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私は春に咲き、あなたを忘れていく  作者: 九葉(くずは)


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17/24

第17話 王妃の古い傷

王妃の私蔵書庫には鍵が三つあり、私は一つ残らず開けさせた。

「逆咲きの記録を見せて」

オルフェリア叔母様は執務机から顔を上げた。


「どこで、その名を知りました」

「質問へ質問で返さないで」

私は焼けた紙片と、春人と作った調査計画を机へ置いた。

「春人を術者にするつもりはない。別の使い方を探しているわ。叔母様は、母を救おうとしたのでしょう?」


王妃の指が止まる。それだけで、答えになっていた。

「アルヴィンから聞いたの?」

「母の記録から考えた。叔母様が最初から個人の情を捨てられる人なら、逆咲きの資料を焼いてまで隠す必要はないもの」

「焼いたのは私ではありません」

「誰が?」

「先王です。あなたの祖父――私とエレノアの父」

叔母様は立ち上がり、壁の肖像画を外した。裏に小さな金庫がある。三つ目の鍵が回る。


中から出てきたのは、焦げた革表紙の手記だった。

「十三年前、王国を記録的な寒波が襲いました」

私は四歳だった。百年に一度の本当の春にはまだ早く、王宮は精霊姫候補の力を借りて温室と種子庫だけを暖める『借り春の儀』を行っていた。その術者が、母だった。


「エレノアは、もう限界でした。熱が下がらず、私の名前を忘れる日もあった」

叔母様の声は、王妃のものではなくなっていた。

「私は儀式を三週間遅らせ、逆咲きを試そうとした。父の許可なく禁書を集め、術者の代わりに火晶石を使った」

「成功したの?」

「いいえ」


火晶石は千年桜の根へ入った瞬間に砕け、母の身体からさらに力を奪った。借り春が遅れた三週間で、王宮の種子庫は半分凍った。北部の輸送路も閉ざされ、翌年の収穫は例年の三割。

飢えと病で、六千人以上が死んだ。

「父は、すべて私の責任だと言いました」


叔母様は、飢饉の冬に作られた臨時の遺体安置所を一つずつ回ったという。名の分かる死者は帳面へ記し、身元不明者には番号をつけた。凍った子どもの靴を見て吐き、翌日も同じ場所へ戻った。

「私は王女でした。命じれば、暖かい部屋で報告だけ聞くこともできた」

「なぜ行ったの?」

「自分が遅らせた三週間の意味を、見ないままにしたくなかった」

その後、叔母様は種子庫を三箇所へ分散し、輸送路へ中継倉庫を造り、村ごとの備蓄量を毎月報告させる制度を整えた。彼女の政治で救われた人は多い。同じ手で、私の自由は一つずつ削られた。


