038_恋愛(私の運命)獣人と人間、運命の番から逃亡、4216字
「自由になりたい!」
婚約者から「病弱な幼なじみを支えたい」と、悲劇のヒーローのような顔をして一方的に婚約を解消され、私には落ち度がないはずなのに評判はダダ下がり。どこへ行っても、私を見てはひそひそと囁かれる根も葉もない噂話。針のむしろのような毎日に、私は心底うんざりしていた。
だから私は全てを捨てて、ガミガミうるさい実家を飛び出したのだ。
念願の冒険者になって半年。毎日好きなものを食べて、好きな依頼を受けて、誰にも縛られない最高の「自由」を謳歌していた。……はずだった。
それなのに。
「見つけた。お前が俺の、運命の番だ」
ある日ギルドの酒場で突然、威圧感バリバリの、でも顔だけはやたらと整った、街一番の有名人である超高ランクの獣人冒険者に腕を掴まれてそう宣言された。
……は? ツガイ? なにそれ、美味しいの?
周りの冒険者たちは「うおー! おめでとう!」「あの高嶺の花を射止めるなんて、大金星じゃん!」なんて拍手喝采でお祭り騒ぎ。
でもちょっと待って。なんでみんな笑顔で祝福してんの?
おめでたいわけあるか。
なんで初対面の知らん奴と結婚前提の空気にされてるわけ?
私の意思確認もなく、勝手に嫁と決められることに拒否感と嫌悪感しかないわ!
「なんで好きでもない人と結婚しなくちゃいけないのよ! 絶対イヤ!!」
私はそいつの足の甲を思いっきり踏みつけ、小柄な体型を活かして人ごみをかわし、混乱に乗じて酒場を飛び出した。
私の恋も、私の結婚も、私だけのものだ。
親に決められるのも嫌で逃げ出したのに、今度は運命なんていう神様の気まぐれに人生を乗っ取られてたまるか!
宿に帰ってすぐさま荷物をまとめると、「精算するよ!」という女将さんの声も無視して、私は街を飛び出した。
(さて、どうしよう。まともに戦って勝てる相手じゃない。獣人の身体能力と執着心は異常だって聞いたことある。あの様子だとさもありなん。――なら、逃げるならあそこしかないわよね)
『神国ルミナス』
厳格な結界が張られ、人間以外の種族――特に獣人は立ち入ることすら許されない、排他的な宗教国家。あそこなら、いくら高ランク冒険者だろうと関係ない。
(よし、逃亡先は決まり!)
なけなしの財産をはたいてヒポグリフ船のチケットを買い、神国の隣の王国へと飛び立った。獣人はヒポグリフ船を使えない。遅い魔導船か、あるいは徒歩でしか追って来れないはずだ。これでかなり時間が稼げる。
そうして順調に神国への街道を進んでいるはずなのに、なぜだかずっと背筋がゾクゾクして眠れなかった。
――そして、その予感は最悪の形で的中する。
やっぱり甘かったのだ。あいつは自分で追えない代わりに、人間の追手を回していた。
「お嬢ちゃん、あいつの『番』なんだろ? あいつ、ずっとお前を探してたんだぜ」
街道の途中でガラの悪い男たちに遮られ、私は一歩後退りした。そんなの知るか。
「なんで私が、好きでもないやつと結婚しなくちゃいけないんですか!?」
「あいつはかっこいいし、金も持ってる。いい条件じゃないか。大人しく来いよ」
「あいにく、好みのタイプじゃないんで!」
男たちがじりじりと距離を詰め、強引に腕を掴もうとしてくる。一度連れて行かれたらおしまいだ。私は喉が張り裂けんばかりの大声で叫んだ。
「誰か助けて! こいつら人さらいです!!」
運良く近くを巡回していた騎士たちが、異変に気づいて駆けつけてくれた。
「何事だ!」
「いや、ちがっ……!」
両腕を騎士たちに抑え込まれ、男たちが慌てて弁明しようとする。騎士の一人がいぶかしげに私を見た。
「彼らとは知り合いじゃないのか?」
「知り合いじゃありません! なんかあいつらの知り合いが私に一目惚れしたとかで、無理やり連れていかれそうになったんです! あいつらに私のことを聞いてみてください、名前すら知らないはずです!」
私はそうまくし立て、身分証を差し出した。
騎士が私の名前を確認した後、捕まった男たちに尋問を始める。何言か厳しい口調で問い詰められた男たちは、完全に顔を引きつらせていた。結局、彼らはそのまま連行されていくことになった。
「君の言う通り、あいつらは君の名前を言えなかった」
さっきの騎士が私のところへ戻ってきて、声を潜めて言った。
「とはいえ、今回は未遂で大した実害もない。小一時間は事情聴取と称して拘留しておくが、すぐに解放されるだろう。逃げるなら早く行くといい」
「ありがとうございます! ……あの、神国に行く最短ルートを教えていただけますか?」
私が必死に頭を下げて尋ねると、騎士は少し言いにくそうに眉をひそめた。
「危険ではあるが、ここから森を真っ直ぐ突っ切るのが一番早い」
魔物の出る森か、いつ追いつかれるか分からない街道か。
どうしようかと激しく迷っていると、もう一人の若い騎士が親しみを込めた様子で声をかけてくれた。
「俺、この後交代だからさ。馬で森の出口まで送ってってあげるよ」
「えっ?」
驚いて見上げる私に、彼は苦笑混じりに言った。
「実は俺の妹もさ、昔、獣人に勝手に『番』だと言われて神国に逃げ込んだんだ。あいつらの執着は本当に厄介だからな。同僚の叔父や祖母にも、同じような経験をした人がいる。君みたいに切羽詰まってここに駆け込んでくる奴は、だいたいそれが理由なんだよ」
ここにきて初めて現れた理解者と味方に、視界が涙で潤む。
「ありがとうございます……!」
彼の馬の後ろに乗り、私たちは森を駆け抜けた。そして、ついに木々の隙間から神国の国境ゲートが見えた、まさにその瞬間だった。
背後の森の奥から、地響きのようなあの男の咆哮が轟いた。
「ゲートはあそこだ! 振り落とされるなよ!」
騎士が馬の速度を限界まで上げる。背後からは圧倒的な速度で迫る獣人の気配。心臓が早鐘を打つ。
猛然と突っ込んでくる馬に、ゲート側の神官たちが「何事だ!?」と武器を構えた。私は速度の落ちない馬から覚悟を決めて飛び降り、頭から滑り込むようにして、白い結界のラインを越えた。
「亡命申請します……!」
ジジジッ……!!!
