第3話 私は親切な姫ではない
王妃は春人に誰も会わせるなと命じたが、その前には私を三日間の監視役にしている。命令同士が喧嘩をするなら、都合のいいほうへ味方するのが王宮で生きるこつだ。
「つまり、お見舞いではないのですね?」
ミナが籠へ焼きたてのパンを詰めながら尋ねた。
「ええ。事情聴取よ」
「林檎も入れます?」
「尋問には必要でしょう」
「蜂蜜漬けの木の実は?」
「なくても尋問はできるけれど、あれば正直になるかもしれないわ」
ミナは笑いをこらえながら、小瓶を布の間へ押し込んだ。私は親切で西塔へ行くのではない。あの男が千年桜を咲かせた理由を知りたいだけだ。
昨夜から何度もそう言い聞かせているのに、支度を終えた籠は、どう見ても遠足へ行く人の荷物だった。
「お嬢様」
ミナが蓋を閉じる。
「あの方、怖がっていましたね」
「春人が?」
「笑う回数が多すぎましたから」
私は返事をしなかった。気づいていた。剣へ手を伸ばしたアルヴィンを見て、春人の喉が固く動いたことも。
連れていかれる時、握った拳が震えていたことも。それでも彼は私の具合を尋ねた。そういう人を放っておくほど、私は薄情ではないらしい。
大変不本意だけれど。
◇
西塔は王宮の北端にある。罪を犯した貴族や、扱いの難しい賓客を閉じ込める場所だ。窓は狭く、春になっても石壁は冬の冷たさを抱えている。
塔の入口で、若い騎士が私を止めた。
「王妃陛下より、面会は禁じられております」
「私が春人の監視役であることは?」
「存じております。ですが昨夜、陛下が――」
「監視役の任を解くとは仰せにならなかったわ」
騎士の額に汗が浮かんだ。春だというのに気の毒なことだ。
「あなたが命令を選べないなら、責任は私が負います。扉を開けなさい」
「しかし……」
「私をここで待たせた時間も、報告書へ書くことになるけれど」
鍵束がすぐに差し出された。権力とは恐ろしい。使う側にいる時ほど、よく分かる。
私はミナを階段下に残し、一人で上がった。最上階の廊下には細い窓が並び、雪解け水の落ちる音が遠く聞こえる。扉を開くと、春人は寝台へ腰掛けていた。
「いらっしゃいませ。景色のいい部屋ですよ。壁と格子と、あと壁が見える」
軽い調子だった。けれど膝の上で組んだ手は、強く握り合わされている。右手で左手の震えを隠しているのだと、少し見れば分かった。
「ずいぶん元気そうね」
「元気です。さっきまで扉が勝手に開かないか、二十回くらい確認してました」
「十九回で諦める知性はなかったの?」
「二十回目だけ奇跡が起こるかもしれないだろ」
冗談を言ったあと、春人は私の顔をうかがった。
「それで、もう大丈夫?」
「私はあなたを助けに来たわけではないの。質問をしに来ただけよ」
「じゃあ、質問のついでに助けてくれると助かる」
「厚かましい人」
私は向かいの椅子へ座り、籠を卓上へ置いた。春人の視線が、籠へ吸い寄せられる。
「尋問にパンが出るんだ」
「必要がないなら持ち帰るわ」
「質問は何個でも答えます」
返事が早すぎて、思わず笑いそうになった。朝食は出されたはずだ。隅の盆には固い黒パンが半分残っている。
残したのではなく、後で食べるため布へ包んであった。次の食事が来るか分からなかったのだろう。私は籠の蓋を開けた。
温かい小麦の匂いが、冷えた部屋へ広がる。
「食べながらで構わないわ」
「ありがとう」
「尋問を円滑にするためよ」
「はいはい」
「返事は一度」
「はい」
春人は丸いパンを手に取り、一口かじった。急いで飲み込み、熱かったのか目を白黒させる。水差しを示すと、今度は慎重に口をつけた。
