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私は春に咲き、あなたを忘れていく  作者: 九葉(くずは)


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第13話 雪国の皇子は笑わない

カイル・ヴェルグ皇子は、春の王都へ冬を連れてきたような人だった。銀灰色の髪と青い瞳に黒い礼装をまとい、謁見の間へ入ってから一度も笑わない。

「ヴェルグ帝国第三皇子、カイル・ヴェルグ。セレフィリア王家へ敬意を」

彼は無駄のない動きで礼をした。背後には帝国の使節と、封をされた木箱が並んでいる。蓋が開けられると、小麦、豆、乾燥肉、薬草が姿を見せた。


冬の終わりに最も価値のあるものばかりだ。王国の重臣たちから、低い感嘆の声が上がる。

「まず、市場で起きた襲撃について謝罪する」

カイルは私をまっすぐ見た。


「あれは帝国軍の命令ではない」

「黒い狼の印を見たわ」

「十二年前まで使われていた隠密局の印だ。現在は廃止されている」

「廃止した刺青が、皮膚から消えるとは知らなかったわ」

謁見の間が静まる。カイルの目が、ほんの少し細くなった。

「もっともな指摘だ。男の一人を国境で拘束した。私の叔父にあたる北方公の私兵だった」


使節が一通の命令書を差し出す。精霊姫を生け捕りにし、帝国へ運ぶこと。成功すれば爵位を与える。

署名も封蝋も本物だという。

「叔父上を処罰するの?」

「帰国後、軍法会議へかける。皇族だからと免責はしない」


カイルは弁明しなかった。国の責任ではないとも言わない。

「証拠を渡せば、帝国の恥になるでしょう」

「隠せば、次の刃があなたへ向かう。恥より不利益が大きい」

誠実なのか、冷たいだけなのか判別しにくい人だ。


「謝罪は受け取ります。許すかは、処分を見てから決めるわ」

「合理的だ」

褒められた気はしなかった。王妃が話を先へ進める。

「婚約の申し入れについて伺いましょう」


カイルの従者が、青い革表紙の条約案を卓上へ置いた。

「セレフィリアへ三年間、毎年二万樽の穀物を供給する。温室用の火晶石を五百基。農具と寒冷地用の種子も送る」

重臣たちの表情が変わった。二万樽あれば、今年の凶作を補える。火晶石があれば、次の冬に温室を閉じずに済む。


「見返りは?」

尋ねると、カイルはためらわなかった。

「あなたとの婚姻。そして春の力を帝国にも分けること」

「分ける、とは便利な言葉ね」


私は条約案を開いた。帝国領内で年二回、雪解けの儀式を行う。必要に応じ、皇帝の許可する土地で追加儀式を行う。

精霊姫の健康状態により実施困難な場合は、両国で協議する。私の同意については、一言もない。

「追加儀式の上限は?」

「定めていない」

「健康状態を判断する医師は?」

「両国から一人ずつ」

「私が拒否した場合は?」

「条文にない」

「では、書き直して」


重臣の一人が息を呑んだ。

「リリア様、これは国家間の――」

「私の身体を使う条約でしょう。本人の拒否権も、儀式回数の上限もないものへ署名はしません」

カイルは私を見たまま、従者へ手を出した。


「筆を」

その場で余白へ追記する。年二回を上限とする。追加儀式にはリリア本人の書面による同意を要する。

両国の医師の一人でも危険と判断すれば中止する。


「これで?」

「最低限ね」

「交渉できる相手で安心した」

やはり笑わない。

「人形のほうが都合がよかったのではなくて?」

「人形は署名できても、冬を越す判断はできない」


その答えだけは、少し意外だった。



会談は、小広間へ場所を移して続いた。春人は私から十歩離れ、アルヴィンの隣に立っている。正式な身分がないため席はない。

それでも異界召喚の関係者として、王妃が同席を許した。私たちの間の十歩が、今日はひどく遠い。

「婚姻後、リリア様は帝国へ移られるのですか」


アルヴィンが尋ねる。

「春と冬で両国を行き来してもらう」

「物のように言わないで」

「では、あなたはどのように生きたい?」

カイルの問いに、言葉が詰まる。王宮の外で暮らしたい。市場へ行きたい。


春人と手をつなぎたい。どれも条約の席で口にすれば、国より自分を選ぶ幼い願いにされる。

「少なくとも、儀式の予定表としては生きたくないわ」

「なら、予定を決める側になればいい。帝国はあなたへ、春政院の共同議決権を与える」

カイルは私を飾りとして迎えるつもりではないらしい。だからこそ、断ることが難しくなる。春人が口を開いた。


「リリアが何回力を使えば死ぬか、知ってるんですか」

重臣たちが彼を見る。

「正確には知らない」


カイルは答えた。

「では、食べ物と引き換えに死ねって言ってるのと同じだ」

「君は彼女に何を与えられる?」

春人が黙る。


「愛など、飢えた子どもの腹を満たさない。帰る場所さえ定まらない君が、二つの国の冬を引き受けられるのか」

「愛だなんて、俺はまだ――」

春人は言葉を切った。否定されるより、言い切れないことが痛かった。私はカイルへ向き直る。

「あなたは私を愛する気があるの?」


今度はカイルが少し黙った。

「努力はする。国のために」

「正直ね」

「愛していると嘘をつくほうが好みか?」

「いいえ」

愛する努力をする。それは、優しい言葉より残酷だった。彼にとって私も国も、努力して守る対象なのだろう。


個人の感情がなくても責任は果たす。その姿は、どこか王妃に似ている。

「今日は決められません」

私は条約案を閉じた。


「精霊姫の寿命、逆咲き、帝国の強硬派。確認することが多すぎるわ」

「時間はない」

カイルの声が初めて揺れた。

「帝国北部では、今月だけで二百人が凍死した。次の冬を待てない」


彼もまた、国を背負っている。分かるからこそ、すぐに頷きたくなかった。

「それでも、私の人生を今日中に決める理由にはならないわ」

王妃が立ち上がった。


「国家としての判断は、私が下します」

嫌な予感がした。

「オルフェリア叔母様」

「食糧支援を失えば、セレフィリアは来冬を越せません。条約の細部は調整します」


叔母はカイルへ向き直る。

「王家は、婚約の申し入れを受諾します」

重臣たちから安堵の息が漏れた。春人の拳が強く握られる。私は、カイルだけを見た。


「あなたは、これで満足?」

「交渉を続ける資格は得た」

「私が同意していないのに?」

「王家は受諾した。あなたはしていない。その二つを同じとは扱わない」

小広間が再び静まる。王妃の目が鋭くなった。

「カイル殿下。国家間の婚約です」

「だからこそ、本人の同意がない事実を隠せば、後で条約全体の瑕疵になる」


愛ではなく、制度の言葉だった。それでも、私の『いいえ』が消されなかったことに少しだけ息ができた。

「婚約を取り下げる気はない」

カイルは私へ告げる。


「食糧支援も予定どおり始める。あなたが拒むなら、二つの国が納得する別案を示してほしい」

「随分と重い宿題ね」

「私も同じ宿題を負う」

彼はやはり笑わなかった。婚約は受諾された。けれど、私の返事はまだ終わっていない。


あとがき


国を救う現実的な条件と、リリア個人の意思が正面から衝突しました。皆さまは、カイルの「努力はする」という答えを誠実だと思いますか?

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