005_恋愛(神さまはいない)魔王と聖女の逃避行、2230字
■神さまはいない
神さまはいない。
私の欲しいものが手に入ったことは、今まで一度もないのだから。
――その代わり、欲しくないものは望まずとも与えられたけれど
(王太子との婚約なんて、本当はしたくなかった)
神さまはいない。
私の努力が報われたことは、何一つとしてないのだから。
――その代わり、してないことをしたって言われたけれど
(公爵令嬢を階段から突き落とした覚えなどない)
神さまはいない。
私を愛してくれる人は、世界のどこにもいないのだから。
――その代わり、知らない人でさえ私を嫌いというけれど
(王都の誰もが、私のことを『希代の悪女』と蔑んだ)
だから、神さまはいない。
そう結論づけて、私はこの世界を諦めていた。
聖女としての力を持ちながら、誰からも信じられず、偽物だと罵られ、最後には暗い地下牢へと閉じ込められた私は、ただ静かに死ぬのを待つだけの存在だった。
■理不尽のその先で
けれど、世界はどこまでも理不尽にできている。
ある日突然、地下牢の天井が崩落した。巨大な地響きとともに現れたのは、真っ黒なローブを羽織った、一人の青年だった。
「……なんだ、ここにいたのか」
彼の名はルキ。この世界で『魔王』と呼ばれ、人々から恐れられている存在。皮肉なものだ。聖女である私を救い出したのが、よりにもよって、世界の敵である魔王だなんて。
「私は聖女じゃない、偽物よ。それに、私に関わるとあなたまで世界に嫌われるわ」
「そんなこと知るか。俺は元から世界中に嫌われてる」
ルキは乱暴に私の腕を引くと、暗闇の中から引っ張り出した。
それからの旅は、奇妙なことの連続だった。
私は自分の不運を知っていた。だから、行く先々でトラブルに巻き込まれるたび、「やっぱりね」と笑った。欲しいものは手に入らないし、努力は裏切られる。それが私の世界のルールだから。
けれど、ルキは違った。
「欲しいものがあるなら、手に入るまで奪いに行けばいい」
「お前の努力を認めない奴らは、俺が全員ぶっつぶしてやる」
「世界中がお前を嫌うなら、俺がお前以外のすべてを嫌ってやる」
彼は不器用で、口が悪くて、優しさのかけらもないような言葉ばかりを選ぶ。
なのに、私が「おいしそう」と小さく呟いたお菓子を、翌朝には無造作に放り投げてくれた。
そして、彼がどれほど強くても、万能ではないことも知った。
彼は毎晩、強すぎる自身の魔力に身体を蝕まれ、苦しそうにうなされていた。世界を滅ぼすと言われるその力は、彼自身にとっても痛みを伴う呪いだったのだ。
私は宿の片隅で、こっそりと夜通し紐を編んだ。彼の魔力の暴走を少しでも抑えられるようにと、祈りを込めて。
翌朝、机の上に置かれたいびつな紐を見て、ルキは眉をひそめた。
「……おい、これはなんだ」
「えっと……魔除け、です。あなたの魔力を少しだけ抑えて、身体が休まるようにって。……迷惑でしたか」
恥ずかしくなって回収しようとした私の手を、彼が止める。ルキはその紐をひょいと取り上げると、自分の剣の柄に、解けないようにきつく結びつけた。
「誰も迷惑だなんて言ってない。……これで少しは、マシに眠れそうだ」
彼はふいっと顔を背けたけれど、その耳の端がほんのり赤くなっていた。
私がこっそりした夜の努力を、彼は確かに受け取ってくれたのだ。
私が「どうして私なんかと一緒にいるの?」と尋ねたとき、彼は私の頭を痛いくらいに小突いて、こう言った。
「お前がそこにいて、俺がここにいたいからだ。理由なんかそれだけで十分だろ」
その瞬間、私の胸の奥で凍りついていた何かが、音を立てて崩れていくのが分かった。
私は今まで、空の上の綺麗な椅子に座っている、全知全能の完璧な存在ばかりを探していた。
求めてもくれない、報いてもくれない、愛してもくれない、そんな冷たい幻を「神さま」と呼んで、呪っていたのだ。
■神さまはどこ
それでも世界が私たちを追い詰める。
聖女がいなくなって結界が消え、土地は枯れ果て、ようやく世間は聖女の力に気が付いたよう。
聖女を奪還しようとする国軍と、魔王を討伐しようとする英雄たちが、私たちの前に立ちはだかる。
「諦めろ」と世界が囁く。お前は何も手に入れられず、誰からも愛されないまま終わるのだと。
だけど、私の手を握るルキの手は、驚くほど熱かった。彼は私の編んだ紐が結ばれた剣を抜き、世界を睨みつけ、私の前に立ちはだかる。
その背中は、どの騎士よりも大きくて、頼もしかった。
私は知っている。彼は完璧な存在じゃない。傷つくし、怒るし、私のために世界を敵に回すような、バカな人だ。
でも、彼は私を見つけてくれた。私の努力を見ていてくれた。そして、世界中の誰よりも私を――
眩い光が私の中から溢れ出す。それは偽物なんかじゃない。ただ、彼を守りたいと願う、聖女の祈り。
光の中で、私は彼の背中を見つめながら、心の中で静かに呟いた。
私の欲しいものは、もうここにある。
私の努力は、この人の隣にいることで報われた。
私を愛してくれる人は、今、私のために戦っている。
だから――
神さまはここにいた。




