第13話 「灰色の裏切り」
迷いは、数字に表れる。
灰色街区の収支は黒字を維持している。
だが情報の質が落ちていた。
軍関係者の会話が減っている。
商人たちも慎重になった。
「監視のせいだけじゃない」
カイは呟く。
「情報が漏れている」
ルシアが眉をひそめる。
「どこに?」
「諜報部より早く、動きが読まれている」
灰色街区内で交わされた商会の値下げ計画。
それが翌日にはベルク商会に伝わっていた。
偶然ではない。
内部だ。
「裏切り者がいるって言うの?」
「可能性は高い」
ルシアの表情が険しくなる。
「見つけるわ」
「感情で動かないでください」
「感情よ、これは」
「だから危険です」
その夜、カイは簡易契約書を用意した。
灰色街区の主要関係者を一人ずつ呼ぶ。
「内部調査協力契約です」
署名を求める。
従業員、倉庫管理、連絡役。
視界に浮かぶ数列。
小さな横領、賭博、私的流用。
だが国家への密告を示す大きな罪はない。
最後に残ったのは――
白百合側の幹部、ラド。
以前、横領で膝をついた男だ。
「またかよ」
彼は苛立ちを隠さない。
「署名を」
「俺を疑ってるのか」
「灰色街区全体を守るためです」
渋々署名。
その瞬間。
黒い数列が浮かぶ。
――五万リル。
国家からの受領。
罪の自覚。
ラドの額に汗が滲む。
「……やはり」
カイは静かに言う。
「何がだ」
「諜報部と接触していますね」
ラドの顔色が変わる。
「証拠は」
「いま見ています」
ルシアが一歩前に出る。
「本当なの?」
沈黙。
やがてラドは歯を食いしばる。
「……家族だ」
「何?」
「妹が北方戦線の補給部隊にいる。俺が情報を渡せば、優先的に物資を回すって」
ルシアが言葉を失う。
カイは静かに問いかける。
「自覚はありますか」
「裏切りだって? ああ、分かってるよ」
数列が揺れる。
罪は、確かにある。
「だがな」
ラドは吐き出す。
「妹が凍えて死ぬよりましだ」
沈黙。
灰色街区の空気が重くなる。
国家の論理。
そして個人の論理。
どちらも、間違ってはいない。
「……どうするの」
ルシアが低く問う。
カイは考える。
裏切りは排除すべきだ。
だが理由は理解できる。
「契約違反です」
カイは静かに言う。
「罰は必要」
ラドが睨む。
「殺すのか」
「いいえ」
カイは淡々と続ける。
「灰色街区からの永久追放」
「それだけか?」
「妹への優先補給は保証しません」
ラドの顔が歪む。
「……」
「選択です」
ラドは拳を震わせ、やがて俯いた。
「……分かった」
去っていく背中。
ルシアが小さく言う。
「甘いのか、冷たいのか分からないわね」
「合理的です」
「妹のことは?」
「国家との契約外です」
だが、胸の奥がわずかに痛む。
ラドは罪を自覚していた。
だから見えた。
だがイリスは違う。
国家のためなら、罪ではない。
同じ行為でも、立場が変われば意味が変わる。
「……守れなかったわね」
ルシアの声が低い。
「灰色街区を?」
「ラドを」
カイは沈黙する。
守るとは何か。
黒字を守ることか。
人を守ることか。
その夜。
ラドが灰色街区を去った直後、襲撃された。
路地裏で倒れているのを、朝になって発見された。
胸に刃物。
即死。
「……国家?」
ルシアが震える声で言う。
「断定はできません」
だがタイミングは明らかだ。
裏切り者は不要になった。
国家は契約を守る。
だが歯車は交換する。
カイは遺体を見下ろす。
黒い数列は、もう浮かばない。
罪は消えた。
命とともに。
初めての死。
灰色街区内部の死。
守れなかった。
合理的判断の結果。
胸の奥に、重いものが残る。
「……再計算が必要だ」
声はかすれていた。
国家の論理。
個人の論理。
そして自分の論理。
三つは、同時に成立しない。
灰色街区は黒字を維持している。
だが代償が出た。
カイは初めて理解する。
この戦いは、数字だけでは終わらない。
血が、混ざる。
帝国の帳簿は、赤い。