彼は籠の林檎を一つ取り、半分に割った。片方を当然のように私へ差し出す。
「あなたのために持ってきたのよ」
「俺だけ食べてると落ち着かない。それに、朝飯ちゃんと食べた?」
「尋問される側が、尋問する側の食事を心配するもの?」
「顔が白いから」
昨日から、そればかりだ。断るつもりだったのに、林檎からは春らしい甘い匂いがした。私は一切れだけ受け取る。
「これは証拠品の確認よ」
「毒見ってこと?」
「そう思いたければ」
噛むと、瑞々しい甘さが舌に広がった。春人は笑ったが、何も言わなかった。
「あなたの世界に、千年桜はあるの?」
「千年生きてる桜なら、たぶん。でも人の命で咲く木は知らない」
「昨日の光に、心当たりは?」
「全然。仕事帰りで、駅の階段を降りてた。気づいたら雪の上」
「仕事は、写真を撮ること?」
「撮る人の手伝い。照明運んだり、子どもを笑わせたり。俺はまだ、写真家じゃない」
最後だけ声が小さくなった。もっと尋ねたかったが、春人はそれを隠すようにパンをちぎった。
「今度は俺が聞いていい?」
「質問に答えるかは、内容によるわ」
「昨日、血を吐いてたよね」
指先が止まった。春人は笑っていなかった。
「桜が咲くと、私は少し弱るの。それだけよ」
「少し、で血が出る?」
「王国に春を呼ぶには、私の力が必要なの」
「力って、体力みたいに休めば戻る?」
「戻らないものもあるわ」
部屋の外で風が鳴った。どこまで話すべきか迷う。会って二日目の異邦人に、自分の寿命を聞かせる趣味はない。
「私は精霊姫として生まれた。桜を咲かせ、春を呼ぶために育てられたの。外出も、食事も、眠る時間も決められている。勝手に王宮を出れば罪になるわ」
春人は、かじりかけのパンを置いた。
「それなら、逃げればいいんじゃない?」
あまりに軽い言葉だった。胸の奥で、昨日とは違う熱が弾けた。
「逃げた後に、誰がこの国の春になるの?」
春人の目が見開かれる。
「雪に閉ざされた村には、冬を越す食料も残っていない。種を蒔けなければ、次の冬までにもっと多くが死ぬ。私一人が逃げたら、その人たちも一緒に逃げられるの?」
「いや、俺は、そこまで――」
「考えていなかったのでしょうね」
言い捨てて立ち上がる。春人は言い返さなかった。笑ってごまかしもしない。
ただ、卓の上で手を握り、震えを止めようとしていた。
「……ごめん」
掠れた声だった。
「俺、逃げるのは簡単だって、どこかで思ってた。自分がそうしてきたから」
聞き返す前に、彼は顔を伏せた。腹立たしさは消えなかった。それでも、謝罪まで踏みつけたいとは思えなかった。
「今日は帰るわ」
「リリア」
呼び止められても、振り返らない。
「パン、ありがとう。尋問でも、何でも」
私は扉の外へ出た。鍵をかけ、階段の下にいる騎士へ声を張る。
「鍵は私が王妃へ返します。春人の食事を、温かいものへ替えなさい」
「承知しました」
命令を一つ増やしてから、私は廊下を歩き出した。鍵の冷たさが、掌へ食い込む。三歩進み、足を止めた。
私は親切ではない。まして、無礼な異邦人を助けたいわけでもない。ただ、王宮の命令に従うかどうかくらい、彼自身が選べてもいいと思っただけだ。
扉の下には、指二本分の隙間がある。私は振り返らず、鍵を床へ落とした。石を打つ小さな音のあと、それを扉の内側へ滑らせた。
あとがき
素直になれないリリアが、春人へ「選べる鍵」を残した回でした。皆さまなら、春人の「逃げればいい」という言葉を許せますか?




