061_恋愛(自由に生きたい)婚約解消、1689字
『他人は薄情だから、貴方のことなんてすぐに忘れちゃうわ。もっと自由に生きればいいのに』
学園の中庭の東屋。あの時と同じ、バラ園が満開で甘い匂いに包まれて、今はもういない親友のその言葉が、鮮やかに脳裏によみがえる。
目の前で、不遜な笑みを浮かべているのは私の婚約者である伯爵家の嫡男 ルパートだ。彼は今日も今日とて、私を無視して別の令嬢をエスコートしながら、私に言った。
「お前のような地味な女を拾ってやるのは僕くらいだ。僕に感謝しろよ」と。
好きでもなんでもない。むしろ顔を見るのも面倒くさい。
だけど、家同士のしがらみや世間体を考えれば、こちらから婚約解消を切り出すなど到底無理だと尻ごみしていた。
そんな私を見て、私が彼に執着していると思い込んでいるルパートは、その勘違いをますます膨らませ、最近では周囲も呆れるほどの増長ぶりを見せつけている。
「……そうだわ」
親友の遺してくれた言葉が、胸のつかえをスッと洗い流す。
嫁入り先がなくなることは、本当にそこまで恐ろしいものだろうか。他人の目を気にして自分の人生を差し出すより、今すぐこの窮屈な縁談を放り出してしまった方が、よっぽど気分がいい。
「ルパート様。いい加減、目を覚ましてくださいませ」
私は初めて穏やかな笑みを浮かべ、彼を見た。
「このような茶番はもう十分です。私の方から、この婚約解消を申し入れますわ」
「は? 何を言っ……!」
ルパートが顔を真っ赤にして叫ぶのも聞かず、私は懐から取り出した家門の印章のついた手紙を彼に無理やり手渡した。ざわめく周囲の視線などどうでもよかった。ただ胸がすくような開放感に満たされていた。
翌日から学園の空気は一変した。
ルパートの取り巻きたちは「あんな高慢な女、捨てられて当然よ」と陰口を叩いたが、不思議と傷つかなかった。むしろ、清々しいほどの孤独だった。
そんな私に、声をかけてくれたのは、いつも教室の隅で静かに本を読んでいたクラスメイトのレオンだった。無口で無愛想だと思っていた彼は、私を見つめ、少しだけ耳を赤くしながら言った。
「あの、婚約解消したってことは、今はフリーってことだよな?……俺と結婚しないか?俺も在学中に結婚相手見つけろって言われてて…。いや、誰でもよかったわけじゃないんだ。一緒にいて気がねなく話せて、話が合って… 。あ、図書館でよく、レイウッドの本を読んでただろ?俺も好きなんだ。だから、話が合うかなって…。あと、……」
それは社交辞令でも、同情でもなく、紛れもない誠実なプロポーズだった。彼から語られる私は素の私で。そんな私がいいと言ってくれるのであれば、これ以上のことはない。私はここ最近で一番の笑みを浮かべて頷いた。
レオンとの結婚生活は、これ以上ないほど穏やかで幸せだった。
彼は私の意思を尊重し、時にはともに会話を楽しみ、時にはお互い静かに本を読み。そして、美味しいお茶を淹れてくれたり、一緒に庭の手入れをしたりしてくれた。
窮屈だった貴族社会のしがらみから解放され、私は初めて自分の足で生きている実感を噛みしめた。
ある日、社交で出かけた王都のサロンで、元婚約者のルパートの噂を耳にした。
彼は私と別れた直後、親の勧めに逆らえず、自分より格上の侯爵令嬢と新たに婚約を結んだらしい。
侯爵令嬢は以前の彼以上に我儘で、かつての私が彼にされたように、彼女の気まぐれと傲慢さに毎日振り回され、すっかりやつれ切っているという。自信満々な面影は消え失せ、今や友人たちからも距離を置かれているのだとか。
その話をカウンターの端で聞いたとき、私は思わず小さく吹き出してしまった。
「どうかしたかい?」
隣で荷物を持ってくれていたレオンが、不思議そうに首をかしげる。
「ううん、なんでもないわ。ただ、世の中って案外うまくできているなって思って」
愛しい夫の腕にそっと手を絡め、満開のバラが香る青空を見上げた。
振り返る必要など、もうどこにもなかった。




