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★☆後編☆★

 

 とっぷりと日の暮れた夜の森は、闇の色をかかえ込み、不気味な静けさに包まれている――かというと、そうでもない。

 ピールルル、ピールルル、ピルリッ。

「……なぁ」

 キョキョキョキョキョ、ピール、ピール。

「なぁに?」

 ピーピルリ、ピーピルリ、ウキョキョキョキョ。

「あんたはよくこんなところに住んでいられるよな? 実は俺、寝不足気味なんだが」

 うんざりとした様子でテーブルの上に待機しているフロンがこぼす。

 同じくテーブルに置かれたランプの火がでこぼこな体に陰影を作り、悲愴さを演出するのに一役買っている。

「こんなところだから私みたいな落ちこぼれが住めるんじゃない。たいして珍しいものは採取できないけど、こんなに綺麗で平和な森だもの。普通ならもっと人気の場所なのよ」

 必要な材料の入った壷をテーブルの上に出しながら、ミルテは苦笑と共に言った。

 “歌い森”という呼び名は伊達ではない。この森にやたら大量に住む通称“酔漢鳥”と呼ばれる青い小鳥は、太陽の下のみならず、月の下でも、いや曇りでも雨でも、年がら年じゅう、ひっきりなしに歌い続けているのだ。

 この森に居を構えようとした歴代の魔女達は、こぞって不眠症と耳鳴りに悩まされ、森を去ることを余儀なくされた。

 そして本来なら力ある魔女が、珍しいものが採取できる、人里が近い、景色が美しいなどの人気の高い場所を独占してしまうものなのだが、馬市の中のじゃじゃ馬のごとくこの森は売れ残り、ミルテのような落ちこぼれが住んでも誰にも文句を言われないという、ありがたいような、そうでもないような現状を手に入れることができたのだ。

