052_not恋愛(呪われた国)召喚聖女→騙されて結婚、バッドエンド、3460字
残酷な表現があります
「大陸の『聖なる泉』を浄化してくれれば、元の世界へ帰そう。」
大司教をはじめとする神官たちは、恭しく頭を垂れてそう言った。
見知らぬ異世界へと召喚された私は、その言葉だけを信じた。
しかし、待っていたのは地獄のような日々だった。泉の穢れは、一人の人間が抱えきれる容量を遥かに超えていた。私は何日も、何十日も、文字通り命を削り、血を吐くような思いで祈り続けた。力を使い果たして倒れ、意識を失い、目覚めてはまた祈る。そうしてようやく、泥のようだった泉を清らかな水へと変えた。
しかし、待ち望んだ約束の日は、ついに来なかった。
「元より、異界へ送り返す法など存在せぬ。諦めてこの国のために生きよ」
謁見の間で、王や神官たちは悪びれもせずにそう告げた。
最初から帰すつもりなどなく、都合のいい道具として私を騙していたのだ。絶望と人間不信で目の前が真っ暗になる私に、追い打ちをかけるように次の命令が下る。「第一王子の正妃になれ」と。国を救った聖女の血を王家に組み込み、民へのアピールにするためだった。
拒む気力すら奪われていた私は、操り人形のように言われるがまま結婚式に臨んだ。しかし、式典の場で王子の隣にいたのは私だけではなかった。王子の元婚約者であり、愛し合っているという公爵家の令嬢。王子は彼女を側室として同時に迎え入れたのだ。
「お前は聖女という『飾り』だ。私の愛を求めようなどと思うな」
式の夜、王子は私に冷酷な言葉を言い放ち、そのまま側室の館へと向かった。
私に与えられたのは、豪華だが冷え切った、人通りの少ない離宮。婚姻は形だけの「白い結婚」であり、私はただ、王宮の奥深くに幽閉された。
聖なる泉が浄化され、国は一時の繁栄を迎えるはずだった。しかし、翌年から大陸全土に異変が起き始める。
不作が続き、穀物は実る前に腐り落ちた。さらに追い打ちをかけるように、原因不明の疫病が流行りだす。聖女が来る前もそれなりに豊かだったはずの国は一転して飢えと病に苦しみ、行き場をなくした民の不満は、徐々に異界から来た聖女へと向かっていった。
「聖女がちゃんと祈りを捧げていないからではないか」
「あの女が、異界から不吉な何かを持ち込んだに違いない」
ある日、ついに限界を超えた神官や国の官僚たちが、私を糾弾するために離宮へと押し寄せてきた。彼らは贅を尽くした衣服を身にまといながら、私を取り囲んで睨みつけた。
「聖女よ、あなたがこの国を呪っているのではないか! でなければ、なぜこれほど国が荒れるのだ。神の加護を失った言い訳を聞かせてもらおう!」
私は、薄暗い部屋の奥から彼らを冷ややかに見下ろした。胸の奥で、どす黒い感情が疼くのを自覚しながら、静かに口を開いた。
「私に、国を呪うような大層な力なんてありませんわ」
「白々しい! ならばなぜ、これほど災厄が続く!」
「――当たり前でしょう。私がこれほど不幸なのですから、この国に不幸が訪れるのは当然ではないですか」
私の冷徹な一言に、詰め寄った者たちは一瞬で息を呑んだ。
「私が流した涙の数だけ、大地は枯れる。私が受けた裏切りの数だけ、国が病む。私がこの国を心底憎んでいるのですから。私は神が認めた聖女です。その聖女が絶望しているのです。そんな国が栄えるはずがないでしょう?」
この発言は、それを聞いて恐怖した官僚たちの口から、またたく間に城外へと漏れ、王都を超え、国中に広まった。
民の矛先は一変した。「聖女が呪っている」のではない。「王家が聖女を不当に扱い、騙して虐げたから、神の怒りが国に下っているのだ」と。
民の不満は、一気に王家や神殿の腐敗へと向けられ、暴動の兆しとなり始めた。
焦った王子は、数年ぶりに私の離宮へと訪れた。民の怒りを静めるため、形だけでも「仲睦まじい夫婦」であることを世間にアピールしようと考えたのだろう。
「開けろ! 私だ、お前の夫だぞ! 聖女としての義務を果たせ!」
乱暴に叩かれ、きしむ扉。しかし、私は鍵を外さなかった。カーテンを閉め切った暗がりのなかで、ただ扉を見つめる。
「お帰りください、殿下。私に触れることは、あなたの身を滅ぼすことになりますよ」
「黙れ! 飾りの分際で調子に乗るな! 騎士たちよ、扉をこじ開けろ!」
苛立った王子の命令で、屈強な騎士たちが肩を入れ、扉を破壊しようとした、その瞬間だった。
――ズドーーーン!!!
