慣れた気配がした。


 精霊だ。


 御者の老人の肩口に、風の精霊が一体、ゆらゆらと浮いている。


「精霊や、次の辻はどっちだ」「右でございます」「精霊や、峠の天気は」「晴れでございます」「精霊や、積み荷の縄は緩んでないか」「緩んでおりません」


 道案内に、天気見に、荷の点検。老人は歌うように問い、精霊は歌うように答える。乗客の誰も気に留めない。日常の風景なのだ。


 俺は、少しばかり職業的な興味で、その精霊を観察した。


 召喚維持の紋が、薄い。おそらく今朝から一度も送還していない。呼び出しっぱなしだ。そして問いの種類が、道、天気、荷、と見事にばらばらである。古典体系でいえば、一つの術式陣に無関係の命令を三系統書き込んでいるようなもの——


 待て。


 俺は姿勢を正した。古典体系では、それをやると術式が濁る。式の焦点が散って、成立しない。だが精霊は答え続けている。濁った式は、答えないのではなく——


 誤った答えを、返すのではないか?


「なあ、ご老人」俺は御者台に身を乗り出した。「その精霊、朝からずっとそのままかね」


「おう、うちのは働き者での」老人は自慢げに言った。「ま、夕方にゃちいと寝ぼけるがな。精霊様もお疲れになるんじゃろ」


「寝ぼける、とは」


「たまにな、変なことを言う。こないだは晴れと言うて土砂降りよ。はっはっは」


 周囲の乗客が笑った。「うちの水精霊もだよ」「塩と砂糖を間違えられた」「精霊様は嘘つきの日があるからねえ」「機嫌を損ねると駄目なのさ」「呼ぶ前に飴を舐めると当たるって聞いたよ」


 俺は笑えなかった。


 彼らは知っているのだ。精霊が時々、嘘をつくことを。知っていて、機嫌だの、飴だの、迷信の棚に仕舞って、使い続けている。仕組みを問う者が、一人もいない。屋根から雨漏りがするのに、雨の降る理由を誰も考えない。


 ぞっとする話である。同時に——これは俺の職業病だが——腹の底が、久々に熱くなった。


 誰も理論を持っていない。ならば、理論を持つ男の出番が、必ずどこかにある。


 その「どこか」は、思ったより早く来た。


 街道が川に突き当たった。春の川は雪解けで太り、渡し場の杭が水面すれすれに沈んでいる。御者の老人が、いつもの調子で歌った。


「精霊や、渡し場の深さは」


「膝下でございます」


「よし、渡るぞい」


 巨獣が水へ足を踏み出しかけた、その時。


「待て!」


 俺は叫んでいた。乗客がぎょっとしてこちらを見る。老人が振り返る。


「なんじゃ客人、精霊様が膝下と——」


「その精霊は今、答えられない問いに答えた」


 俺は水面を指さした。


「見ろ、杭の頭が沈みかけている。雪解けの増水だ。膝下のはずがない。……ご老人、あんたは毎日この道を通うな? 精霊への問いも、毎日同じだな?」


「そりゃ、まあ、毎日聞くが」


「その精霊は水を測っていない。あんたが百日繰り返した問答の、いちばん馴染んだ答えを返している。精霊とはそういうものだ。問われれば、真実ではなく、その場に最も馴染む言葉が湧く。朝から呼び通しで、問いを三系統も混ぜられて、式が濁りきった今は、なおさらだ」


 老人は、水面と俺を三度見比べた。それから念のため、と長い竿を水に立てた。


 竿は、老人の胸の高さまで沈んだ。


 客席が、ざわりとした。膝下と胸では、話が違う。荷を積んだ巨獣でも、足を取られかねない深さである。


「……上流の橋を回る」老人はぼそりと言って、巨獣の首を巡らせた。それから、横目で俺を見た。「客人。あんた、なんでわかった」


 乗客の視線が、いっせいに俺に集まった。串焼き屋で職人の目と言われた男は、答えた。


「型落ちの魔法使いでな。古い理屈しか知らんのだが——どうも精霊というのは、古い理屈の上を歩いておるらしい」


 老人はわかったようなわからないような顔で頷き、それから精霊を一度、ふっと送還した。呼び直された風の精霊は、心なしか輪郭が明るい。


「精霊や、上流の橋までどれほどだ」


「半刻でございます」


 今度の答えは、たぶん本当だろう。式は、まだ濁っていない。


 客席の子供が、俺の袖を引いた。


「おじちゃん、まほうつかいなの? すごいの?」


「型落ちだ」と俺は言った。「だが、型は知っている」


 巨獣は上流へ、のっそりと歩を進めた。俺は揺れる客席で、ギルドの依頼書を眺めた。荷運び兼、雑用魔法使い。日当は宮廷の十二分の一。


 ……この値札は近々、書き換わるかもしれない。


 俺を追放した男に、いい報告ができそうだ。


(第3話・了)

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