「あんたは平気なのか? この騒音」

「私、あんまり音とかって気にならない人なの。騒がしいって言っても、可愛らしい小鳥のさえずりだし」

「そりゃぱっと聞きは可愛らしいかもしれないが、このやかましさは度を越してるだろ」

「そう? そんなにやかましい?」

「……意外と図太い神経してるんだな」

 段々慣れてきた褒め言葉とも皮肉ともつかないフロンの言葉は軽く聞き流し、ミルテは両手をパンと叩いて空気を変えた。

「さ、これでケロケロポーションに必要な材料は全部揃ったわね。じゃあ、調合を始めましょっか」

 調合用の大きなテーブルの上には、フロンがのっかっているレシピ集を始めとして、モジモジ草など、もろもろの材料と道具類が並べられ、準備完了となっていた。

「ケロケロポーション? なんだそりゃ」

「蛙変身薬、なんて捻りもなんにもないし、固すぎるでしょ? ちょっと可愛いかんじにアレンジしてみたの」

 てへ、と笑ってみせると、

「確かにゆるいかんじになってるが、だからって調合の手をゆるめるなよ」

 呆れたような半眼で釘を刺してくるフロン。

「うまいこと言うわね」

「こんなことで褒められても嬉しくもなんともない」

 軽い応酬に緊張をほぐし、レシピ集に改めて目を通す。

「まずは鍋に月光水コップ二杯分を入れ、森火にかける、と。大きさは小鍋でいいわね」

 魔女の鍋は一応、大、中、小の三種類、用途別にあり、魔女市にいけば、大抵三つセットで売られている。そこそこ高い。

 物に燃え移らない不思議な深緑の火、森火を焚くための薪は、バオバブルーという木から作られたもので、これまた魔女市で入手できる。わりと安い。

 石窯にバオバブルーの薪を入れ、一人分の調理鍋といった大きさの黒い鍋を上に置き、擦ったマッチを薪の中に放り込む。

「テロール、テリオール、ブームブーム・オクス」

 絶対に必要というわけではないが、燃え上がるのが早くなるので、森火を焚く時は儀式的にこう唱える。

 意味は、古代の魔女の言葉で“ホウキを手に踊れ、愛しき森の火と共に”。

 特に空気を送り込まなくても、バオバブルーはひとりでに火の手をあげていく。

 マッチの赤い炎は既に消え、透きとおった緑の炎がちろちろと鍋の底を熱し始めた。

「テロール、テリオール、ブームブーム・オクス♪」

 歌うように唱えながら、モジモジ草の入った袋をつまみあげる。ここからが真の調合だ。

「なんか楽しそうだな」

 リズムに合わせてタクトのように指を振るミルテを見上げ、フロンが言う。

「もちろん。調合は楽しみながらやるものなのよ。呪文は全部、歌みたいになってるし。昔は魔女が調合を始めると、森の動物たちが踊りだしたっていうわ」

 古き良き時代の魔女たちは陽気で優しく、動物からも人からも好かれ、敬われていた。

 魔女が陽気な種族でなくなったのはいつからなのか――ふと、そんなことを思う。

 悪さをする魔女が増え、魔女の評判もがた落ちしてしまった今。滅び行くさだめなのかもしれない。古き血の種族など。

 自然淘汰、というやつなのだろう。

 それに抗っても仕方ない。なるようになれ。せめて生きてる間は楽しくいこうじゃないか。人生を豊かにするために――調合は、そんな気分にさせてくれる。

「モジモジ草をひとつまみ。すりつぶしたアモスの実をぱ~らぱら。緋喰い鳥の羽根でちょっぴり辛くなったなら、チクリ蜂の蜜で甘味も添えて♪」

 次々と材料を鍋に落としていく。

 ぽこぽこと水色の液の表面が泡だってきた。

「熊耳草もおひとついかが、蛙の油ですべすべに~……って、あっ! そういえば、蛙の油!」

 突然、思い出してフロンを振り返る。

 必要な材料のひとつである蛙の油の調達をすっかり忘れていたのだ。

「そういやそうだったな」

 フロンも今思い出したのか、ぽそりと言う。

「フロン、心の準備はいい?」

「なんのための準備だ! 絞り取るのは却下だからな!」

 真剣に怯えた声で怒鳴られ、冗談なのに~とぶつぶつこぼしながら、ミルテは本棚に向かった。

 素材の採取方法を示した本を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。

「蛙の油、蛙の油…………あった、これね」

 意外とあっさりと見つかった。が。

「えーと……蛇に睨まれた蛙から採取……って、無理! それは無理!」

 蛇なんて冗談じゃない。思わず本を投げ出しそうになる。

「まぁ待て。要するに肝を冷やせばいいんだろ? 本物の蛇がなくてもなんとかなるんじゃないか?」

 フロンの言葉に、なるほど、と手を打ち、ミルテは床の籠に移しておいた今日採りたてほやほやのものを取り出した。

「どう? 蛇の代わりに」

 持ちやすいよう幾重かに巻き、紐で縛ったままのクネクネ草をフロンの目の前に突きつけると、

「確かにこいつには肝を冷やされたが……今はもう動かないし、怖くもなんともないな」

 そっけない返事を返される。ミルテは「まぁそうよね」と頷いた。

 クネクネ草をもとの籠に戻そうと踵を返す。その時、突然、手の中のクネクネ草がもぞりと動いた。

「きゃあっ!」

 今日、存分に嫌な思いを味わったばかりである。背筋にぞわっとしたものが走り、ミルテは咄嗟にクネクネ草を放り投げた。

 ボチャン。

 それがどこに落ちるかなど、まったく考えもしなかった。仮に考えたところで、そんな最悪なところに落ちるとは想像もつかなかっただろうが。

 そういうわけで、クネクネ草は見事、鍋の中に落下した。

「なぁぁぁぁ――――っ!」

 フロンの叫び声は、後半からかすれて音にならなかった。

 慌てて鍋にかきまぜ棒を差し入れ、湯気をあげるクネクネ草を拾い上げる。

 時間にして数秒といったところか。

 茶色のままの草に溶けた様子はないが、しかしどんな反応が起こったのか、鍋の中の水色だった液体は、黄色と黒の怪しいマーブル模様に変わっていた。

「ま、まずいかしらこれ。でもすぐに取り出したし……」

「あ、あ」

 口を大きく開けて、呆然としているフロンをちらりと見やる。と、

(あ、油!)

 フロンの喉元から、何かが滴ろうとしていた。ミルテは素早くテーブルの上に手を伸ばし、計量スプーンを取り上げた。

 すぐさま振り返り、なんとなく生臭そうなその液体を、フロンの喉を掻き切る勢いで猛然と突きつけたスプーンの中に収める。

 これが蛙の油――確かに油色だ。なんだかすごいお宝を手に入れたような気分になる。興奮に汗ばむ拳をフロンに向けて熱く叫ぶ。

「やったわフロン! 蛙の油よ!」

「それどころじゃない! 今のっ、今のはどう見ても……」

「さぁ、ちゃちゃっと残りを仕上げるわよ~~!」

「聞けぇぇぇぇぇぇ!」

 

