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私は春に咲き、あなたを忘れていく  作者: 九葉(くずは)


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第8話 騎士団長は謝らない

アルヴィンは怒るほど静かになり、禁書庫で私たちを見つけた時も声を荒らげなかったからこそ、余計に怖い。

「地上へ戻ります」

「まだ調べ終えていないわ」

「姫」

「逆咲きの記録が――」

「戻ります」

同じ言葉なのに、二度目は石壁まで冷えた気がした。春人が私の前へ出る。


「リリアは自分のことを調べてただけです」

「あなたには聞いていない」

「でも」

「春人」

肩の包帯に赤い染みが浮いている。市場の傷が開きかけていた。私は彼の袖を引いた。

「ここで剣を抜かせる趣味はないわ。行きましょう」


アルヴィンは剣を鞘へ戻した。抜くつもりがあったのかは分からない。私たちは母の冊子と写した記録を持って階段を上がった。

ノアは最後尾を歩き、見つからないよう焼けた紙片を私の記憶帳へ挟んだ。アルヴィンは気づいていたと思う。それでも何も言わなかった。



図書館の閲覧室へ戻ると、アルヴィンは扉の前に部下を立たせた。

「座れ」

命じられた春人が、警戒した顔で椅子へ腰を下ろす。アルヴィンは壁の救急箱を取り、春人の肩の包帯を解いた。傷の端が少し開き、赤い血が滲んでいる。


「自分でできます」

「片手で巻けば、また開く」

「俺のこと、嫌いなんじゃないんですか」

「信用していないだけだ」

消毒薬を含ませた布が傷へ触れ、春人の顔が歪んだ。

「痛っ。もう少し優しくできません?」

「市場へ出た時、優しさも置いてきた」


アルヴィンは手早く新しい包帯を巻いた。指の動きは正確で、傷へ余計な力をかけない。春人は文句を言いながらも、大人しく任せている。

「信用していない人間が血を流していても、放ってはおけないのね」

私が言うと、アルヴィンは包帯の端を結んだ。


「それが騎士の職務です」

「職務でなければ?」

彼の手が一瞬止まる。

「今は、職務の話をしています」


やはり、この人は謝らないし、余計な本音も簡単には言わない。ノアは扉のそばに立っていた。

「僕への処分は?」

「禁書庫の入口が壊れていた。お前は修理のため地下へ下りた。そう報告する」

「事実ではありません」

「報告とは、必要な事実を選んで書くものだ」

ノアは不思議そうに瞬いた。王宮で生きるこつを、騎士団長もよく知っているらしい。卓上には、母の診療録がある。


春の光の中で見ると、古い染みまでよく見えた。誰かの指跡か、乾いた薬か、それとも血か。

「説明してください」

アルヴィンが私を見る。


「見たとおりよ。自分の記憶を守る方法を探していたの」

「禁書庫への侵入は、王家の法に反します」

「自分の母がなぜ死んだか知ることも?」

彼の視線が、冊子の名で止まった。

「エレノア様の記録を見つけたのですか」

「知っていたのね」


アルヴィンは答えなかった。その沈黙だけで十分だった。

「母が肺の病で死んだという話は嘘だった。精霊姫候補として力を使わされ、私を忘れ、二十六歳で亡くなった」

「病を患っていたことも事実です」

「嘘に事実を混ぜれば、真実になると思って?」

「そうは申しません」

「では、謝る?」

アルヴィンの右眉が上がる。


「禁書庫へ入った件について、私から謝罪する理由はありません」

「本当に、あなたは謝らない人ね」

「謝罪で姫の安全は守れません」

腹が立った。けれど、いつもの決まり文句より声が掠れていた。春人が卓へ手をつく。

「安全って何ですか。何も知らせず、逃げ道も塞いで、死ぬまで木に力を吸わせるのが?」

「口を慎め」

「慎んだ言葉なら、聞くんですか」


アルヴィンの目が鋭くなる。

「あなたが現れてから、姫は二度も王宮を抜け出し、敵国の刃にさらされ、禁書庫へ侵入した。どれほど危険を増やしたか理解しているのか」

「私が決めたことよ」

私は割って入った。


「春人は鍵を受け取り、市場へ行き、ここへ入ることを選んだ。でも最初に選択肢を渡したのは私」

「あなたはご自分の命が国の命綱であることを理解していない」

アルヴィンの言葉が、まっすぐ胸へ刺さった。

「南部では春を待てず、三つの村が消えました。王都の備蓄は次の冬まで持たない。あなたに何かあれば、数万の民が飢えます」


反論できなかった。市場の女の子が持っていた豆を思い出す。春が来たから父親と畑へ蒔くのだと、嬉しそうに笑っていた。

私の命は私のものだ。それでも、あの子の明日とつながってしまっている。

「だから死ねっていうんですか」


春人が低く言った。

「一人に全部背負わせて、守るって言いながら、死ぬ場所まで連れていくんですか」

アルヴィンの手が、剣の柄をつかむ。私は二人の間へ入ろうとした。けれど彼が抜いたのは剣ではなく、ずっと飲み込んでいた息だった。


「私がどれほど、それを憎んでいると思っている」

初めて聞く声だった。怒鳴ってはいない。なのに、張り詰めていた何かが裂けた音に聞こえた。

アルヴィンは卓の端を握った。革手袋が軋む。


「私は十二歳の時、エレノア様の部屋の前に立っていました。夜ごと咳が聞こえた。医師を呼ぼうとしても、儀式前だから休ませろと言われた」

私は息を止めた。

「母を知っていたの?」

「小姓として、一年だけお仕えしました」


アルヴィンは母の名から目を逸らさない。

「最後にお会いした日、エレノア様は私の名を覚えていなかった。それでも笑って、娘を守ってほしいと仰った」

「それで騎士になったの」

「はい」

「なら、なぜ何も教えてくれなかったの?」

「教えれば、あなたは逃げようとする」

「当然でしょう」

「あなたが逃げれば春が来ない。国は飢え、追手が向かう。あなたを守る力のない少年だった私は、今度こそ正しく守れる立場が欲しかった」

彼は一度、目を閉じた。


「正しさに従っていれば、少なくともあなたが今日死ぬことはない」

今日。その言葉の向こうにある日を、誰も口にしなかった。春人の怒りは消えていない。

けれど詰め寄るのをやめた。


「それでも、間違ってると思います」

「承知しています」

「分かってて続けるんですか」

「代わりの方法がない限りは」

冷たい答えだった。同時に、泣き言よりずっと重かった。私は母の冊子を抱き寄せる。

「これは渡さないわ」

「王家機密です」

「母の遺したものよ」


アルヴィンは手を差し出したまま動かなかった。やがて、その手を下ろす。

「紛失した記録として報告します」

謝らない人の、謝罪の代わりだったのかもしれない。扉が叩かれた。入ってきた王妃付きの侍従が、深く一礼する。


「神谷春人殿。オルフェリア王妃陛下がお呼びです」

「俺だけ?」

「陛下は、そのように」

嫌な予感がした。春人が私を見る。私は止める理由を見つけられないまま、母の記録を強く抱きしめた。


あとがき


アルヴィンが抱えてきた矛盾と、謝罪ではない小さな譲歩が明らかになりました。皆さまは、代案がないまま任務を続けるアルヴィンを許せますか?

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