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罪都の簿記官 ―弱みを資源に、帝国を買い取る  作者: 桜庭ユウト


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第8話 「貸借、第一段階」

 ベルク商会の妨害が止まってから、灰色街区は目に見えて落ち着いた。


 火災は再発せず、商会との取引も安定。

 徴税官ガルドも規定通りの額しか取りに来ない。


 数字は整った。


 少なくとも、この区域だけは。


「……本当に、黒字だわ」


 ルシアが帳簿を閉じる。


 その表情には、わずかな安堵があった。


「三か月連続黒字。取り分も固定。従業員の離脱も減った」


「灰色街区は“危険区域”から“安定区域”へ変わりつつあります」


 カイは淡々と答える。


「安定区域、ね」


「帝都経済の一部として扱われる基準です」


 ルシアは椅子にもたれ、天井を見上げた。


「あなたが来るまで、毎月が綱渡りだった」


「今も綱渡りです」


「どういう意味?」


 カイは静かに地図へ歩く。


 灰色街区を指でなぞり、そのまま帝都中心部へと線を引く。


「灰色街区は安定した。商会とも繋がった。徴税も正常化した」


「ええ」


「だが、帝都財務局の収支は変わっていない」


 沈黙。


「つまり?」


「我々の黒字は、帝国の赤字の一部を埋めただけです」


 ルシアは小さく息を呑む。


「……まだ足りないの?」


「まったく」


 そのとき、部下が駆け込んできた。


「姐さん! 財務局から通達です!」


 差し出された封書。


 赤い封蝋。


 ルシアが破る。


「……特別監査」


 カイは表情を変えない。


「来ましたね」


「“灰色街区の急激な経済成長は、帝国経済に影響を与える可能性があるため調査対象とする”」


「予想通りです」


「予想通りって……」


 ルシアが苛立つ。


「私たち、何も悪いことしてない!」


「ええ。だから調査される」


「は?」


「腐敗構造は、健全な数字を嫌います」


 ルシアは封書を握りしめる。


「どうするの」


「迎え撃ちます」


「どうやって」


 カイは机の引き出しから、一冊の帳簿を取り出す。


 灰色街区の収支推移。


 徴税官ガルドとの再計算記録。


 商会契約書。


「すべて合法です」


「でも向こうは権力がある」


「だからこそ」


 カイは静かに言う。


「財務局と契約を結びます」


「……正気?」


「特別監査協力契約です」


 ルシアは絶句する。


「相手は国家よ?」


「国家も、契約に縛られます」


 数日後。


 財務局特別監査官ヴォルフが再び灰色街区に現れた。


「調査のため、帳簿を確認させていただきます」


「もちろん」


 カイは穏やかに応じる。


「その前に、協力契約を」


 ヴォルフが目を細める。


「契約?」


「監査内容、範囲、期間を明記する必要があります」


「帝国を信用しないと?」


「双方の信用のためです」


 静かな睨み合い。


 やがてヴォルフは微笑んだ。


「いいでしょう」


 契約書が交わされる。


 署名。


 その瞬間。


 視界が、かつてないほど揺れた。


 黒い数列。


 巨大。


 個人の罪ではない。


 財務局全体の負債。


 ――数千万リル。


 カイの呼吸が一瞬止まる。


 頭痛。


 強烈な圧。


「……」


「どうしました?」


 ヴォルフの声。


「問題ありません」


 カイは平静を装う。


 だが理解した。


 帝国は、想像以上に深く腐っている。


 ヴォルフの背後に揺れる影。


 そしてさらに、その奥。


 ハイゼン議員。


 その名が、ぼんやりと浮かぶ。


 監査は形式的に終わった。


 帳簿は完璧。


 違法性なし。


「見事です」


 ヴォルフは言う。


「灰色街区は、合法的に黒字」


「はい」


「ですが」


 彼はわずかに身を乗り出す。


「帝国の帳簿は、あなたが思うほど単純ではない」


「承知しています」


「深入りは危険です」


「計算を止める気はありません」


 ヴォルフは小さく笑った。


「いずれ、あなたは選ばれます」


「何に」


「帝国側か、敵側か」


 カイは即答する。


「私は、帳簿側です」


 ヴォルフは初めて、わずかに驚いた顔をした。


 去っていく背中。


 扉が閉まる。


 ルシアが駆け寄る。


「大丈夫?」


「ええ」


 だが頭痛は消えない。


 巨大な数列が、脳裏に焼き付いている。


 帝国は破産している。


 それは確信に変わった。


「……これで終わり?」


 ルシアが問う。


「いいえ」


 カイはゆっくり立ち上がる。


「これが第一段階です」


「第一?」


「灰色街区は安定した。商会とも繋がった。財務局とも契約した」


 彼は窓の外を見る。


 灰色の空。


 帝都。


「次は、財務局内部の再計算」


 ルシアは小さく笑う。


「あなた、本気で帝国を相手にするのね」


「帝国を相手にするのではありません」


 カイは静かに言う。


「帝国の貸借を取るだけです」


 視界の奥で、巨大な黒い数列が揺れる。


 まだ触れられない。


 だが、もう恐れはない。


 灰色街区は足場になった。


 契約は武器になった。


 黒字は盾になった。


 そして、罪は通貨だ。


 カイは心の中で、最初の計算を確定させる。


 灰色街区、黒字化完了。


 貸借、第一段階。


 帝国再計算、開始。


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