 重い、重い沈黙が続いていた。

 ミルテとフロンは同じ目の高さで向かい合い、じっと二人の間にある物を見つめていた。

 窓から射し込む月の光を吸い込むようにキラキラと、輪郭が優しい輝きを放っている。

 なのに透明度を増さない中身は、妖しい煙すら立ち昇ってきそうな禍々しさで――。

 テーブルの上に佇むガラスの薬瓶は、濁った赤紫色の液体をかかえ込んでいた。何故か最終的にこの色になったケロケロポーション(?)である。

 どちらともなくゴクリ、と喉を鳴らす音が響いた後、ミルテは沈黙を破るように溜まった息を吐き出し、そして、力強く言った。

「成功ね!」

「失敗だ!」

 電光石火の突っ込みだった。

「現実を見つめろ、ミルテ。本には、薬の色は何色になると書いてある?」

「青紫」

「目の前にある薬は何色だ?」

「赤紫……。あ、あはは。わりと近いんじゃないかしら~なんて……」

「大違いだろ! どこからどう見ても文句のつけようのない失敗作だ!」

「これでも精一杯頑張ったのよ、フロン。そんなに怒らないで」

 しょんぼりとうなだれ、イジケまなこでフロンを見上げる。紫の蛙は何故か、たじっと怯んだように一歩下がり、

「わかった。悪かった。確かにあんたはよくやってくれた。だからそんな眼で見るな」

「まだ泣いてないわよ?」

「いや、そうじゃなくて……くそっ、こんな体でなけりゃ……」

 なにやらブツブツとこぼしている。

「うまくできなくて本当にごめんなさい」

「だから、もうそれはいい。クネクネ草が致命的だったんだ。あれは不可抗力だった。あんたの力が足りなかったわけじゃない」

「もう一度作ってみるから!」

「……いや。もういいんだ」

 突然、力をなくした声に、ミルテは引き寄せられるように顔を上げた。

 目玉の飛び出した小さな生き物のシルエットが、半分だけ月光に照らされ、ぼんやりと闇から浮かび上がる。

 蛙の虚ろな瞳には、はっきりと諦めの色が滲み出ていた。

「どうして? 好きな人はどうするの?」

「もともと無理な話だったんだ。この薬が完成したところで、即座に願いが叶うわけじゃない」

「諦めないで! まだ告白もしてないんでしょ?」

「告白か……。それこそ不可能だな」

「そんな弱腰でどうするの! 私にできることならなんでもするから! とにかく、一度その人と会ってみましょう!」

 勢い込んで立ち上がる。

 こうなったら乗りかかった船、というわけでもない。

 あの気位の高くて強気なフロンがそんな風に萎れているのが見ていられなかったのだ。

「会うなんて冗談じゃない!」

 しかし、フロンは勢いよくぴょんと飛び跳ねる。心臓が口から飛び出したかのような慌てっぷりで。

「どうして!」

 ずいっと顔を覗きこむと。

「う……その、なんだ。俺はこんな蛙だから……そう、多分、気持ち悪がられるじゃないか。そんなのショックだろう?」

 しどろもどろに答える。

(そんなにその人のことが好きなのね……)

 自分の姿を見せたくないほどに。

 少し妬ける気がした。

「わかったわ。いきなりご対面、はやめて、ゆっくり段階を踏んでいきましょ」

 すっかりお見合い仲介役になりきったミルテは、ひとさし指を立て、作戦を説明する参謀といった面持ちでフロンを見据えた。

「まずは私がその人に会って、お友達になるわ。それから好みとか聞き出して、フロンに教えてあげる。あとはあなたの努力次第。適当なタイミングを見計らって紹介してあげるから、うまくやるのよ」

「なんでそんなに張り切ってるんだ……」

「フロンの恋を応援するって言ったじゃない! 実るまでいかなくても、せめて好きな人の傍にいれるようにしてあげるから!」

 ミルテは熱のこもった眼差しをフロンに向けた。

 薬ができなかった以上、自分に手伝えることはこれぐらいしかない。フロンをがっかりさせた責任はどうしてもとりたかった。

 しかし。

「余計なお世話だ。あんたにそこまでしてもらう義理はないし、あんたには無理だ」

 何故か急に機嫌を悪くしたフロンは、プイッとそっぽを向いてそんな冷たいことを言う。

 ずきん、と胸が痛んだ。

 見放された――そう思った。

「確かに、私は落ちこぼれだけど……」

 いつのまにか滲んでいた涙が、頬を伝う。

 声が震えないよう、必死に気張ろうとしたが無駄たった。

「フロンの役に立ちたいの。だって、私にもっと魔力があったら、フロンを人間にしてあげられるのに。こんな簡単な薬すら失敗して……。私、自分がダメ魔女だってこと、こんなに悔しかったことない」

 言いながら、ぼろぼろとこぼれだす涙を、もうどうしようもできなかった。

「こんなんじゃ、魔女なんて言えない……」

 困った人を助けるのが魔女の仕事なのに。なにひとつ満足にできない自分。

 一人前の魔女に生まれたかった。魔女であることに揺ぎない誇りを持ちたかった。

 魔法使いになりたい気持ちがわかるなんて、ネアに言ったこと、あんなの嘘だ。本当は魔女に生まれてきて、自然と共にある優しい血を持てて、心から良かったと思っている。

 だから誰かの役に立ちたい。フロンの役に立ちたい。

 自分を落ちこぼれじゃないと言ってくれたフロンの助けになりたかった。なのに……。

「なっ、泣くなおい! 今のは言い方が悪かった! そういう意味で言ったんじゃない」

「ううん、いいの。本当のことだもの……」

 ぎょっとして気遣ってくるフロンに、ますます申し訳ない気持ちになり、涙をぬぐいながら首を横に振る。

 すると、ぺたんと湿った音が微かに響き、喉の奥に絡まったような声が近づいてきた。

「悪かったよ。俺はどうも言葉の使い方が下手で……。研究一筋だったから、基本的に人と話すのが苦手なんだ」

「フロンは悪くな……へ? 研究?」

 ぱちくり、と目が瞬く。涙が止まった。

 蛙の研究って、一体なんだろう?

