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私は春に咲き、あなたを忘れていく  作者: 九葉(くずは)


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第7話 禁書庫の少年

「逆咲きについて知りたいなら、禁書庫へ入る必要があります」

ノアはそう言って私たちに背を向けたものの、案内するとも、ついて来いとも言わない。相変わらず説明を省くことにかけては天才的だ。

「入れるの?」


私が尋ねると、彼は足を止めた。

「許可があれば入れます」

「許可はないわ」

「では、見つからなければ問題ありません」

「意外と悪い子ね、君」

春人が感心する。ノアは振り返りもせず答えた。


「十四歳です。子ども扱いは不快です」

「そこじゃないんだけど」

図書館の最奥には、誰も読まない王家の系譜が並んでいた。ノアは一冊を引き抜き、奥の金具へ指をかける。鈍い音がして、本棚がゆっくり横へ動いた。

冷たい空気が足元を撫でる。隠し階段は地下へ続いていた。


「先に言います」

ノアが小さな魔石灯へ火を入れる。

「中で何を見ても、大声を出さないでください。管理人に聞かれます」

「管理人がいるの?」

「鼠です」


春人が真顔になった。

「それは確かに怖いな」

私は先に階段を下りた。笑いそうになったからではない。たぶん。



禁書庫には、春が届いていなかった。石壁は湿り、棚からは古い紙と黴の匂いがする。天井が低く、春人は何度も頭をぶつけそうになっていた。

「肩は平気?」

「平気。頭のほうが危ない」

「元からなら治しようがないわね」

「心配して損したみたいに言うなよ」

ノアがこちらを見る。


「静かに」

二人で黙った。彼は迷いなく棚の間を進み、灰色の箱を引き出した。蓋には『散花終末記録・閲覧永久禁止』と赤い文字で記されている。

永久禁止のわりに、箱は少年一人で持てる場所へ置かれていた。


「禁じた人間は、誰にも読まれたくなかったのでしょう」

私の考えを読んだように、ノアが言う。

「でも捨てることもできなかった。記録を捨てれば、同じことを繰り返していると認める証拠まで消えますから」


箱の中には、薄い冊子が年代順に並んでいた。私は最も古い一冊を開く。最初の頁には、若い女性の肖像と名前があった。

満開の桜を背に、祭壇画のように穏やかに笑っている。次の頁から、文字が変わった。開花十六日目。

幼少期の記憶を消失。二十三日目。自分の侍女を認識できず、夜間に混乱。


三十一日目。水も飲めず、母の名を呼び続ける。最終頁には、たった一行。

――春の終わりとともに心拍停止。遺体は千年桜の根へ納めた。

公式の年代記には、こう書かれている。精霊姫は使命を果たし、安らかに桜へ還った、と。


「安らかになんて、どこにも書いていないわ」

声が掠れた。次の冊子も、その次も同じだった。忘れる順番だけが違う。

歌を失った人。歩き方を失った人。自分の名を何度も紙へ書き、最後にはその文字を読めなくなった人。


全員が春の終わりに死んでいる。

「眠るように亡くなった、と教えられていた」

「眠るように見えれば、苦しくないことになるの?」

春人の問いに、答えられなかった。私は記憶帳を開き、歴代の名前を写した。忘れたくないからではない。


忘れられたままにしたくなかった。春人も無事な右手で別の頁を書き写し始める。字は少し歪んでいたが、何も言わず続けた。

「これを」

ノアが最奥の一冊を差し出した。表紙に書かれた名を見て、呼吸が止まる。エレノア・セレフィリア。


私の母の名前だった。

「母は肺の病で亡くなったと聞いているわ」

「王宮の公式記録では、そうなっています」

冊子を開く。母は精霊姫候補だった。正式な継承前から、温室の凍結を防ぐため何度も力を使わされていた。


発熱。喀血。記憶の混濁。

それでも儀式は続けられた。最後の年には、自分に娘がいることを半日だけ忘れたと記されている。その娘は、私だ。

母について覚えていることは少ない。髪を梳く細い指。夜着に残った白い花の香り。


眠れない夜、私の名を何度も呼んでくれた声。あの声が本当に私のものだったのか、急に分からなくなった。母は私を見て、誰だろうと思った日があったのだ。

それでも抱きしめたのか。怖がらせないよう、知っているふりをしたのか。それとも、私のほうが何も気づかず笑っていたのか。

記録には書かれていない。


「母が私を忘れた日は、いつ?」

ノアは日付を答えた。迷いもせず、王暦と月と日まで。

「どうして覚えているの?」

「ここにある記録は、すべて読みました」

「すべて?」

「歴代精霊姫の名前と、亡くなった日も記憶しています」


ノアは古い冊子へ手を置いた。

「誰も読まなくなれば、記録がないのと同じですから」

平坦な声だった。けれど彼は、最初の冊子に描かれた女性の名をそっと口にした。次の一人も、その次も。


祈りではなく、出席を取るように淡々と。忘れられることを恐れているのは、私だけではないのかもしれない。

「ノア。今度から、私にも教えて」

「何をです」

「ここにいる人たちの名前を。私が忘れたら、また最初から」

少年はしばらく黙った。


「非効率です」

「そうね」

「ですが、拒否はしません」

紙の文字が滲んだ。泣いてはいない。指先から力が抜け、冊子が震えているだけだ。

「病気では、なかったの」


誰に尋ねたのか、自分でも分からない。ノアは無表情のまま答えた。

「病気でもありました。力を使わなければ、もっと長く生きた可能性があります」

可能性。人の母親を奪っておいて、なんて薄い言葉だろう。春人が手を伸ばしかけ、途中で止めた。


触れていいか迷っている。私は自分から、その手をつかんだ。温かかった。

それがかえって苦しい。

「あなたの世界には」


声を出すと、喉が痛んだ。

「こんなふうに死ぬ役目の人間がいるの?」

春人はすぐに答えなかった。


「いない」と言ってほしかったのかもしれない。そんな世界がどこかにあると信じたかった。

けれど春人は目を伏せた。

「分からない」

「分からないの?」

「誰かの犠牲で便利に暮らしてても、俺が見てなかっただけかもしれない。いないって言い切る資格がない」


正直で、役に立たない答えだった。だからこそ、信じられた。

「逆咲きの記録は?」

私はノアへ向き直る。彼は箱の底から、焼け焦げた紙片を取り出した。


『散りし命を根へ戻し、花を逆に咲かせる』

読めたのは、その一文だけだった。続きは黒く焼け、術の方法も代償も分からない。

「残りは別の禁書へ分けられた可能性があります」

「探すわ」

「危険です」

「今さらね」


私は母の冊子も持ち帰ろうとした。その時、隠し階段の上で重い音がした。本棚が動く。

足音が、一段ずつ地下へ近づいてくる。魔石灯の光の中へ、剣を下げたアルヴィンが姿を現した。彼の右眉は、今まで見たことがないほど高く上がっていた。


あとがき


美化された「桜への帰還」の裏で、歴代精霊姫とリリアの母が受けた現実が明らかになりました。春人の「分からない」という答えを、誠実だと思いますか?

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