008_異世界_恋愛(私の未来)
「一、二、三……よし、焼き加減は完璧」
オーブンから漂う甘く香ばしい匂いに、私は小さく息を吐いた。
我が家は王都でそこそこ繁盛している菓子屋だ。平民とはいえ、食べるに困らない程度には裕福。だけど、私は五人兄弟の四番目、次女である。
長男が店を継ぎ、長女は取引先の商家に嫁ぎ、次男は職人として独立準備中。そして末っ子の妹は、誰もが振り返るほどの美少女で、すでに常連の男爵家の嫡男と婚約している。
そして、残るは私だ。
特筆すべき特技もない四番目の私は、家を継ぐ必要もなければ、家のための政略結婚を期待されることもない。
「というわけで、学園に行っている間に自分で良い人を探してきなさい。出会いくらいあるでしょう?」
お母さんにそう笑顔で送り出されて、私の婚約者探しの学園生活が始まった。
……始まったのはいいのだけれど。
「それで僕はまた試作品の毒見役をさせられているわけだが」
不服そうに、けれど口元にクッキーの粉をつけたままそう零したのは、クラスメイトのルードくんだ。彼は下級役人の息子で、いつも無表情でぶっきらぼう。婚約者候補を探すきらきらした社交の場において、私と同じように壁の花をやっていた。
「毒見だなんて人聞きが悪い。今回は砂糖の代わりに新種の甘蜜を使ってみたの。どう?」
「……美味い。甘さが後に残らないから、甘いものが苦手な男でもいける」
「やった! さすがルードくん、私の好みをよく分かってる」
私が笑うと、ルードくんはなぜか少し気まずそうに視線を逸らした。
私は、自分のことを普通の一般人だと思っている。
長女のように社交的でもなければ、妹のように目を引く美しさもない。だから、私のような凡庸な人間の考えていることなんて、きっと誰の目にも留まらないし、気付かれもしないのだと。
「私ね、ルードくんとこうして美味しいものを食べてる時間が一番落ち着くんだ。だから、もし私が誰とも結婚できなくても、お店の専属試食係になってね」
冗談めかしてそう言うと、ルードくんはふう、と深いため息をついた。
「君は本当に……分かっていないな」
「え? 何を?」
「……いや、なんでもない」
またそれだ。濁した言葉の奥に、彼はいつも何かを隠す。
やわらかなオブラートの内側が透けて見える筈なんて、期待するもんじゃないのに。私は少しだけ拗ねた気分で口を尖らせた。
「何言ってるか分からないけど、そんなに分かって欲しいのなら、ちゃんと言葉にしたらいいのに」
私の小さな文句に、ルードくんの肩がびくりと跳ね、その瞳がまっすぐに私を射抜く。
「君が思うほど人間は聡くないよ。君が想像するほどに鈍くもないけれど。」
「……え?」
「君が自分のことを『誰の目にも留まらない一般人』だと思っているなら、それは大間違いだってことさ。少なくとも俺は、君が新作の出来に一喜一憂する姿も、家族のために楽しそうにお菓子を作る姿も、ずっと見てる」
ルードくんの耳の端が、ほんのりと赤くなっている。
いつも冷静な彼の、見たこともない真剣な眼差しに、私の鼓動が速くなる。
「鈍い君に、これ以上遠回しに言うのは諦めた。……俺じゃ、君の探している『良い人』の条件に足りないか?」
手元のクッキーの香りが、急に甘さを増した気がした。
家のための結婚でもない、誰かに決められた未来でもない。私が自分で見つけるはずだった、私の居場所。
「……ううん。鈍い私には丁度いいかも」
私が真っ赤な顔でそう答えると、ルードくんは呆れたような笑みをこぼした。
私の未来は、どうやら思ったよりもずっと近くで、私が見つけるのを待ってくれていたみたいだ。




