12 ちょっと一服
12 ちょっと一服
山花さんからのチャットが終わって、ぼくはため息をついた。コーヒーを飲みたくなったので、コーヒーを入れた。今日はトアルコ・トラジャだ。もう夜も遅いので、薄めにした。
このところ、ぼくは自分が書いた小説に憑りつかれている。小説の登場人物が勝手に動き出しているのだ。舞に始まって、優花、葵、明日香に亜美。これも年末の山花さんからのメールに端を発している。
山花さんはぼくの小説の数少ない愛読者の一人で、当初は少々小説への思い入れが強すぎると思っていたが、そんなレベルの話じゃなかった。唐突にもぼくの小説の登場人物の父親だと名乗ったのだ。変質者かもしれないと警戒して、ぼくは少し身構えたが、直接ぼくに危害を加えることもなさそうなので、そのままメールやチャットで交流した。
すると、次に山花さんの妻が登場し、更には他の登場人物の親までも現れて、リモートの画面上で会って話をする羽目になった。ぼくの小説にはモデルはいないんだから、小説の登場人物に実在する親がいるはずがない。あまりに荒唐無稽である。
登場した女の子たちはいったい何者なのだろう。とは言っても、今のところ優花や葵、明日香、亜美には会っているわけではない。彼女たちの母親の口を通して、彼女たちの存在が語られているだけだ。
それでも、舞には、画面越しだが、実際に会った。彼女が小説の中から飛び出した人間であるはずがなく、小説の中のことを知っていても、それは小説を読みさえすれば、誰でも容易に知りうることだ。それにあの舞と名乗る娘は、父親の山花さんのような歯切れのいい語り口はどこにもなかった。何か山花さんにいやいや連れてこられたようだった。もしかすると、彼女は山花さんの娘の舞さんではないのかもしれない。山花さんと顔が似ていなかったし、母親ともまったく似ていない。派手な化粧をしているので、素顔になれば少しは似ているところがあるのかもしれないが、それでも親子が醸し出す雰囲気というものが二人の間からは感じられなかった。それは外見だけでなく、話し言葉や目線の合い方にもある。まあ、ぼくに親子関係を見抜く力があるとは思えないので、これについてはこれ以上はっきりしたことは言えない。
もしかすると、あの娘は山花さんに雇われて娘の舞さんの役を演じていたのかもしれない。これがもっとも正解に近いのではないだろうか。でも、いったい何のために山花さんは彼女を舞さんの身代わりとして雇ったんだろうか? もしこの推理が正しいとしたら、他の優花や葵、明日香や亜美の親たちも、山花さんにお金で雇われたのかもしれない。それとも、山花さんと志を同じくした同志なのだろうか? 同志、思わず出た言葉だが、何か幕末の勤王の志士のようだ。かれらが同志だとすると、いったいどんな志があって、徒党を組んでいるんだろう?
志という言葉を使うから、何か崇高なことを前提としているように思ってしまうが、共通の目的で結びついているとしたらどうだろう。詐欺師の集団なのか? ぼくを騙そうとしているのか? そもそもぼくには財産などというものはない。奪いたくても、ぼくには財産だけでなく、地位も名誉もまったくないのだ。詐欺を働くにしても、手の入れようは相当なものだ。時間も人もかけすぎである。ぼくは山花さんの話に場当たり的に付き合っているだけだけど、山花さんたちは小説を読み込んだり、口裏を合わせたり、海水浴場の場所を調べたりと、事前の準備に相当な時間をかけている。それでも山花さんたちを悪い人たちには思えないのだ。もしかすると、それが詐欺師の手口なのかもしれない。けれど。詐欺師だとしたら、相当なプロフェッショナルであることは間違いない。私に接近しているのは、単なる犯罪の入口なのだろうか? ぼくを通してぼくの親せきや友人・知人の金持ちに近づこうとしているのかもしれない。でも、ぼくの親せきや友人・知人に金持ちはいるか? 誰も思いつかないではないか。学生時代を振り返っても、金持ちになった奴や資産家が頭に浮かばない。すると、宗教の勧誘か? 宗教の勧誘にしても、やはり手が込み過ぎている。ぼくはまったく社会に影響力がないので、ぼくを入信させたとしても、その後に続く奴は誰もいない。他に考えられることは、何かの社会実験なのか? 政府が関与しているのか? 何か陰謀論みたいだな。ぼくみたいな小物が、陰謀に巻き込まれることがあるはずがない。ハリウッド映画だと、ぼくのような一市民が陰謀に巻き込まれる話はよくあるけれど、そうした人間は勇気があって美男子だ。おれはどちらもない。
いったい山花さんたちとのこれからの付き合いはどこに進んでいくのだろう。山花さんはもちろんのこと、みんな悪い人ではなさそうなんだ。どうしても、善良な人たちばっかりだと思えるんだ。私を巻き込んでいるけれど、私を騙そうとしているようには見えない。いや、騙しているのかもしれないが、肉体を傷つけたり、金銭を奪おうとは思っていないようだ。山花さんのあの一途さはいったいどこからくるのだろうか?
このストーリーは山花さんが書いたのだろうか? それとも作者はどこか他にいて、山花さんも一人の登場人物なのだろうか? この物語はいつか完結するのだろうか? それとも未完のまま終わるのだろうか? ぼくは物語の中で、きちんと役をこなしているのだろうか?
ばかばかしい。平日はおれもきちんと働いているし、山花さんたちだって働いて収入を得ているはずだ。ただ日曜日に一時間程度付き合っているだけじゃないか。不思議な付き合いだけど、真剣に捉えなければ、息抜きになるのかもしれない。そもそもここまで付き合ってきたのも、山花さんに小説をべた褒めされて、いい気分にさせられたからじゃないか。山花さんは今でも私に対する尊敬の念だけ変わっていないし、先生、先生って慕ってくれる。ぼくを慕ってくれる人なんて、これまでの人生に誰かいたか? 誰もいない。難しく考えないで、これからも山花さんと付き合っていくか。
優花さんの母親たちとも会えて、友達の輪が広がっているし。普通、ぼくのような下々の者が銀座のママさんとお話しなんかできないよ。もしかすると、ぼくの人生が華やかになっているのかもしれない。あんまりびくびくしながら生きていても、世界は広がっていかない。もっとゆったりと構えよう。もう一杯コーヒーを飲むか。それにしても、ぼくもそろそろ小説の次回作に取り組まなくっちゃあ。今度は何を書こうかな。
つづく