「は、ハエの研究とかな! それはともかく、俺も少し弱気になりかけてた」

 恥ずかしそうに色を変えた蛙は、ミルテを真下から見上げて続ける。

「あんたにはきつい仕事になるかもしれない、って思ったんだ。それでもよければ、やってくれるか?」

 ハッとなって蛙を見返す。

「俺には、すがれる人はあんたしかいない。ミルテ、あんたの力が必要だ。落ちこぼれなんかじゃない、一人前の魔女であるあんたの力が」

 その真摯な響きに、どきん、と胸が鳴った。

 これは依頼だ。フロンは今、正式に魔女への依頼をしてくれているのだ。

「やるわ。私にできることならなんでも」

「あんたにしかできない」

 あんただからできるんだ。そう付け加わった後に、湿っぽい、だけどどこか温かい、ぺとりとした手がミルテの指先にかかる。いつのまにか触れられる距離にフロンがいた。

「とりあえず、あんたのその作戦でやってみよう。まずあんたが近づいて知り合いになる。それから隙を窺い、チャンスを待つ」

「ぷっ、なにその戦いにいくみたいな言い方。もっと恋の駆け引きっぽく言ってよ」

 思わず噴き出し、声をたてて笑った。

 ふっと一瞬表情を緩ませ、しかしすぐに引き締めなおしたフロンが、ミルテの指にのせた手に力をこめてくる。

「正直、心配事は色々あるが……何があっても、全力で俺が守る。必ず」

 大げさねぇ、と笑いながらも、その言葉をどこか頼もしくも、またくすぐったくも感じている自分が不思議だった。

 どうやら、思っている以上にこの蛙のことが好きなのかもしれない。

 

「はぁ、はぁ、だ、だいぶあんたの暴走飛行にも、な、慣れたぞっ」

 息切れする声は、腰の皮袋からこぼれてくる。まるで袋が喋っているようで不気味だが、もちろん、フロンが入っている。

 といっても、直接袋の中にいるのではなく、昨日と同じ瓶に入ったフロンを袋に包んで隠しているだけなのだが。

 どうしても姿を見られたくないと言うフロンの頼みを聞き入れた結果だ。

「失礼ね」

 まるで暴れ牛でも乗りこなしたかのような口振りにミルテは頬を膨らませたが、猿のような恰好でたわんだ枝にしがみついている今の状況では、何を言っても説得力がない。

 今回の着地は、確かに、ほんの少しだけ、危なかった。

「あの窓から見えるのね?」

 ミルテはするすると幹に移動し、この位置からではまだ中の様子が見えない下方にある窓を首で示した。

 家、というよりは塔そのものである。初めて見た時は驚いた。

 なんと、フロンが恋した相手は魔法使いで、この塔に住んでいるのだという。

 ミルテの森からかなり離れたところにある大きな森の中に建てられた石造りの塔だ。城砦を思わせる堅牢な三階建て。その最上階は研究室となっており、恋しい人の姿はそこの窓から覗けるだろうということで、こうして近くの木に着陸(?)したのである。

 ちなみにホウキは小さくしてポケットにしまった。魔女のホウキは念じれば大きさを自由に変えられる。

 幹を伝い降りるに従い、窓辺に置かれた机やら、何かの器具やら本やら、確かに研究室らしい内装が徐々に見えてくる。

 部屋の中央辺りに、実験用か一際大きなテーブルがあり、その傍らに人の手が現れた。ハッと下の枝に伸ばしかけた足をひっこめる。

 気づかれたら言い訳できない不審者ルック全開中だ。幹に身を隠すようにして慎重にずり下がっていく。幸いにも今日はズボンだ。

 やがてその全貌を現したのは、腰まで伸びた緑がかかった黒髪をひとつに束ね、ゆったりと椅子に背をもたせかけた美しい――青年、だった。

「フロン……男の人なんだけど……」

 ごくり、と何故かある種の緊張と共に生唾を飲み下し、腰の蛙に問いかけると。

「俺は……、オスが、好きなん、だっ」

 意を決したかのような、なんだか投げやりに腹を括ったかのような絞り声が重々しく空気を凍らせた。

「……フロン。私はなにがあっても友達だから……」

「いいからさっさとどんな様子か教えろ!」

「えっとね、椅子に座って大きな鏡を磨いてる。男の人なのに綺麗ねぇ……」

 青年は遠目から横顔だけ見てもはっきりとわかるほど美形だった。これなら男だって一目惚れしてしまうかもしれない。

 線が細いというわけではないが、肌が白く、眉や鼻の形が整っており、目には知性の輝きがある。ゆったりとした青灰色のローブに身を包み、膝に凝った意匠の鏡を立て、大事そうに布で磨いている。

