第12話 「国家の論理」
三か月。
国家との契約期間は、思っているよりも短い。
灰色街区の帳場で、カイは新しい台帳を開いた。
そこには二種類の項目がある。
一つは、通常の収支。
もう一つは――国家報告用。
「これ、本当に全部出すの?」
ルシアが覗き込む。
「全部ではありません」
「選ぶの?」
「ええ」
イリスとの契約は“情報提供”だ。
だが選別権は諜報部。
つまり、提出する材料を選ぶのはこちらの仕事になる。
「国家が欲しがる情報は何か」
カイは静かに言う。
「軍の動向、貴族の不満、商会の流れ」
「それを渡して大丈夫?」
「渡さなければ、監視は強まる」
均衡。
常に均衡だ。
そのとき、ミレイアが駆け込んできた。
「カイさん!」
「どうしました」
「兵士さんたち、北方戦線の話してました」
「内容は」
「補給が減ってるって……寒さが厳しくなってるのに」
ルシアが顔をしかめる。
「本当なの?」
「断定はできません」
だが、可能性はある。
灰色街区の徴税正常化。
商会との値下げ交渉。
それらは帝国財政の再配分に影響する。
もし戦費が削られているなら――
夜。
カイは一人で計算を続ける。
帝都全体の税収推定。
軍需支出推定。
灰色街区の徴税減少分。
数字を重ねる。
理論上、灰色街区単体で戦線が揺らぐことはない。
だが“象徴”にはなり得る。
他区域も同様の再計算を始めれば。
「……連鎖」
健全化は波及する。
だが国家はそれを許さない。
だから灰色街区を監視下に置いた。
翌日。
カイはイリスを呼び出した。
灰色街区の応接室。
「北方戦線の補給が減っているという話を聞きました」
「機密です」
「否定はしない」
イリスは黙る。
「私の再計算が影響しているのですか」
「直接ではない」
「間接的には?」
数秒の沈黙。
「あなたの動きは、他区域に影響を与え始めている」
イリスは認めた。
「徴税の適正化を求める声が出ている」
「健全な動きです」
「戦時下では不健全だ」
はっきりと言う。
「帝国は赤字を抱えたまま戦争をしている」
「なぜ」
「維持のため」
「何を」
イリスは視線を逸らさない。
「帝国そのものを」
沈黙。
カイは理解する。
帝国は意図的に赤字を作っている。
軍需産業を回し、商会を維持し、貴族の支持を繋ぐ。
赤字は潤滑油だ。
健全化は、その潤滑油を奪う。
「腐敗ではないと」
「設計だ」
イリスは淡々と答える。
「不均衡は意図されている」
「その代償は」
「戦場で払う」
言葉は冷たい。
だがそこに揺らぎはない。
カイは静かに問う。
「それを罪だと思わないのですか」
「思わない」
即答。
「選択だ」
国家の論理。
個々の正しさより、全体の存続。
「あなたの黒字は、その設計を壊す」
「ならば設計が間違っている」
「間違っていても、崩壊よりはましだ」
論理は平行線。
だがここで初めて、カイは確信する。
帝国は腐敗しているのではない。
“歪んで設計されている”。
そしてイリスは、その設計を守る者。
「三か月後」
カイは言う。
「灰色街区はどうなりますか」
「有用なら存続」
「不要なら」
「再編」
消されるとは言わない。
だが意味は同じだ。
イリスは立ち上がる。
「あなたは賢い」
「ありがとうございます」
「だが賢さは国家の枠内で使うべきだ」
「枠が歪んでいる」
「歪みも含めて国家だ」
扉へ向かう。
去り際、振り返る。
「ヴェルナー。あなたは正しい」
意外な言葉。
「だが正しさは、必ずしも生存に繋がらない」
扉が閉まる。
静寂。
ルシアがゆっくりと息を吐く。
「どういうこと」
「帝国は壊れていない」
カイは呟く。
「壊れるように設計されている」
「意味が分からないわ」
「戦争を維持するための赤字」
ルシアは黙り込む。
灰色街区の灯りが揺れる。
ミレイアが遠くで笑っている。
この場所は守りたい。
だが帝国は、その外側にある。
カイは帳簿を閉じる。
自分の黒字は正しい。
だが正しさが、戦場の寒さを増している可能性がある。
初めて、迷いが生まれる。
それでも。
「再計算は止めない」
声は静かだが、確かだった。
赤字が設計なら。
その設計を理解する。
帝国の帳簿は、まだ半分も開かれていない。
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