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004_異世界_親子(誰かほめて)


「シエラ、何をぼんやりしているの。早く次の薬草をすり潰しなさい」


 薄暗い調合室に、母の鋭い声が響いた。

 シエラは「はい、お母さま」と短く答え、感覚の鈍くなりつつある右手を懸命に動かした。


 この国は今、隣国から放たれた目に見えない「遅効性の呪毒」に侵されている。町の人々は原因不明の衰弱に怯えていたが、それをひそかに食い止めているのが、この街のしがない薬師であるシエラの一家だった。

 正確には、特別な抗体を持つシエラの血液を触媒にして、毒を打ち消す聖薬を作っているのだ。


 連日の採血のせいで、シエラの衣服の下の腕は紫色の痣だらけだった。微熱と目眩が、絶え間なく彼女の身体を痛めつける。

 けれど、この国の人々は誰も、一人の少女の血によって自分たちの命が繋ぎ止められていることなど知らない。


 ―― 全部済んだら、誰かに誉めてもらおう。偉かったねって言ってもらおう


 すり鉢を回しながら、シエラは心の中で小さく呟いた。


 ―― 別に、本心じゃなくても良いの。

    ……欲を言うなら、お母さまに言ってもらいたいけど…


 目の前で、厳しい表情のまま何種類もの薬品を調合している母親の背中を見つめる。


 ―― だけどお母さまは、こんな程度じゃ甘いって言うんだろうな


 母は、一族の使命に生きる苛烈な人だった。

 幼い頃から「私たちは国を支える影。弱音を吐く暇があるなら手を動かしなさい」と育てられてきた。シエラがどれだけ血を流しても、記憶にある限り、母がその頭をなでてくれたことは一度もない。


 ---------------


 それから数週間後。

 シエラの血を限界まで注ぎ込んだ聖薬が完成し、国の呪毒は完全に払われた。

 町には活気が戻り、人々は「奇跡の終息」に歓喜し、笑い合っている。


 役目を終えたシエラは、自室のベッドで横になっていた。

 身体からほとんどの血を失った彼女の肌は、驚くほど白い。もう、指一本動かす筋力すら残っていなかった。


「……終わったんだ」


 窓の外から聞こえる人々の笑い声を聞きながら、シエラは静かに目を閉じた。

 お母さまを助けられた。国の人々を救えた。それだけで十分なはずなのに、胸の奥だけが、どうしようもなく寒かった。


 その時、バタンと激しくドアが開いた。


「シエラ!!」


 入ってきたのは、いつも冷静沈着な母だった。その髪は乱れ、手にはシエラの血を抜き取るための道具ではなく、ただ温かいだけのスープの器が握られていた。


「お母さま……?」

「動かないで、寝ていなさい!」


 母はベッドの脇に崩れ落ちるように座り込むと、シエラの冷え切った手を、両手できつく包み込んだ。その手は、見たこともないほどに震えていた。


「お前がここまで、自分を追い詰めていたなんて……。

 なぜ、もっと早く言わなかったの……っ」


 母の目から、大粒の涙がシエラの手の甲にこぼれ落ちた。

 いつも厳しかった母の顔が、今はただの、娘を失うことを恐れる母親の顔になっていた。


「お前は、私の自慢の娘よ。誰よりも立派に、この国を救ってくれた……」


 母はシエラの青白い額に自分の額を合わせ、声を震わせながら、ずっと言えなかった言葉を紡いだ。


「全部、終わったわ。もう誰も、お前の血を求めたりしない。……本当に、偉かったね、シエラ」


 ずっと欲しかった言葉だった。

 本心じゃなくてもいいなんて、そんなの嘘だ。シエラは、この、母の涙混じりの言葉が欲しくてたまらなかったのだ。


「お母さま……、わたし、頑張ったよ……」

 シエラの目からも、涙が溢れて頬を伝う。


「知っているわ、知っている。ごめんね、辛かったわね……これからは、もうずっと一緒よ」


 母はシエラの身体を壊れ物を扱うように、けれど二度と離さないと言わんばかりに強く抱きしめた。


 国の危機をひそかに救った少女は、ようやく「一人の愛される娘」に戻り、母の温もりの中で深い、穏やかな眠りについたのだった。


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