「二度と、情で儀式を遅らせないと決めました。誰か一人を選ぶたび、その向こうの数千人を思い出す」

「だから、最初から一人を人間として見ないことにしたの?」

叔母様の頬が強張る。

「私の食事も睡眠も管理し、逃げたいと言う前から扉を閉めた。そうすれば、迷わずに済むから」

「迷い続ければ国は滅びます」

「迷わない人が国を決めるほうが、私は怖いわ」

「叔母様一人の?」

「儀式を遅らせたのは私です」

「母へ限界まで力を使わせたのは?」


王妃は黙った。

「種子庫を一人の女性の力だけに頼る仕組みを作ったのは?」

答えはない。


「叔母様は失敗した。でも、その失敗を理由に、同じ仕組みを守り続けた」

「国を守るためです」

「違うわ」

私は机越しに叔母様を見る。

「あなたは国を守ったのではなく、自分が二度と後悔しない仕組みを守ってきただけよ」


王妃の顔から、初めて表情が消えた。

「個人を選んで失敗するのが怖いから、最初から個人を選ばない。私が死んでも、制度どおりなら自分を責めずに済むもの」

「黙りなさい」

低い声が落ちる。


「黙らないわ。叔母様が怖かったことも、六千人を忘れられないことも分かる。でも、その罰を私と春人へ払わせないで」

叔母様の手が震えていた。怒りか、悲しみかは分からない。

「エレノアは最後に、私へ感謝しました」

「何を?」

「もう逆咲きを試さなくてよいと決めたことを。これ以上、誰も死なせなくて済むと」

「それは母の本心だった?」


王妃は答えなかった。代わりに手記の最後へ挟まれた、小さな紙を差し出した。母の字だった。

――姉さま、もう試さなくていい。私のために誰かを根へしないで。

震えた筆跡で、それだけが残されている。


「母は春人を犠牲にする逆咲きを望まなかった」

「だから封じました」

「でも、別の方法までないとは書いていない」

私は紙を記憶帳へ挟んだ。叔母様が諦めた地点を、母の遺言そのものにはしたくなかった。母が本当に望んだことを、記録の文字だけではもう確かめられない。

けれど、千年桜には残っているかもしれない。



書庫を出ると、カイルが廊下で待っていた。

「盗み聞き?」

「王妃に呼ばれた。声が聞こえただけだ」

彼は大きな地図筒を持っている。


「帝国の精霊術資料を見せてほしいと言ったな」

会議室で地図を広げると、ヴェルグ北部が黒い線で塗られていた。永久凍土の南下。枯れた井戸。

閉鎖された鉱山。過去十年の死者数。


「帝国は火晶石を掘り、人工温室を動かしている」

「それなら、春の力は必要ないのでは?」

「火晶石は掘るだけでは使えない。人間の魔力を注いで点火する」

「誰が注ぐの?」

カイルの沈黙で分かった。囚人。借金を負った者。

身寄りのない者。一つの火晶石を十年動かすため、点火役は寿命を数年失う。


「廃止しようとしたが、代わりの熱源がない。止めれば、今冬だけで数万人が凍える」

「あなた自身は、点火役を選んだことがあるの?」

カイルは目を逸らさなかった。

「ある。三年前、鉱山火災を起こした囚人二十人を点火刑へ送る書類に署名した」

「全員が火災を起こしたの?」

「首謀者は三人。残りは命令に従った労働者だった」

「分かっていて署名したのね」

「温室を止めれば、帝都の孤児院から先に凍ると報告された」


カイルの指が、地図上の小さな鉱山町へ触れる。

「二十人のうち、今も生きているのは六人だ。私は毎月、点火場の医療報告を読んでいる」

「読めば、許されると思って?」

「思わない。だが、読まなければ次の署名が簡単になる」

王妃と同じようで、少し違う。二人とも犠牲を選んだ。王妃は迷いを制度の外へ追い出し、カイルは迷いを抱えたまま署名する。


どちらも、犠牲にされた人から見れば同じかもしれない。

「だから私を」

「あなたの春なら、点火役を減らせる」

カイルは地図の端を握った。


「一人を救うため、別の一人を燃料にする。私も、その計算に慣れすぎた」

私を帝国へ連れていっても、犠牲の人数が減るだけだ。仕組みそのものは残る。

「私一人が助かれば終わる話ではないのね」

「私の国も、あなたの国もな」


逆咲きで私を救い、春人を根にする。婚姻で帝国を救い、私を二つの国で使う。どちらも、犠牲にする人間を取り替えただけだ。

「春の仕組みそのものを変えなければ」

声にすると、途方もない。それでも、他に進む道はなかった。扉が開き、ノアが入ってきた。


いつもの無表情なのに、息を切らしている。

「千年桜の根を調べました」

彼は土のついた手を卓へ置いた。


「散った記憶は消えていません。歴代精霊姫の記憶は、すべて千年桜に蓄えられています」


あとがき


王妃とカイルが背負う過去から、犠牲者を替えるだけでは何も変わらないと判明しました。皆さまは、王妃の選択を理解できますか?

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