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罪都の簿記官 ―弱みを資源に、帝国を買い取る  作者: 桜庭ユウト


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第9話 「国家安全保障」

 灰色街区が安定してから、一か月。


 黒字は継続している。


 だが、それは静かな湖面のようなものだった。


 その下で、何かが動いている。


 最初に異変に気づいたのは、ミレイアだった。


「カイさん」


 小柄な少女が、帳場の横で囁く。


「最近、同じ男の人をよく見ます」


「どの辺りで」


「路地の角と、酒場の奥。それと倉庫の近く」


 カイは顔を上げた。


「特徴は」


「背が高くて、灰色の外套。目が、笑ってない」


 笑っていない目。


 諜報の匂いがする。


「ありがとう。引き続き観察を」


 ミレイアは小さく頷く。


 彼女は灰色街区で育った孤児だ。


 人の視線と足音を読むのがうまい。


 夜。


 その男は再び現れた。


 灰色の外套。


 歩き方に無駄がない。


 カイは路地の陰から観察する。


 男は酒場に入り、誰とも話さず、ただ空間を眺める。


 情報収集。


 露骨ではない。


 だが明確だ。


「接触しますか」


 背後でルシアが低く言う。


「いえ」


「放置?」


「向こうが動くのを待ちます」


 数日後。


 正式な通達が届いた。


 財務局ではない。


 帝国諜報部。


 灰色街区が“国家安全保障上の監視対象”に指定されたという。


「……安全保障?」


 ルシアが呆然とする。


「娼館が?」


「娼館ではありません」


 カイは静かに言う。


「情報網です」


 灰色街区は今や、軍関係者、商人、貴族の噂が集まる場所になっている。


 それはつまり、国家機密が流れる可能性があるということ。


 数日後。


 灰色街区に一人の女が現れた。


 軍服に身を包み、銀色の髪を短く切り揃えている。


 視線は冷たいが、どこか整いすぎている。


「帝国諜報部 少佐、イリス・ヴァルド」


 名乗る声は澄んでいた。


「灰色街区の監査に来ました」


 ルシアが前に出る。


「監査なら財務局がやったばかりよ」


「財務ではなく、情報の監査です」


 イリスの視線が、ゆっくりとカイへ向く。


「あなたが、カイ・ヴェルナー」


「はい」


「噂は聞いています」


 その目には、好奇心も敵意もない。


 ただ観察。


「灰色街区は、急速に経済成長を遂げている」


「健全化しただけです」


「健全化は、国家の管理下で行われるべきです」


 カイは微笑む。


「合法的に行っています」


「合法と安全は別です」


 イリスは一歩近づく。


「あなたの黒字は、帝国の戦費に影響を与えている」


 ルシアが眉をひそめる。


「どういう意味?」


「灰色街区からの徴税が減少した結果、軍需予算に再配分が発生している」


 カイの目がわずかに細まる。


「規定通りです」


「規定は、戦時下では柔軟に解釈されます」


 イリスは淡々と告げる。


「帝国は北方戦線を維持している。あなたの再計算が、その維持を妨げる可能性がある」


 初めて。


 カイの思考がわずかに止まる。


 灰色街区の黒字は正しい。


 だが、その結果として軍の予算が削られた?


「数字を見せてください」


 カイは言う。


「国家機密です」


「ならば議論は成立しません」


 イリスの口元がわずかに動く。


「成立させる必要はありません」


 沈黙。


 空気が冷える。


 カイは視線を逸らさない。


「少佐。あなたは灰色街区をどうしたい」


「国家管理下に置く」


「接収ですか」


「協力です」


 言葉は柔らかい。


 だが実質は同じだ。


「拒否した場合」


「国家は必要な措置を取る」


 ルシアの手が拳になる。


 だがカイは静かだ。


「契約を」


「何?」


「諜報監査協力契約です。範囲と条件を明記する」


 イリスは一瞬だけ沈黙した。


 その目は、初めてわずかに揺れた。


「あなたは、国家に契約を求めるのですか」


「国家も法に縛られます」


「理想論ですね」


「計算です」


 イリスはゆっくりと頷く。


「面白い」


 契約書が交わされる。


 署名。


 その瞬間。


 カイは息を止めた。


 ――何も見えない。


 黒い数列が、浮かばない。


 揺らぎすらない。


 ゼロではない。


 “認識できない”。


 イリスは罪を罪と認識していない。


 あるいは、本当に自覚がない。


「……」


「どうしました」


「問題ありません」


 だが、内心は揺れている。


 初めてだ。


 能力が、役に立たない。


 イリスは書類をまとめる。


「灰色街区は監視下に置かれます」


「承知しました」


「あなたは、国家にとって有用か、危険か」


 彼女は淡々と続ける。


「いずれ判断される」


 去っていく背中。


 ルシアが低く言う。


「嫌な女ね」


「ええ」


「どうするの」


 カイは窓の外を見る。


 灰色の空。


 帝都。


「初めて、読めない相手に会いました」


「勝てるの?」


 沈黙。


「分かりません」


 それは、この物語で初めての言葉だった。


 灰色街区は安定した。


 だが国家が動いた。


 そして主人公の能力は、通じない相手に出会った。


 帝国の帳簿は、想像以上に複雑だ。


 カイは静かに呟く。


「再計算が、必要だ」


 だがその計算式は、まだ見えていない。


本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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