 ナルシストなのだとしたら少し残念だ。

(鏡? そういえば最近、鏡の噂を聞いたような……)

「よし、いいだろう。研究室を見せてください、と言ってそこに通してもらうんだ」

「わかったわ」

 木から降りたミルテは、早速塔の入り口の扉を叩いた。しばらく待つと、ギィ、とものものしく扉が開く。

 さっきしげしげと観察していた当人が現れ、一瞬後ろめたさを覚えるが、どうにか真摯そうな顔を取り繕って言う。

「こんにちは。私、魔法使い志望のミルテといいます。将来のために、色々とお話を伺ってもいいですか?」

 

 研究室を見せてください、という希望通りに最上階へと案内してくれたその青年は、

「魔法使いのソル・アルマンといいます」

 と優しい声で自己紹介をした。

 魔法使いは高飛車というイメージはすぐに吹き飛んだ。断られたらどうしようかと思っていたが、そんな心配は無用だったようだ。

「それで、どんなお話をお聞きしたいのですか?」

 心地良い低さで響く声と、甘い微笑をたたえたマスクについぼんやりとしてしまう。

「あ、あの、ま、魔法使いの仕事や研究って、どんなかんじなんですか?」

 こんなに若くて美しい青年と話をした経験のないミルテはすっかりあがっていた。

「そうですねぇ……」

 机の引き出しから書類の束を取り出し、最近依頼された仕事は……と説明してくれる青年の薄い頬に、森を包む深い闇の色をした横髪が落ち、意外と男性的な首筋を露にする。

 段々と、胸の動悸が激しくなってきた。

 青年の顔を直視していられなくなったミルテは、落ち着かない視線を周囲に泳がせた。

 部屋のレイアウトは自分の調合部屋と似たようなものの、こちらはかなり広く、整理整頓がなされている。

 天井にまで届く本棚を埋め尽くす書物は、なになに理論とか難しそうなタイトルが並び、蔵書の数もミルテの優に数十倍はあると思われた。

 その上、本棚に入りきらなかったのだろう本が中央に置かれた実験台の上にも積まれているのだから、魔法使いが英知を極める職業だといわれているのも納得がいく。

 少し目に眩しいのは、部屋が全体的にうっすらとした光の膜に覆われているからだ。恐らく、防御と保存の魔法。窓辺の机の上にはさきほど青年が磨いていた鏡が寝かされ、キラキラと陽の光を反射していた。

 外から覗き見たままの光景の場所に立っているというのも妙な気分だ。

「ミルテさん?」

「は、はいぃぃっ!」

 不意打ちの呼び声に意識を引き戻され、思いっきりひきつった声をあげてしまった。

 側面に体当たりしたのか、腰の瓶からフロンの突っ込みっぽい振動を感じる。

「ご、ごめんなさいっ、私、お、男の人にあんまり慣れてなくてっ」

 青年と腰の蛙と、両方へのいいわけだ。

「はは……そんなに緊張しないでください。これでも一応紳士のつもりですから、いきなり無礼なことしたりはしませんよ?」

 ますます頬が熱くなる。

 ソル・アルマンはとて穏やかで、親切で、フロンが好きになるのもわかる気がした。

(この人なら、フロンを見ても嫌ったりしないわ、きっと)

 それどころか、蛙と友達になるのも快く承諾してくれそうな雰囲気である。

 少々性急かもしれないが、フロンのことを話してもいいのではないだろうか。

「あの……ソル・アルマンさん」

「はい?」

 意を決してミルテは切り出した。

「突然のお話なんですが、苦手な生き物ってありますか?」

 いきなり質問が遠回りすぎるだろうか。いやいやでも好みは大事な問題だ。

「いえ、特にはありませんよ。生き物は好きですから」

 脈ありっ! 握った拳が熱くなる。

「は、爬虫類とか両生類とかでも大丈夫ですか?」

 重ねて慎重に訊く。するとソル・アルマンは柔らかく顔をほころばせて、

「蛇やトカゲや蛙はむしろ好きな方です」

 と答えたのだ!

 第一関門突破ぁぁぁぁぁ!

