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第8話 追っ手


 村を離れてから、三日が経った。

 アティシアとリゼは街道(かいどう)を避け、人目につかない森や山道を選んで進んでいた。


 王国軍がどこまで自分たちを追っているのかは分からない。

 けれど、第一王女が城から逃亡したのだ。

 捜索(そうさく)が続いていることだけは間違いなかった。


「アティシア様」

「ん?」

「先ほどから、後方を確認する回数が増えています」

「……そんなに見てた?」

「はい。二十七回です」

「数えなくていいよ」


 アティシアは苦笑した。

 けれど、すぐに表情を引き締める。


「なんとなく、嫌な感じがするの」

「敵ですか?」

「分からない。でも……」


 アティシアは立ち止まり、背後を見る。

 木々の間を風が抜けていく。

 人の姿はない。鳥の声、葉が擦れる音。

 それ以外には、何も聞こえなかった。


「気のせいかな」

「周囲を確認します」

「あ、待って」


 森の中へ入ろうとするリゼの腕を掴む。


「一人で行かないで」

「ですが、敵が存在する場合――」

「だったら、なおさら」


 アティシアはそっと掴んでいたリゼの腕を離してからリゼを見る。


「一緒に行く」

「……分かりました」


 リゼが頷いた。

 アティシアは腰の剣へ手を添えながら、再び歩き出した。

 そのときだった。

 ――パキッ。遠くで、枝が折れる音がした。

 アティシアの足が止まる。


「リゼ」

「はい」


 二人は同時に振り返った。

 誰もいない。しかし――。


「走るよ」


 アティシアが小さく告げるのと同時に二人は駆け出した。


✴︎


「見つかった?」

「可能性は高いです」


 二人は森の中を走っていた。

 リゼは息一つ乱していない。

 一方のアティシアは、枝を払いながら必死に足を動かしていた。


「人数は?」

「少なくとも八名」

「分かるの?」

「足音がします」

「……さすが」


 感心している場合ではない。

 背後から馬の蹄(てい)の音が聞こえ始める。


「いたぞ!」 

「王女殿下だ!」

「追え!」


 アティシアは舌打ちする。

 二人は街道から離れ、さらに森の奥へ入った。

 馬では追いにくい場所まで行けば、振り切れる。そう考えたのだが――。


「アティシア様」

「何?」

「前方にもいます」

「え?」


 直後。

 木々の向こうから、数人の騎士が姿を現した。

 全員が王国騎士団の紋章(もんしょう)を身につけている。


「止まれ!」


 アティシアは急停止する。

 背後からも騎士達が追いついてくる。


「……囲まれた」


 前方に六人。後方には八人。

 左右は深い森。完全に逃げ道を塞がれていた。

 リゼがアティシアの前へ出る。


「排除します」

「待って」


 アティシアはリゼの肩を掴んだ。


「まだ戦わないで」

「しかし――」

「いいから」


 騎士達の間から、一人の男が歩いてくる。

 30代半ばくらいだろうか。

 腰には長剣。短く切り揃えられた灰色の髪。

 その顔を見た瞬間、アティシアの表情が変わった。


「……グレン」


 男がアティシアとリゼの目の前まで来ると、優しく微笑み立ち止まる。


「お久しぶりです、アティシア王女殿下」


 王国騎士団副団長――グレン・ハルト。

 アティシアが幼い頃から剣を教わってきた人物だった。


「どうして、あなたが……」

「陛下から直々に命を受けました」


 グレンはアティシアを真っ直ぐに見る。


「王女殿下を、王城へ連れ戻せと」

「……お父様が」

「皆、心配しております」

「心配?」


 アティシアは思わず笑ってしまった。


「私を連れ戻して、この子を処分するつもりなのに?」


 グレンの視線がリゼへ向く。


「その兵器は王国の所有物です」


 アティシアの眉が動いた。


「リゼよ」

「……はい?」

「この子の名前。兵器じゃない。リゼっていうの」

「殿下」


 グレンの声が低くなる。


「城へお戻りください」

「嫌よ」

「これはお願いではありません」


 周囲の騎士達が一斉に剣へ手をかける。


「国王陛下のご命令です」

「……だったら、なおさら戻れない」

「なぜです」


 アティシアは答えようとして――。

 焼け落ちた村を思い出した。父親を失った少年。

 息子夫婦を失った老人。そして—— あの言葉。

『王国が守るのは、王国の人間だけだ』


「グレン」

「はい」

「王国軍は、人々を守るために戦ってるのよね?」


 唐突な問いに、グレンが僅かに眉をひそめる。


「無論(むろん)です」

「じゃあ、どうして王国軍に家族を殺された人がいるの?」

「……何の話でしょう」

「旅の途中で村に行ったわ」


 アティシアは拳を握る。


「家が焼けていたし、家族を殺された人がいた。王国のことも怖がっていたわ」

「戦争では、犠牲が生じることもあります」

「犠牲?」


 胸の奥に、昨日までとは違う感情が湧き上がる。


「それで終わらせるの?」

「殿下、」

「私、何も知らなかった」


 城の中では、勝利の報告しか聞かなかった。

 何人の敵兵を倒した。どれだけ領土を広げた。

 どれだけ王国が豊かになった。

