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私は春に咲き、あなたを忘れていく  作者: 九葉(くずは)


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16/24

第16話 助けたいのは、誰のため?

逆咲きの代償を知ってから、春人は三日間も私の前へ現れず、今度は私が避けられる側になった。文句を言える立場ではないが、図書館の席に彼の姿がないだけで落ち着かなかった。

「東客棟にもいません」

アルヴィンが報告する。


「王宮の外へ出たの?」

「門を通った記録はありません」

「では、どこに」

「旧温室かと」

知っているなら最初から言ってほしい。

「なぜそこだと思うの?」

「人目を避けたい者は、たいてい北庭へ行きます」

「経験者の言葉?」


アルヴィンは答えなかった。私は記憶帳と、焼けた逆咲きの紙片を持って北庭へ向かった。



旧温室は、火晶石が壊れてから使われていない。春が来た今も、硝子の半分は霜で白く曇っていた。枯れた鉢の間に、春人は座っている。

黒い上着を着て、両手を見つめていた。

「随分と見つけにくい場所を選んだのね」


春人が顔を上げる。

「どうしてここが」

「騎士団長は、隠れる場所に詳しいの」

私は彼から十歩離れた木箱へ座った。以前決めた距離を、春人は律儀に守っている。


「聞いていたんだろ。図書館で」

「気づいていたの?」

「途中で、桜の匂いがした」

精霊姫は隠密に向かないらしい。春人は手のひらを握る。

「俺が逆咲きを使えば、リリアは助かる」

「そうね」

「死ぬわけじゃない」

「人間ではなくなるわ」

「意識は残るらしい」


彼は霜の向こうを見る。

「それが一番怖い。何百年も動けず、話せず、でも考えることだけはできるかもしれない」

冗談を言わない春人の声は、ひどく若く聞こえた。


「写真も撮れない。母親に謝れない。リリアが俺を忘れても、木の中から見てるだけ」

「怖くて当然よ」

私は自分の記憶帳へ視線を落とした。

「私も、死ぬことだけが怖いのではないわ。目を覚まして、ミナの笑い方が分からなかった。市場の頁を読んでも、そこにいる私が他人に見えた」


春人が顔を上げる。

「身体が残っていても、私が私だと思えなくなる。あなたは心だけを木に残され、私は身体だけを残して中身を失うのかもしれない」

「同じだって言うの?」

「まったく同じではない。でも、怖さを比べて、どちらかを軽くする必要はないでしょう」

春人の握った手が少し開いた。


「俺、リリアに助かってほしい。でも、自分も失いたくない」

「それでいいの」

「両方ほしいって、わがままじゃない?」

「私たちは国のために片方を諦める話ばかり聞かされてきたもの。わがままくらいでちょうどいいわ」

「でも、俺は助けるって言った」

「言葉だけで命を差し出す契約にはならないわ」

「あんなに偉そうに、王宮は間違ってるって言ったのに。代償が自分になったら、足がすくんだ」

春人は笑おうとした。うまく笑えず、口元が歪む。

「最低だよな」

「安心したわ」

「え?」

「あなたが怖がってくれて、安心した」


春人は私を見る。

「簡単に命を捨てる人を、私は好きになったんじゃないもの」

言ってから、温室が静かになった。自分の鼓動だけが大きい。花びらが散る音はしなかった。


ここから千年桜は見えない。それでも胸は少し痛んだ。

「今、好きって」

「聞き間違いよ」

「いや、はっきり」

「話の要点はそこではないわ」

春人の目から、一粒だけ涙が落ちた。笑っているのか泣いているのか、もう分からない。


「俺、使えないって言ったら、リリアはどうする?」

「別の方法を探す」

「見つからなかったら?」

「それでも、あなたを根にしない」

「リリアが死ぬかもしれない」

「だからといって、あなたがあなたでなくなればいい理由にはならないわ」

私は焼けた紙片を掲げた。

「逆咲きの記録は欠けている。術式の全容も、歴代精霊姫の記憶をどう扱うかも書かれていない。王宮が隠した部分に、別の道があるかもしれない」

「なかったら?」

「同じ質問を何度もしないで」

「答えが怖いから」


正直な言葉だった。

「なければ、その時また二人で考える。でも、一人で勝手に儀式を使うことは許さない」

「命令?」

「お願いよ」

春人は黙った。やがて、小さく頷く。


「分かった。一人では決めない」

「私も約束する。あなたへ黙って諦めない」

それがどれほど守るのが難しい約束か、二人とも知っていた。私は記憶帳から白紙を一枚外し、木箱の上へ広げた。

「では、探す場所を決めましょう」

「今から?」

「泣くだけで解決するなら、王宮はもっと早く滅びているわ」


紙の中央へ『逆咲き』と書く。一つ目。王妃の私蔵記録。

母を救おうとした叔母なら、禁書庫にない資料を持っている可能性がある。二つ目。ヴェルグ帝国の精霊術資料。

カイルは春の力を調べてきた。王宮と違う記録があるかもしれない。三つ目。


千年桜そのもの。歴代精霊姫の記憶が花へ移るなら、根にも何か残っているはずだ。春人が紙を覗き込む。

十歩の距離があるので、字はほとんど見えない。

「そこから読める?」

「無理」

「では、私が読み上げるわ」

「隣で書きたいけどな」

「今は我慢して」


春人は枯れた鉢の縁へ、自分の考えを指で書くふりをした。

「四つ目。俺が来た時のこと。千年桜がどうして俺を選んだか」

私は紙へ書き足す。


「採用します」

「ありがとうございます、姫様」

「返事だけは立派ね」

二人で作った最初の調査計画だった。



温室の外では、春の雨が降り始めた。硝子屋根を叩く音が、次第に強くなる。春人は十歩先にいる。

抱きしめることも、手を取ることもできない。

「近くに行ってもいい?」


彼が尋ねる。私は首を横に振った。

「今日は、このままで」

「うん」

春人は動かなかった。その距離が悲しくて、ありがたかった。


「俺、本当はリリアを助けたいんじゃなくて、リリアがいなくなる自分を助けたいだけかもしれない」

雨音に消えそうな声だった。

「それでも、助けたい気持ちは嘘ではないでしょう」

「分からない」

「なら、分かるまで考えなさい。私も考えるわ」

「リリアは何のために自分を助けたい?」


すぐには答えられなかった。死にたくないから。忘れたくないから。

王国の道具のまま終わりたくないから。そして、春人にもう一度会いたいと思う明日が欲しいから。

「まだ、全部は分からない」

「そっか」

「でも、誰かを犠牲にして生きたいわけではない。それだけは分かる」


春人は顔を覆った。肩が震えている。私は十歩先で泣いた。

触れないまま、同じ雨音を聞いた。



部屋へ戻り、記憶帳を開く。

『忘れたくない人』と書いた頁の下へ、新しい一行を加えた。

――逆咲きは春人を千年桜の根に変える。絶対に一人で使わせない。

さらに、その下へ書く。


――春人を救う方法を探す。

自分を救うためだけに始めた記録へ、初めて別の人の未来を書いた。


あとがき


リリアは春人の恐怖を否定せず、二人とも犠牲にしない方法を探すと決めました。皆さまは、春人が逆咲きを怖がったことを弱さだと思いますか?

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