 思わず拳を突き上げそうになり、慌ててて姿勢を正したミルテに、ソル・アルマンが不思議そうに尋ねてくる。

「どういったお話なんですか?」

 これはいけるんじゃないだろうか。きっといける気がする。

「あの、もしよければなんですけど」

 続けようとしたが、その時、腰を瓶越しに強く叩かれた。

「いいじゃないフロン!」

 やってしまった、と思った時はもう遅い。

 ソル・アルマンの視線はしっかりとミルテの腰から提げられた袋に集中していた。

「中に、何かいるのですか?」

 穏やかな声で問いかけられる。

 こうなったら本当のことを話すしかないだろう。ミルテは決心した。

 険しく瓶を叩く蛙の怒りはごもっともだが、どうせいずれ顔は見せなければいけないのだ。それなら、最初から見せたほうがいいに決まっている。

「あ、あの、実はあなたとお友達になりたいという生き物がいまして」

「生き物?」

「えっと、少々生々しい生き物なんですが、ちょっと待っててください」

 腰帯から皮袋を取り外し、首を傾げる青年に背を向けながら中の瓶の蓋を開ける。

 ひょいと覗きこむと、怒りに煮えたぎった目で睨みつけてくるフロンがいた。

「ね、フロン。きっと大丈夫。そんな怖い顔しないで。この人ならあなたと友達になってくれるわ、絶対」

「興味深いですね。是非その生き物を紹介してください」

 ソル・アルマンがやってくる。

 予想通りの好反応を示してくれる優しい青年に、ミルテはすっかり全てを打ち明ける気になっていた。

 にこにこと歩み寄ってくるフロンの想い人のもとへ、袋ごと瓶を両の手の平に包みこみ、ゆっくりと手を差し出す。

 親しげな瞳が瓶の中を覗きこむ。その瞬間、信じられないことが起こった。

「ゲロロッ!」

 勢いよく飛び出した紫色の物体が、端正な顔にべとっと貼りついたのだ。

「わっ!」

 驚いて仰け反るソル・アルマンの鼻を踏み台にして、再び大きくジャンプしたのはフロンだ。手近な椅子の背もたれに飛び移り、ものすごいぴょこぴょこ速で逃げていく。

 唖然。

 あれは蛙流の求愛行動なのだろうか。それとも照れているのだろうか。

 それにしては随分と必死そうな小さな背中を見守っていたミルテだったが、ハッと我に返り、ここはフォローするべきかと青年のもとに駆け寄った。

「大丈夫ですか、アルマンさ……」

「おのれ、やはりお前だったのねソル・アルマン!」

 へ? ソル・アルマンはあなたでは……てゆーかオカマ? と浮かんだ疑問は、青年の目に漲る殺気を見た瞬間、霧散する。

「この体はもう私のものなんだ! 今度姿を見せたら命はないと言っただろう!」

 双眸を吊り上げた青年はミルテの存在を完全無視し、部屋の入り口へと逃げるフロンの後を追いかけ始めたのだ。

 なんなの? 突然の変貌についていけない。

 だが実験台に積まれた分厚い本の一冊を手に取り、振りかぶる青年を目にした時。

「なにするの!」

 ミルテは咄嗟の行動に出ていた。すなわち、瓶を投げつけた。フロンの入っていたガラス製・マグカップ大のずっしりした瓶を。

 ガツン!

 それは見事に青年の後頭部を直撃。青年はうっと呻き声を上げて床にしゃがみこむ。

「ミルテ! ポーションだ!」

 焦りながらも力強いフロンの声が響いた。

 訳がわからないが、理由なんて後からでもいい。とにかく今はフロンを信じるしかない。

 ミルテは鞄を開き、それを取り出した。

 赤紫色の毒々しい液体――恐らく、失敗作であろうケロケロポーション(もどき)。

 フロンに「もしもの時のためにこれを持っていけ」と言われた時は、もしもってなんだろう、と首をかしげたものだが、今思えばフロンはこういう事態が起こるのを予測していたわけだ。

「最初に――――言っといてよね!」

 百とある文句をひとつにまとめて吐き出しながら栓を抜き、思いっきり床を蹴りつける。

 振り返る青年の顔に、瓶ごと叩きつける勢いで、効果不明の怪しい液体を浴びせかけた。

「な――――っっ!」

 死んだらどうしよう、でもフロンを殺そうとした奴だし、むしろ効果がなかったらどうしよう、てゆーかあの優しい態度はなんだったのよ、いい人だと思ったのに! 色々な思いが交錯し、頭がごちゃ混ぜになる。

 でもひとつだけ、はっきりしていることがあった。

(フロンを殺そうとしたことだけは、絶対に許せない!)

