054_恋愛(タイムリープ)ヒロイン逆行、ハッピーエンド、3751字
目が覚めたとき、私の頬は涙で濡れていた。
嫌な汗がじっとりと首筋を伝う。心臓が早鐘を打っていた。慌てて自分の体を触り、首がつながっていることを確認する。……生きている。私は、王都のタウンハウスの私の部屋のベッドの上にいる。
「……何、今の夢……」
あまりにもリアルで、そして最悪な夢だった。
夢の中の私は、王都の学園でこの国の第二王子と恋に落ちていた。身分違いの恋に悩みながらも、彼と心を通わせる日々。しかし当然、彼には公爵令嬢という婚約者がいて、私は彼女から激しいいじめ・嫌がらせを受けることになる。
それを知った第二王子は私を庇い、ついに婚約者に断罪を突きつけた。
婚約破棄の宣言。
でも、だからと言って第二王子は私との愛を誓うことなどなかったし、夢の中の私は、これで彼と結ばれるとか考えていたわけではなかった。当然だ。そもそも彼とは身分が違って、彼が公爵令嬢と婚約破棄したからと言って、次の婚約者に私が選ばれることなどないのだから。
それでも、現実はさらに厳しかった。
身分の壁は厚く、公爵家への配慮からか、婚約者である彼女は全く罪に問われることはなく。逆に、手回しも根回しもせず感情的に婚約破棄を叫んだ第二王子の方が「王家の威信を傷つけた」として処罰される羽目になった。
そして私はといえば、修道院送りにされた。しかし、連行された暗い部屋に現れたのは、見知らぬ令嬢で、彼女は冷酷な笑みを浮かべ、私を見下ろして言い放ったのだ。
『第二王子を奪ったあなたを許すわけがないでしょう?』
首筋に走った銀光。鋭い痛みと、視界が反転する感覚。そこで私の意識は途絶えた。――つまり、私は殺されたのだ。
「……おかしい」
ベッドの上に座り込み、私は頭を抱えた。
ただの悪夢にしては、ディテールが細かすぎる。何より、私はまだ学園に入学すらしていないし、第二王子の婚約者の名前や姿なんて知るはずもなかった。それなのに、夢の中で彼女が呼ばれていた「エレオノーラ」という名が、なぜか頭にこびりついて離れない。後でこっそり調べたら、本当に第二王子の婚約者はその名前だった。
(あれはただの夢じゃない。予知夢か、あるいは、何か別の恐ろしい力による警告だ。
このままあの学園に進学したら、私は間違いなく死ぬだろう)
そんな思いが、日に日に強くなる。
あんな無惨に首を撥ねられるのは御免だ。殺されないためにはどうすればいい?学園に行かなければいい。でも、国内の貴族義務から逃れるのは難しい。
考え抜いた末、私は両親に泣きつき、必死に頼み込んで隣国の学園への「留学」という道を勝ち取った。これなら国を離れられるし、第二王子とも関わらずに済む。
よし、これで私の平穏な人生は約束された。第二王子への恋は大事な思い出として取っておこう。あの人が幸せになってくれればそれでいい。そう安心していたのに。
「はじめまして、留学おめでとう。君が同郷の生徒だね」
留学先の学園のサロンで、その声を聞いた瞬間、私の心臓は凍りついた。
振り返ると、そこには夢で見た通りの、いや、夢よりも何倍もかっこいい第二王子の姿があった。
なぜ。どうして彼がここにいるの!?彼は本国で学園に通ってエリート教育を受けているはずじゃ……。
混乱で絶叫しそうになるのを理性がギリギリで止める。
とにかく、接触は最低限にしなければならない。私は夢のように彼と恋に落ちるわけにはいかないのだ。死にたくなかったし、彼の人生を邪魔したくなかった。
しかし、現実は無情で。
異国の地において、母国出身の同年代というのはそれだけで数が少ない。否応なしに交流の機会は訪れ、視線が交わり、言葉を交わすことが増えてしまう。そして恐ろしいことに、夢の通り、私は彼の優しさや聡明さに触れるたび、どうしようもなく惹かれていってしまった。止めようとしても、胸の奥から溢れる恋心にブレーキが効かない。
(ダメ。好きになったら、またあの結末に流されてしまう……!)
