枯れ葉
―――午前五時半起床。午前六時より鍛錬場で騎士たちと剣の手合わせを行う。
午前七時半より事務官たちと執務室で朝食をとりながら今年の穀物収穫量と備蓄、分配について話し合う。
そのまま事務処理に入ったが、思いのほか早く片付いたので鍛錬場見学をされるアドリアーネ殿に同行することにする。
大きな問題もなく見学が終了したため、そのまま執務室に戻り、昼食をとりながら王城の修繕箇所について、担当事務官と話し合う。
~中略~
午前零時過ぎ、ノーハスよりアドリアーネ殿からの交換日記を受け取る。
大噴水が気に入ったようでよかった。
だが、南庭園に限らず王城内は広く入り組んでいる箇所も多いので、きちんと城に詳しい者を同行させるようにしてほしい。
「まあ! ジュード様、昨日はお昼を召し上がられているわ! それに少し早めに執務から解放されたみたい」
「それは安心でございますね。ですが記載されていないだけで、おそらくジュード様は夕食も召し上がられているのではないでしょうか」
「どうしてそう思うの?」
「あのように大きなお体を動かされるのに、食事抜きでは難しいかと。きっと食事にあまり意識を向けられていないのですよ」
「なるほど……」
前世で食事の大切さがいやというほど耳に入ってきていたせいかどうしても気になってしまうのだ。
しかし、食事に興味がないということは、今度はまともな食事をとっているのかと気になってくる。
前世でも栄養補給食品でほとんどをすます人がいたことを思い出し、アドリアーネは顔をしかめた。
ジュードは働きすぎな気がする。
聖王である父も忙しそうだったが、普段は食事の時間が取れないほどではなかった。
今のままではいつか倒れてしまう。
そう心配したアドリアーネはこの国に嫁いできて一つやるべきことを見つけた気がした。
「それにしても、ジュード様は子爵夫人については何もおっしゃっていないわ。ただ散策には城に詳しい方を同行させるようにって」
「それはおそらく、ジュード様にとって取るに足らない方だからですよ」
「そう、なのかしら……」
「姫様?」
「ううん、何でもない。ちょっとした嫉妬ね。ジュード様のお若い頃を知っているってだけで羨ましいから」
アドリアーネがぼやくと、ターニャが気にしないようにと答えてくれる。
おそらくその通りで気にする必要はないのだが、今日の日記は開いた途端にひらりと枯葉が一枚落ちたのだ。
床につく前に消えてしまったが、その枯葉の意味することがわからず、アドリアーネはちょっと不安になっていた。
(あれだけ綺麗な人なんだもの。しかも百戦錬磨の匂いがぷんぷんしたわ……)
前世喪女、現世聖女では勝てる気がしない。
しかし、そんなアドリアーネの不安を吹き飛ばすように、ジュードから夕食の誘いがあった。
もちろんすぐに了承の返事をして、どんなドレスを着ようかとターニャと相談する。
晩餐会ほどの大袈裟なものではなく、それでも普段よりも華やかなものがいい。
いつも髪の毛はハーフアップスタイルばかりなので全てアップしてしまおうかと提案したが、それはターニャに却下されてしまった。
「聖王国では未婚女性はうなじを見せないものですからね。結婚式までお待ちください」
「この国ではそんな風習はないみたいよ? 一昨日お茶をご一緒したジョージー伯爵のお嬢さんだって、アップスタイルだったわ。私もアップにすれば、少しは大人っぽく見えると思うのよね」
そう言ってアドリアーネは鏡の前でふわふわの髪をくるくると丸めて持ち上げてみた。
思ったとおり雰囲気が変わって見える。
「姫様、式が終わるまでは姫様は聖王国の、しかも聖王家の方なのですよ。故国のことをお忘れにならないでくださいませ」
「……わかったわ」
ターニャのきっぱりとした口調に、アドリアーネも我が儘を言うのは諦めた。
ジュードから夕食のお誘いがあったことで浮かれすぎてしまったらしい。
そもそもアドリアーネが成人したのは一年前で、それまでは晩餐会など夜の行事には出席させてもらえなかった。
そもそも聖王家は質素堅実をモットーにしているので、めったに晩餐会も舞踏会も行われない。
そのためアドリアーネは成人してからも、夜の催しに出席した回数は片手で足りる。
今回のジュードからの誘いは公的のものではなく私的なものなのだが、それでもわくわくしてしまっていた。
夕食に――夜に誘われるということは、大人の証なのだ。
ジュードにそう認めてもらっていることがわかっただけでも満足するべきだろう。
ただ子爵夫人のように少しでも大人の女性に見てもらいたい――見劣りしたくないと思ってしまったのだ。
「――やっぱり青いドレスのほうがよかったんじゃないかしら? あちらのほうが大人っぽく見えるもの」
「姫様、まだそんなことにこだわっていらっしゃるのですか? あのドレスは結婚後のために用意したものですよ。今の姫様はこの淡い水色のドレスがお似合いです」
「結婚したからって、急に顔は変わらないでしょう?」
「さあ、それはどうでしょう?」
「変わるの?」
「あと十日余りでそのお答えがおわかりになりますよ」
「ええ……」
アドリアーネは不満の声を漏らしながらも、それ以上は着替えるとも髪型のことも言わなかった。
これではいつもの聖王女だが、あと十日余りの我慢なのだ。
できれば結婚前にジュードの心を摑みたかったが、ダメなら結婚後に努力すればいい。
むしろ結婚してしまえばこっちのもの。
正直に言えば無理やりであることに罪悪感を覚えるが、それでもいつかあの寂しげなオオカミさんを幸せにしてみせる。
そのためには手段は選ばない。選んでいられない。
などと企んで――考えているうちに約束の時間になった。
そのときぞくりと背筋が冷えて、アドリアーネは驚いた。
扉とは反対方向の窓辺へと近づく。
「姫様? どうかされたのですか?」
「……以前よりも黒い化け物が増えている――いいえ、大きくなっているわ」
「やはり聖石をお持ちになったほうがよろしいのではないでしょうか?」
「いいえ、大丈夫。あれは私を襲っては来ないと思うから」
「それでは……」
「ええ。ジュード様に対しての悪意ね」
アドリアーネの言葉を聞いて、ターニャは唇を噛んだ。
そうしなければ、ジュードとの結婚を改めて反対してしまうからだ。
空を覆うほどの悪意を向けられているジュードと結婚して、アドリアーネに害がないとは言い切れない。
だがそのようなことを口にすればひどく悲しませてしまうだろう。
実際、アドリアーネの表情は決意に満ちている。
「さあ、ジュード様をお待たせしては申し訳ないわ。行きましょう」
何事もなかったかのようにターニャに笑いかけ、アドリアーネは踵を返した。
そして先ほどまでの厳しい表情が嘘のように、天使のような微笑みを浮かべて食事の場へと向かったのだった。