 どろん、と白い煙があがった。

 変身の効果を示す煙だ――ということは、かろうじて変身の薬ではあったらしい。

 すぐに薄れゆく煙の中で、ソル・アルマンだったものがもぞもぞと床を蠢く。

 それを見た瞬間、ミルテは声にならない悲鳴をあげた。

 蛇だ。黄色と黒のまだらもようの蛇が、ちろちろと舌を出しながら床を這いずっている。

「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」

 全身に鳥肌が立った。本能的に瓶を投げつけた。今度はケロケロポーション(完全に失敗作)が入っていた空瓶だ。

「しめた! ミルテ、鏡だ! 机にある鏡に、俺とこの蛇を一緒に映すんだ!」

 フロンがぴょこぴょことこちらに向かいながら叫ぶ。

 震える足に活を入れ、ミルテはフロンに言われるまま机に体を向けた。鏡を手に振り返ると、瓶が当たった部分を苦しそうにくねらせる蛇の横で白い煙があがる。

 どうやら床にこぼれたポーションをフロンが舐めて変身したらしい。

 同じ姿――黄色と黒のまだらもようというなんとも気持ち悪い蛇が二匹。思わず顔を背けながら、ミルテは鏡を向けた。

 その瞬間。

 真っ白な閃光が迸った。

 自分の手から――いや鏡から、真夏の太陽の輝きをもつ光が放たれている。それは束の間辺りを照らしたかと思うと、突然、数条の鋭い光に分かたれ、矢となり、空を走り、二匹の蛇の周囲を包むように回り始める。

 まばゆい不思議な光景の中、ぼんやりとした影がそれぞれの蛇の上に浮かび上がった。

 長い髪。すらりとした手足。徐々にはっきりしてくるその影は、人の形を成している。一体は男で、一体は女の影だろうか。

 と、気づいた時には、ふたつの影は交差し、するりと位置を換えていた。

 魔法だ。これは魔法だ。

 とんでもなく、強力な魔法が発動している。

 呆然とするミルテの目の前で、人型の影は二匹の蛇の中に吸い込まれていき――、

「なに? なに?」

 光は消え、いつのまにか鏡は静かに石床に横たわっていた。さっぱりわけがわからない。

「ぐあっ! か、体が……。くそっ、“我が身を蝕む不浄なる物質を浄化せよ!”」

 どろん、とまたまた煙があがる。

 痛そうに頭と背中を押さえたソル・アルマンが煙の中から立ち上がった。

 どうやら魔法で薬を解毒したらしい。ミルテはびくっと身構えた。

 しかし。

「観念しろドーラ! もう好き勝手にはさせんぞ!」

 ソル・アルマンの鋭い瞳は、こそこそと床を這いずっていくもう一匹の蛇に向けられた。

「ちくしょう! 捕まってたまるもんか!」

 フロンの声で叫ぶ蛇は、ピッチをあげて部屋の入り口へと逃げていく。

 ミルテは動けなかった。ソル・アルマンの呪文で元フロンの蛇が宙に浮き上がり、部屋の隅にある壷の中へと放り込まれ、蓋をされても、どうしたらかいいかわからなかった。

 しかし、一息ついて振り返った青年の顔を見た瞬間、全てが終わったことを悟った。

「フロンなのね……」

 自然と口を出たその言葉は、真実を見つけた時のように、ミルテの心に鈴を響かせる。

「ああそうだ。俺が本物のソル・アルマンだ」

 照れくさそうにはにかんだ青年の瞳は、まったく違う海の色でありながら、あの琥珀色の瞳とそっくりの輝きを放っていた。

「出せー! ここから出せー!」

「まったく、うるさい魔女だな……」

「ドーラって、もしかして、ささやき谷のドーラ?」

 その名前には聞き覚えがあった。

「黙っていて悪かった。ドーラにあんな目にあわされた後だったし、魔女が信用ならなかったんだ」

「入れ替わってた……? 魂が?」

「この鏡のせいでな」

 ソル・アルマンは床に落ちた鏡を拾い上げ、小さく呪文を唱えた。

 するとパリンッという耳障りな音をたて、真っ二つに割れる魔法の鏡。それをゴミ箱に放りながらソル・アルマンは語りだす。

「こいつはどこぞのアホ魔法使いが作った魂交換の鏡だ。本当ならどんな魂でも入れ替えられる予定だったんだろうが――同じ姿、つまり器が同じものしか入れ替えられないという欠陥品になってしまった。ドーラはある日突然、俺の姿になってこの鏡を手に現れた」

「そうしてあなたと魂を交換したのね」

「そうだ。油断していたよ、まったく……。狙いがわからなかったんだ。まさかこんな鏡が存在するとは思わなかったからな」

「どうしてあの池に?」

「殺すのはさすがにためらったんだろうな。俺になったドーラに蛙に変えられ、魔力と言葉を封じられて、放り込まれた。あんたのあの魔法薬は、俺にかかっていた“言葉封じの呪い”を解呪したんだ。……あながち、失敗作でもなかったのかもな」

「浄化の薬……良かった。フロンの役に立ったのね……」

 フロンとの出会いを思い出し、涙が滲んでくる。無駄な挑戦かと思っていたが、あれがなければフロンに会うことはなかったのだ。

「あんたのおかげでもとに戻れたんだミルテ。本当に感謝している……。人間に恋したなんて、嘘をついて悪かったよ」

 ソル・アルマン――フロンだった青年、ソルは、最初のつんけんした態度が信じられないくらいに柔らかな瞳でミルテを見た。

 いや、あの態度は魔女に対する不信感からきたものだったのだろう。今思い返せば、ただの蛙にしてはおかしな点が沢山あった。花畑を眩しがったのも、魔女の体だったからなのだ。何故すぐに気づかなかったのだろう。