背後で激しい魔力の弾ける音が響き渡り、あの男が目に見えない壁に阻まれて弾き飛ばされるのが見えた。結界越しに、男が怒りと執着に満ちた目で私を睨みつける。
「いつか必ず、連れ戻す……!」
「二度と神国から出るもんですか! ここで一生、芋でも植えて暮らしてやるわーーー!!」
私は結界の向こうの男に向かって、思いっきりアッカンベーをしてやった。少し離れた場所で、馬を止めたあの騎士がニカッと笑って親指を立てている。
「ざまあみろ、元婚約者も、噂話も、運命も!」
神国での暮らしは規律が厳しくて少し退屈そうだけれど、これは私自身の意志で選んだ道だ。ここで新しく、自分らしい人生を送ろうじゃないか。そう心に決めて、私は新たな生活へと一歩を踏み出した。
――神国に入れば、もう完全に安全。そう思っていた時期が私にもありました。
本当に甘かった。
あの男、自分で入れないならと、神国に潜入できる「人間の協力者」を雇って、執拗に私を外へ連れ出そうとしてきた。
ギルドで受けた、簡単な薬草の採取依頼。指定された採取場所へ行くと、待っていたのは見知らぬ人間の冒険者たちだった。「あの御方が待っている、大人しくついて来い」って、こんな手を使うなんてどこまで卑怯なの!? 私は懐の煙幕を焚いて、必死にその場を逃げ出して、ギルドに苦情を申し立てた。冒険者ライセンスはく奪されてしまえ!
またある夜は、宿の窓から黒装束の男たちが侵入してきた。寝込みを襲われた私は、無理やり大きな袋に詰め込まれ、結界の外へ密輸されそうになったのだ。
「おい、離せ! 誘拐だぞこれ! 助けて!!」
袋の中で必死に暴れる私。あわや国境の壁を越えさせられるかという絶体絶命のその時、神国騎士が鮮やかに男たちを叩き伏せ、私を救い出してくれた。
「大丈夫ですか? ……どうやら、異端の者たちに狙われているようですね。安心してください、私たちがあなたを守ります」
そう言って私を袋から出してくれたのは、ルカ。神国の聖騎士団に所属する、生真面目で、でも呆れるほど優しい騎士だった。
差し伸べられた彼の手を見たとき、強く思った。
私の運命は、私が決める。
それからというもの、ルカは同僚たちと何度も私を獣人たちの魔の手から守ってくれた。
元々そういう手合いは多いのだそうだ。
最初は一国民としてお世話になっていたけれど、彼の優しさや、こんな私の自由奔放な生き方を「君は眩しい人だ」と笑って受け入れてくれる温かさに触れるうち、私の胸はどんどん熱くなっていった。
実家に縛られていた私。都合のいい運命を押し付けてきた獣人の男。
でも、ルカは違う。
私の意思を尊重し、支配するのではなく、隣に並んでくれる。
(――ああ、私、この人が好きだ)
それから、数年後。
「ママ、お外に大きなお耳の人がいるよ?」
「こらこら、こっちにおいで。いい? 結界の近くには絶対行っちゃダメだよ」
私は今、神国の美しい教会が並ぶ街で、ルカと、そして私たちの間に生まれた愛しい我が子の手を引いて歩いている。
神国の中でも冒険者たちは入れない、さらに内側の領域。聖騎士団と結婚した私は、その中で暮らす権利を得た。
結界の向こうには、今でも未練たらしくこちらを監視しているあの獣人の男と、その仲間たちの姿が遠くに見える。相変わらず、頭が下がるほどの執念深さだ。
だけど、私は隣にいるルカを見上げ、その逞しい腕にぎゅっと抱きついた。ルカは少し照れくさそうに頬を染めながらも、愛おしそうに私に微笑み返してくれる。
神様だか運命だか知らないけれど、私の勝ちよ。
誰かに決められたレールなんてクソ喰らえ。
「私が決めたの! ルカ、あなたが私の本当の『運命の人』よ!」
最高の旦那様と可愛い宝物に囲まれて、私は今日も、私だけの自由な幸せを生きている。