自分の愚かな心を叩き潰すために、私は狂ったように勉強に打ち込んだ。
恋をしてしまう暇があるなら、参考書を丸暗記した方がいい。彼への想いが高まりそうになると、図書館に籠って歴史書や外交論を頭に叩き込んだ。その結果、私は隣国の学園でも指折りの優秀な成績を収めるようになり、いつしか「本国からの優秀な留学生」なんて呼ばれるようになっていた。
その間も、私は徹底して彼と二人きりにならないよう気をつけた。自分の好意は心の奥底、誰にも見えない場所に厳重におし隠した。
幸いというべきか、第二王子からの接触も最低限だった。彼はいつも周囲とは一定の距離を保ち、同郷の私を気遣ってはくれるものの、夢のように熱烈にアプローチしてくることはなく、他の学園生とほとんど変わらない扱いだった。彼は彼で、本国にいる婚約者の影を気にしているのだろうか。
そうして、互いに距離を置いたまま卒業を迎えようとしていたある日、本国から衝撃的なニュースが飛び込んできた。
第二王子の婚約者――エレオノーラ様が、本国で同学年の侯爵令息と浮気をし、それが公に発覚したというのだ。公爵家も言い逃れができず、婚約は正式に破棄。第二王子の名誉は何一つ傷つくことなく、ただ「被害者」として婚約が白紙に戻ったとのことだった。
同郷の友人から聞かされた内容に呆然とする私のもとに 彼がやってきたのは、そのすぐ後のことだった。
「急な話で申し訳ない。……俺と、婚約してくれないだろうか」
手渡されたのは、王家からの正式な婚約の打診書だった。
彼は真摯な目で私を見つめ、理由を語った。彼は卒業後、隣国との外交担当としてこの国に残る任務に就くこと。そのためには、この国の情勢に詳しく、かつ語学や交渉術に長けた「優秀なパートナー」が必要不可欠であること。
「君以上に適任はいないんだ。どうか、俺の隣で支えてほしい」
それは、夢のような熱情的な愛の告白ではなく、極めて理性的で、公務のためのオファーだった。
でも、私にとってはこれ以上ない救いだった。これなら、あの凄惨な結末にはならない。私は正々堂々彼の隣に並ぶことを許され、彼の役に立てる。何より、ずっと隠し続けてきた彼への想いを、ようやく形にできるのだから。
私はその手を取り、数年後私たちは正式に結婚した。
外交の場での仕事は忙しかったけれど、彼はいつも私を尊重し、深く愛してくれた。夢で見たような危うい恋ではなく、静かで、信頼に満ちた幸せな日々。私たちは子供にも恵まれ、その子供たちも立派に育ち、やがて巣立っていった。
穏やかな日差しが差し込む午後。夫婦二人きりになった静かなリビングで、お茶を飲んでいた時のことだ。
ふと、旦那様となった彼が、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべて私を見た。
「ねえ、覚えているかい?学園時代、君が頑なに俺を避けていたこと」
「……あら、そんなこともありましたかしら。もう遠い昔のことですわ」
お茶を濁そうとする私に、彼はふっと切ないような、愛おしいような吐息を漏らした。
「実はね、この人生は、私にとっては2度目なんだ」
カップをソーサーに戻す手が止まった。
「1度目の人生でね、私は愚かな子どもだった。君への恋心に目を奪われて、周りが見えていなかった。婚約者に事実を突きつけ婚約破棄をすれば君を救えると思って、結果的に、君を死なせてしまった」
心臓が、あの夢を見た朝のように激しく早鐘を打つ。
彼の手が、優しく私の手を包み込んだ。
「君が殺されたと知ったとき、私は絶望して自ら命を絶ったんだ。そうしたら、なぜか時間が巻き戻っていた。だから誓ったんだ、今度こそ絶対に君を死なせないと」
彼の口から語られる真実に、私の頭は追いつかない。
じゃあ、あのリアルな夢は、予知夢ではなく――。
「君を巻き込まないために、私は隣国への留学を選んだ。婚約者は泳がせておけば勝手に自滅すると分かっていたからね。……なのに、留学先でまた君に出会ってしまった。あの時は本当に驚いたし、また恋に落ちてしまった自分に呆れたよ」
彼は愛おしそうに目を細める。
「君に嫌われないよう、近づきすぎないよう必死だった。君が俺を避けて勉強に没頭しているのを見て、健気で、やっぱり大好きだと思った。君が優秀になってくれたおかげで、大義名分を持って君を妻に迎えることができたんだ」
「……全部、知っていたの?」
私の問いに、彼は悪びれもせず、でも世界で一番優しい声で微笑んだ。
「もちろん。今度の人生は、完璧に君を守り抜けた。……愛しているよ、私の優秀な奥様」
2度目の人生の謎が、今、すべて解けた。
私が必死に運命を変えようともがいていた裏で、彼もまた、私を死なせないためにもがいていたのだ。
差し出された彼の手を、私は今度は強く握り返す。
もう怯える夢を見ることはない。私たちは、私たちの手で、この幸福な結末を掴み取ったのだから。