「ううん、気にしないで。こちらこそ、同族が酷いことして……でも、どうしてドーラはそんなことを……」

「魔法使いの力が欲しかったんだとさ。魔女には飽き飽きしたと言っていた。記憶は魂にも焼きつくが、脳から引き出すこともできる。体が手に入ればその人間の能力を使うことができるって寸法だ」

「魔女でいるのが嫌になったのね……」

 ネアとの話を思い出す。ドーラは古い血に縛られる魔女であることを嫌い、遊び呆けていると言っていた。

 確かに、魔法使いを羨ましいとミルテも思った。一歩間違えば、自分もドーラと同じになっていたかもしれない。そう考えると、ドーラを嫌いにはなれなかった。

「そんな顔するな、ミルテ。俺もドーラばかりが悪いとは思っていない。あんたのおかげで魔女のこともよくわかったし、これからは魔法使いと魔女が協力していくべき時代なんだろう。あんたらの言うとおり、魔法使いも高慢で嫌な奴が多いしな」

「そっ、そんなことっ」

 やっぱり、ネアとの会話を聞かれていたのだ。どうりでやたらすねていると思った。

 魔女と魔法使いとの間には互いに誤解がありそうだが、少なくとも、ソル個人の性格は、噂どおりだと思ったのはどうやら秘密にしておいたほうがよさそうだ。

 しかし、それを見越したかのように、ミルテの顔を覗き見るソルの瞳がにやりと笑う。

「今でも、魔法使いは友達にしたくないタイプだと思うか?」

「そっ」

 心臓が飛び跳ねて声が裏返る。

 この状況でそれを訊くのは意地悪だ。やっぱり魔法使いは性格が悪い。

 と思いつつ、言い返せないのは、突然かっこよくなったフロンの真の姿になんだか負けていると感じたからではない。絶対ない。

「……フロンはもう友達だもの」

「ソル、って呼んでくれないのか?」

「あ、あんまり近寄らないで! 面白がってるでしょ、フロン!」

 さっきまでこの姿にどぎまぎしていたのを、この元・蛙はしっかり瓶の中で聞いていたわけだ。なんという意地の悪さか。

 後ずさるミルテに、楽しげに目を光らせる青年は、どんどん距離を縮めてくる。

「もちろん。なにせあんたには暴走飛行で散々な目にあわせてもらったからな」

 ね、根に持ってる!?

「今回のこと、感謝はしているが……少しくらいお返ししてもいいだろう?」

「お、お返しって!?」

「これからの付き合いに禍根を残さないためにも、ひとつだけくらってくれ」

 ずいっと迫る大きな肩と、背中に当たる壁の感触に、ミルテは固まった。しかし。

「おかげで忙しくなりそうだしな」

「え? どういう意味……」

「魔女としての誇りを大切にするおっちょこちょい魔女と一緒にいるのは、面白すぎてどうやら癖になりそうだ、ってことかな」

 それはあまりに突然で、回避しようがなかった。

 額に触れてきた柔らかな熱は、すぐに離れて目の前の青年の顔に収まる。

 まず息が止まった。続いて頭が真っ白になった。それから急激な熱が生まれてきて。

(ま、まさか今の……)

 我に返ると同時に手が動いていた。

「ばかぁぁぁぁぁぁっ!」

 ばちぃぃぃんと景気のいい音をソルの頬に響かせた後、猛ダッシュで窓に突撃したミルテは、もとの大きさに戻したホウキを掴んで、一目散に外へと飛び出した。

「ミルテ! 今ホウキに乗るのはまずいだろ! 集中力が……」

 え? と思った時はもう遅い。コントロールを失ったホウキがものすごいスピードで上昇を始める。

 さすがのミルテも振り飛ばされそうな勢いで、上へ下へと翻弄してくれる暴走ホウキは、やがて旋回しながら森の中へと突っ込んでいき――。

「いやぁぁぁぁぁ!」

 しかし、慣れというのは恐ろしい。いつもの数倍スリリングな飛行の後でも、ちゃんと納まりはつくものである。

 反転した世界の中で、驚いた小鳥たちが一斉に飛び立っていく。慌てた羽がむきだしのおでこを叩いては逃げていく。

 もう――笑うしかないだろう。

 木の枝から逆さにぶらさがったなんとも見事な恰好で、いまだ火照る頭にふと思い出されるのはあの言葉。

『人生の豊かさは、才能の豊かさでは決まらない――』

 ひきつった頬が笑う。ひくひくと。

 なるほど。確かに、それは真理に違いない。

 才能がどうであれ、精一杯生きていれば、こんなにも人生は刺激的で、面白いのだから――。

            

 

 (了)

 

 

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