第十九話 消えたのは……
「あら、ウメコさん。勇者の伝承に興味がおありで?」
「うん、すっごく。」
ハシバ・キトリという名前は明らかに日本人の響きをしている。何人もこの世界に召喚されているという話は知っていたが、いざ実際に同じような境遇である人間の話を耳にすると感情が高ぶるを止められない。
「勇者ハシバは歴史上、一人目の女性の勇者でした。それまで八人いた勇者たちとは打って変わって、魔王とは友好関係を結びたいと考える方だったようです。魔王討伐の任を背負った彼女は魔国へ渡り、魔王と関係を築きたいと願ったようですが……穏健派でない当時の魔王との交渉は決裂したようですね」
冷めないうちにとパスタを口に運びながらも、ドロシスの話を聞き流さないよう耳を澄ます。
「魔王を打倒した勇者ハシバは心に深い傷を負い、ノイトレッドに帰国したのちここで店を開きました。当時のノイトレッド第二王子を夫に迎え子を残したのち……」
そこでドロシスの声が一度途切れる。表情を伺うとドロシスのそれはひどく曇っていた。
「子どもが成人して二年後、『ふるさとに帰る』と言い残しアルティヤ北部パープル・シーで姿を消したのです」
「パープル・シーって……」
「ええ。悪魔の海域ともいわれるクラーケンの住みかです」
春樹から聞いた話が勢いよく蘇ってくる。異世界の心臓。海底図書館。消えた勇者とパープル・シー。
「ちなみに、死体って」
「見つかっていません。ああでも、勇者ハシバが乗っていた船が魔国の付近で見つかりました。朽ち果ててはいましたが、壊れているところはなかったそうです」
「……!」
今度こそ梅子は確信にも似たひらめきを得た。勇者ハシバは、「帰った」のではないか。興奮する梅子に気が付かずドロシスは滔々と語りを続ける。
「彼女の夫と子は大層悲しんだのち、彼女が残したこの店を後の世まで残すと心に決めたそうです」
もはやその説明も耳に入ってこない。脳内で春樹との会話を思い起こす。
「……ありがとう、ドロシス。いい話が聞けた」
「お気に召したならなによりです。そうそう、勇者ハシバの逸話にはわたくしの家系にしか伝わってない特別なものがありまして。お聞きになりますか?」
「え? 聞きたいけど、聞いていいの?」
ジェノベーゼパスタの最後の一口を食べきったドロシスはまたくすくす笑った。
「門外不出というわけではありませんもの」
ドロシスが語り口を変えて梅子に語り掛けてくる。かわいらしい鈴のようなその声がいっそう落とされる。
「実は勇者ハシバは、魔王を倒していないという話です」
「は? 倒してない?」
「あくまで一説ではございますが」
パスタを食べる手が止まった。ドロシスの表情が若干曇る。
「ウメコさんも信じられませんよね。勇者が魔王を倒さないなど前代未聞の事態ですもの」
(いやそこじゃない……そこか?)
「倒してないってどういうこと?」
「勇者ハシバは魔王を倒したとされていますが、その裏で魔王を倒さず亡命させたという話です」
「なんでそんなことをする必要があるの?」
ウメコの声量を気にしてか、ドロシスが店内をぐるりと見渡す。誰もこちらを見る様子はない。
「わかりません。ですが勇者ハシバは姿を消すその日まで主のいない魔国へ幾度となく足を運んでいました。そして何より、各地に残る勇者ハシバの時代の魔王の逸話が《《魔王が倒された後に残されている》》のです」
ミートボールパスタの最後の一口を噛まずに飲み込んでしまった。
「フェリシア! フェリシアフェリシアフェリシアー!」
ドロシスに教えてもらった宿屋が集まる通りの、二番目に小さな宿屋。その入り口にフェリシアは立っていた。梅子を見るなりたどり着けたのね、と言い放つ。
「案内してもらったの」
「案内? 誰に?」
「修道女のドロシスって人。お昼ご飯も奢ってもらっちゃった」
「ふうん。正体ばらしてないでしょうね」
もちろんと頷くとフェリシアはならいいわ、と嘆息した。梅子ははやる気持ちを抑え泊まる部屋に案内してもらう。部屋はこじんまりとしていてシンプルだ。ベッドが二つと長い机、それから。
「……ピアノ?」
「昔からある物らしいから壊さないようにね。弾いてもいいとは言われたわ」
「そうなんだ」
部屋に堂々と鎮座するその古いピアノに目もくれず、梅子はフェリシアに手を差し出した。
「フェリシア! 魔王に手紙書くんでしょ、便箋出して!」
「え? ああ、はい。……面倒じゃなかったの?」
「事情が変わったの!」
急いで机に向かい、ペンを取り上げる。書く内容に困ることはなかった。