凄まじい轟音と、目を焼くような鋭い閃光。
王宮の、それも完全に強固な石の天井で覆われた回廊であるはずの場所に、巨大な雷が落ちたのだ。
王子のわずか数センチ手前の床が爆ぜ、激しい衝撃と黒煙が巻き起こる。あと1歩前にいたら、王子は消し炭になっていただろう。
「ひ、ひぃっ……!?」
腰を抜かし、無様に床にへたり込んで恐怖に震える王子の声を、私は扉の内側で聞いていた。神の意志か、あるいは私の意志か。それ以上、誰も扉に触れようとする者はいなかった。
その後、王家をさらなる絶望が襲った。
王子の側室――かつての元婚約者が妊娠したのだ。王家は世継ぎの誕生によって民の不安を払拭しようと沸き立った。しかし、数ヶ月後、産み月に足りないのに側室は産気づいた。産室から聞こえてきたのは産声ではなく悲鳴だった。産まれてきた子供は、冷たくなって産まれた。
悲しみに暮れる暇もなく、側室は再び妊娠した。次こそはと、お腹が大きくなる前から医師や神官がつきっきりで看病したが、結果は同じだった。その次も、産月前に産気づき、子供が産声を上げることは一度としてなかった。
焦燥と恐怖に駆られた王子は、血筋を残すために、別の有力貴族の娘を二人目の側室に迎えた。彼女もまた、すぐに身ごもった。しかし、結果は残酷なまでに同じだった。産室から聞こえるのは、いつも母親たちの悲痛な泣き声と、冷たい我が子を抱く絶望だけ。
「王子は神に呪われているのではないか」
「聖女を騙し、裏切った罰だ。あの男の血は、呪われている」
「不吉な血筋に、この国の次代を継ぐ資格などない」
宮廷の陰口だけでなく、街の酒場や市場でも、そんな噂が当然のように囁かれた。
王は、頭を抱えていた。たった一人の王子。しかし、これほどまでに天に嫌われ、子供が生まれず、民の支持を失った息子を後継ぎの座に据え続ければ、国そのものが滅びる。王は王子を廃嫡すべきか、夜も眠れずに悩み始めていた。
王子の地位が揺らぎ始めると、王子に取り入っていた官僚や神官たちも、蜘蛛の子を散らすように王子から距離を置き始めた。
静まり返った離宮のベッドで、私は手鏡を覗き込んでいた。
鏡に映る私の顔は、かつて世界を救おうと純粋に願っていた頃の、あの優しく無垢な少女の面影をみじんも残していなかった。酷く冷酷で、昏い悦びに満ちた女の顔だ。
「本当に、愚かで滑稽な人たち」
私は、ふふ、と低く声を立てて笑った。
神官たちに「国を呪う力なんてない」と言ったのは、半分は本当で、半分は嘘だ。私自身にそんな禍々しい呪詛の術はない。けれど、大陸の全ての穢れを吸い上げていた「聖なる泉」を、命を削って同調し、浄化させたのはこの私なのだ。
今の私の魂は、あの泉の霊力そのものと深く結びついている。
私がこの国を「滅びればいい」と心の底から願えば、聖なる泉は容易に反転し、大地を枯らす毒へと変わる。私の絶望と怒りが、そのままこの国の実りを、そして魂の循環を狂わせているのだ。
一番憎いのは、私を騙し、飾りとして扱い、尊厳を徹底的に踏みにじった王子。だから、彼の血筋は絶対にこの世に残さない。未来永劫、絶望の味を噛み締めればいい。
その次に憎いのは、約束を反故にし、私を監禁して都合のいい道具とすることを許した傲慢な王と神官と官僚たち。
そして、すべての責任を私に押し付けようとする、身勝手な民。
彼らが必死に築き、守ろうとしたこの国が、内側からじわじわと腐り、音を立てて崩壊していく様を特等席で眺めることだけが、今の私の唯一の生きる意味。
「もっと苦しめばいい。あなたたちが私にくれた絶望を返してあげるわ」
私は、暗闇の中で昏い祈りを捧げる。
この国が完全に滅び去り、誰もいなくなるその日まで、私の「聖なる呪い」が終わることは決してない。




