表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
罪都の簿記官 ―弱みを資源に、帝国を買い取る  作者: 桜庭ユウト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/25

第3話 「灰色街区の貸借」

 灰色街区の中心にある黒薔薇連盟の建物は、外から見るとただの古びた石造りの宿にしか見えない。


 だが中に入れば、空気が違う。


 香の匂いと酒の匂いが混ざり、笑い声と囁き声が交錯する。階段を上がる兵士、廊下を歩く商人、帳場で金を数える女。


 金は、ここでは生き物だ。


「こっちよ」


 ルシアが奥の部屋へと案内する。


 扉を閉めると、喧騒が遠ざかった。


 机と椅子、簡素な棚。壁にはこの街区の地図が貼られている。黒薔薇、白百合、そしてその他の小さな印。


「さて、簿記官」


 ルシアが椅子に腰を下ろし、腕を組んだ。


「帳簿を見せろって言ったわね」


「はい」


「どうして?」


 試すような目。


 カイは視線を逸らさない。


「あなた方は儲かっているようで、儲かっていない」


「随分な言い草ね」


「先ほどの抗争が証拠です。資金に余裕があれば、三割で揉めません」


 ルシアは数秒黙り、やがて棚から分厚い帳簿を取り出した。


「いいわ。見なさい。ただし、外に漏らしたら殺す」


「合理的な判断です」


 机に広げられた帳簿。


 収入、支出、従業員給与、上納金。


 カイは頁を繰る。


 数字が流れ込んでくる。


 やはりだ。


 客数は減少傾向。軍関係者は増えているが、一般客は減っている。理由は単純。帝都中心部に新しい娼館ができた。


「帝都中心部に客を取られている」


「……分かる?」


「数字が語っています」


 ルシアは机に肘をつき、顎を乗せた。


「じゃあ、どうするの」


「二つ提案があります」


 カイは空白の紙を引き寄せ、簡易的な収支表を書き始める。


「ひとつ。料金体系の再編。兵士向けの短時間低価格コースを導入する」


「質が落ちるわ」


「回転率が上がります。単価が下がっても総収入は増える」


 数字を書き込みながら説明する。


「もうひとつは、徴税対策です」


 ルシアの目が鋭くなった。


「そこに触れるの」


「触れなければ黒字になりません」


 帳簿の中に、毎月一定額の“雑費”がある。


 だがその額が、徴税記録と一致していない。


「あなた方は正規税以上に払っている」


「……何ですって?」


「徴税官が上乗せしている」


 静かな沈黙。


 ルシアの視線が帳簿とカイを行き来する。


「証拠は」


「まだありません。ですが、計算が合わない」


 カイは顔を上げた。


「徴税官と契約を結ばせてください」


「正気?」


「合法的に減額できます」


「どうやって」


 カイは一瞬だけ考え、そして言った。


「彼の罪を使います」


 言葉を選びながら。


「……あなた、本当に何者?」


「帳簿を読む人間です」


 ルシアはしばらく彼を見つめ、やがて小さく笑った。


「面白いわね。いいわ、やってみなさい。ただし失敗したら――」


「追い出しますか」


「違う。あなたも徴税官も、両方消す」


 合理的だ。


「承知しました」


 その夜。


 徴税官は予定通り灰色街区に現れた。


 名はガルド。


 肥えた身体に高価な外套。護衛を二人連れている。


「今月分だ」


 机に置かれた袋。


 金貨の音が鈍く響く。


 ルシアが無言で受け取る。


 カイは一歩前に出た。


「少しよろしいでしょうか」


 ガルドが眉をひそめる。


「誰だ」


「帳簿担当です。徴税額について確認を」


「確認? 額は決まっている」


「帝都財務局の規定では、灰色街区は三割課税のはず」


 ガルドの背後で、黒い数値が揺れた。


 契約はまだない。


 だから見えない。


「だが特別区域は四割だ」


「特別区域指定の書類を拝見したい」


「……」


 ガルドの視線がわずかに泳ぐ。


 ルシアが横目でカイを見る。


「契約を」


 カイは静かに言った。


「次月以降の徴税額について、再確認の契約を交わしましょう」


「契約?」


「文書で。双方署名の上で」


 徴税官は一瞬ためらったが、やがて鼻で笑った。


「いいだろう。どうせ額は変わらん」


 紙とペンが用意される。


 カイは条文を書き、双方の署名を促す。


 ガルドが署名した瞬間。


 視界が開けた。


 黒い数列が、はっきりと浮かび上がる。


 ――十二万リル。


 自覚ある横領。


 毎月、灰色街区から抜いている。


「……やはり」


 カイは小さく呟いた。


「何だ?」


「規定以上の徴収を行っていますね」


「何を言っている」


「帝都財務局に提出されている記録は三割。残り一割は、あなたの私財」


 ガルドの顔色が変わる。


「証拠は!」


「いま交わした契約書に、徴税額の確認条項があります」


 カイは穏やかに続ける。


「この契約を帝都財務局に提出すれば、あなたの提出書類との不一致が明らかになる」


 沈黙。


 護衛がざわつく。


「……脅しているのか」


「いいえ。再計算です」


 カイは机に新しい収支表を置いた。


「規定通り三割に戻す。それであなたの罪は外に出ない」


 ガルドの背後の数値が激しく揺れる。


 彼は理解している。


 自分が罪を犯していると。


「……三割でいい」


 低く絞り出すような声。


「次月からだ」


「今月分も再計算を」


 数秒の睨み合い。


 やがて、ガルドは袋を一つ差し出した。


「余剰分だ」


 ルシアが無言で受け取る。


 徴税官は足早に去っていった。


 扉が閉まり、静寂が戻る。


 ルシアがカイを見る。


「……本当に、何者なの」


「帳簿を合わせただけです」


「合わせすぎよ」


 彼女は袋を開け、中の金貨を机に広げた。


「灰色街区は助かったわ」


「一時的にです」


「どういう意味?」


 カイは窓の外を見る。


 雨は止んでいる。


「帝国全体の収支が狂っています。灰色街区だけ整えても、いずれ圧が来る」


「圧?」


「もっと上から」


 彼の視界の端で、街区全体を覆う黒い影がうごめいた。


 まだはっきりとは見えない。


 だが確実にある。


 大きな罪。


「……面白いわ」


 ルシアが笑う。


「じゃあ次は?」


 カイは静かに答えた。


「灰色街区の完全黒字化です」


「その先は?」


 彼は一瞬だけ考え、そして言った。


「帝国の再計算」


 ルシアは目を細めた。


「大きく出たわね」


「帳簿は、全体で見なければ意味がありません」


 机の上の金貨が光る。


 小さな勝利。


 だが、これは始まりに過ぎない。


 帝国は巨大な帳簿だ。


 そしてその負債は、まだ誰も精算していない。


 カイは心の奥で静かに呟く。


 貸借は、必ず取る。


 そのために、まずはこの灰色街区から。


本話もお読みいただき、ありがとうございました!


少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、

ブックマーク や 評価 をお願いします。


応援が励みになります!


これからもどうぞよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