第二十話 時の矛盾
「ちょっと、あんた。いつまで寝てるのよ!」
ドラゴンの咆哮が起床の合図なのはあくまでアルティヤだけだ。フェリシアの少し怒りっぽい声が耳を突き抜ける。
「ん、起きる起きる……ふぁ」
噛み殺しきれなかったあくびが口の端から漏れ出る。シーツの海からのそのそ這いずり出てサンダルを履いた。うんと一つ背伸びをする。寝起きに浴びる朝の陽ざしが気持ちいい。それと同時にアルティヤの分厚い雲が恋しくなった。まだノイトレッドに渡って二日目なのにもうホームシックか、と自分を笑い飛ばす。
「もう少し早く起きてくれないかしら」
「ん、ごめん。あんまり朝早く起きないから……」
朝食よ、と差し出された皿にはシンプルなクロワッサンが鎮座している。それを受け取ってソファに腰かけた。
「私、夜まで出かけるから。好きにしてていいけど暗くなる前に戻りなさいよ。昼の代金はここに置いていくから」
そう言い残してフェリシアはいそいそと部屋を出ていく。一人になって静かになった。クロワッサンは優しい小麦の味がする。
今日はなにをしようか。街に出てドロシスを探して、また昨日の勇者の話でも聞くか。そこまで考えて、ドロシスに必ず会えるわけでもないと思いなおす。夜まで宿に引きこもっていてはわざわざ危険を冒して国に来た意味がない。クロワッサンを口に詰め込み、ボトルに入った水で流し込む。
「とりあえず出かけるかー」
食べ終わった後の皿を下げて、荷物を持って部屋を出る。後ろ手に扉を閉めて廊下を歩いた。エントランスに出ると、受付のカウンターに座った初老の男が頭を下げてきた。ふと梅子は思いつく。
「あの。調べものがしたいんだけど、どこに行けばいい?」
「はあ。それでしたら、この宿を出て左に曲がってずっと行って、突き当りを右に上がったところにある図書館がよろしいかと」
「図書館! ありがとう! あ、ございます!」
また初対面の人間に砕けた口調を使ってしまうところだった。取って付け加えた敬語でも敬語には違いない。梅子は頭を下げて宿屋を出る。左に行ってずっと歩いていく。ノイトレッドは今日も賑やかだ。
「突き当りを右にー」
鼻歌を歌いながら突き当りを曲がる。梅子の視界に荘厳で巨大な建造物が現れた。小走りでその入り口まで近寄れば、読めない文字とともに本のマーク。意気揚々と中へ足を踏み入れる。清潔でフローラルな香りが鼻腔に充満した。
「いらっしゃいませ。ご用件はなんでしょう」
_____現代だったら足を運ばなかっただろう。インターネットのある世界だったら。梅子がわざわざ足を運んだ理由は、そう。
「ええと、昔の魔王について知りたいんですけど」
「魔王……ですか?」
受付嬢が眉根を寄せて梅子を訝し気に見やる。その反応だけで梅子はなんとなく、自分が普通ではないことを言っているのだと理解した。それでもいい。どうせ一週間で去る国だ。
「あの」
「あ、ああ。失礼いたしました。魔王と魔国に関する本は三階の北側にございます」
「ありがとうございます」
その場から離れて階段に向かっても、受付嬢の視線が背中に刺さるような気分だった。居心地の悪さから逃れるように足早に駆け上がる。ドロシスもそうだが、ノイトレッドの住人は魔王そのものの話を嫌うように感じる。
(やっぱ『勇者の国』だから?)
上質なカーペットが敷かれた大理石は静謐な雰囲気を醸し出している。図書館というより博物館や美術館に近い様相に梅子は肩を竦めた。三階まで上がると開放感のあった一階と打って変わって閉塞感のある薄暗い空間が広がっている。
「北側……」
本棚の列を流し見しながら目当てを探す。都合のいいことに時間はたっぷりあるのだ。少しは知れることがあるだろう。
「お、見っけた」
魔王の文字が踊るタイトルを見つけて、それを無造作に引き抜く。他の列を見れば魔王、魔国、魔王、魔王。想像していたよりずっと多い冊数にめまいがする。せいぜい十冊もあればいい方だと思っていたのに。しかし時間はある、やることはない。梅子は覚悟を決めて本をかき集める。キーワードは魔王、歴史、勇者、あたりだろうか。ふと、本棚に並んだ一冊の新しそうな本が目についた。黒くて重厚な装丁は曇りもくすみもしていない。
「『魔王の逸話と時の矛盾についての考察』……?」
もしやと勘が働いて、弾かれたように本棚から離れる。足音が立つのも構わず机を探して、誰も座っていない長机を見つける。抱えていた本をその場に積み重ね椅子に腰かける。すぐに一番上の、手に取ったばかりの本を開いた。昼食の代金と鍵が入った麻袋に手を突っ込んだ。手に引っかかったものを引き上げる。メモ用の紙束と万年筆。春樹がくれたそれをおもむろに広げる。目次に目を通せば、ほら。
「魔王シリウス八世……勇者ハシバに倒されたとされる魔王!」
目的の文字列がそこにある。