 その向こう側にいた人間のことなど、一度も教えられなかった。


「だから、まだ戻らない」

「殿下が背負う必要のないことです」

「それを決めるのは私よ」


 グレンの表情が険しくなる。


「……ずいぶん変わられましたね」

「そうかもしれない」

「その兵器の影響ですか?」

「違う」


 アティシアはリゼの隣に立つ。


「私が自分で見て、自分で決めたの」

「……そうですか」

「そこを通して」


 しばらく沈黙が続いた。

 やがてグレンが剣の柄へ手をかける。


「できません」


 アティシアも剣へ手を伸ばし、鞘(さや)から剣を抜く。


「なら……力ずくで通るわ」

「殿下と剣を交えることになるとは」

「私も貴方と剣を交えることになるとは思わなかったわ」


 グレンが剣を抜き、周りにいる騎士達に告げる。


「捕らえろ」


 その言葉と同時に、騎士達が動いた。

 最初の一人がアティシアへ斬りかかる。

 キィン――!

 剣と剣がぶつかった。

 アティシアは刃を受け流し、相手の腹へ蹴りを入れる。


「ぐっ!」


 騎士がよろめく。


「リゼ、走って!」

「しかし――」

「いいから!」


 二人は包囲(ほうい)を突破しようとする。

 だが、別の騎士が立ちはだかった。

 その剣がアティシアへ振り下ろされる。

 次の瞬間。リゼの姿が消えた。


「――っ!」


 騎士の懐(ふところ)へ潜り込み、腕を掴む。

 そして捻り上げる。


「ぐあっ!」


 剣が地面へ落ちる。

 リゼは奪った剣を拾い上げ――。

 迷いなく、騎士の喉へ刃を向けた。


「リゼ!」


 アティシアの声が響く。

 あと数センチの騎士の喉元で刃が止まった。


「殺さないで」


 リゼがアティシアを見る。


「ですが、この人間は敵です」

「それでも……!」

「敵を排除しなければ、逃走成功率が低下します」

「分かってる」


 アティシアは騎士の攻撃を受け流しながら叫ぶ。


「でも、殺さないで!」


 リゼの動きが止まる。


「それは……命令ですか?」


 アティシアは一瞬、言葉に詰まった。

 命令。その言葉を聞くたび、胸の奥に引っかかるものがある。

 本当は、命令なんてしたくない。

 リゼには、自分で選んでほしい。

 けれど今は――。


「……うん。命令よ」


 アティシアは頷いた。

 リゼの瞳を真っ直ぐ見て告げる。


「誰も殺さないで」

「…………」


 リゼは自分の持つ剣を見る。

 これまで与えられてきた命令は、いつだって同じだった。

 殺(ころ)せ。排除(はいじょ)しろ。殲滅(せんめつ)しろ。敵を残すな。

 だから『殺すな』という命令を、リゼは知らなかった。


「……了解しました」


 リゼは剣を反転させる。

 次に襲ってきた騎士の剣を弾き、そのまま柄で腹を打つ。


「ぐっ……!」


 騎士が膝をつく。さらに背後から迫る一人。

 リゼは身体を沈め、その足を払った。


「うわっ!」


 地面へ倒れる。アティシアが目を見開く。


「できるじゃない!」

「殺傷しない戦闘は非効率です」

「文句はあと!」

「はい」


 二人は背中合わせになる。

 アティシアが剣を受けて、リゼがその隙を突いて騎士の武器を奪う。

 リゼへ向かった攻撃を、今度はアティシアが弾く。


「右!」

「はい」

「後ろ!」

「確認しました」


 初めてなのに、不思議なくらい互いの動きが分かった。


「リゼ!」


 アティシアが叫ぶと、リゼはすぐに意図を察した。

 一人の騎士の腕を掴み、身体ごと投げる。

 その騎士が別の騎士へぶつかり、二人まとめて倒れた。


「今!」


 二人は開いた隙間へ走る。


「逃がすな!」


 グレンの声がその場に響き渡る。

 アティシアは走りながら弓を手に取った。

 矢を一本。弦を引く。


 狙うのは人間ではない。

 騎士達の頭上。太い木の枝。矢を放つ。

 バキッ――!

 枝が折れ、騎士達の前へ落下する。


「止まれ!」 

「危ない! 枝が落ちてくるぞ」


 追手の足が止まった。


「走って!」


 そんな騎士達の声を背に、アティシアとリゼは森の奥へ駆け込んだ。


✴︎


 どれだけ走ったのだろう。

 気づけば、辺りは薄暗くなっていた。

 二人は森を抜け、岩場(いわば)の陰へ身を隠した。


「はぁ……はぁ……」


 アティシアは岩に背中を預け、その場へ座り込む。


「もう……無理……」


 リゼは立ったまま周囲を確認している。


「追跡音はありません」

「……撒いた?」

「現時点では」

「そっか……」


 アティシアは大きく息を吐いた。

 安心した途端、身体から力が抜ける。


「アティシア様」

「なに?」

「確認したいことがあります」

「ん?」

「先ほどの命令についてです」

「……あー、殺すなってやつ?」

「はい」


 リゼが自分の手を見る。


「私はこれまで、敵を殺害することを前提に訓練されています」

「うん」

「殺さなければ、敵は再び襲ってきます」

「そうだね」

「それでも殺してはいけないのですか?」


 アティシアは少し考えてから、口を開く。


「……できるなら」

「できるなら?」

「私だって、絶対に誰も殺すななんて言えないよ」


 戦場を知っている。

 殺さなければ殺される瞬間があることも知っている。


「でも、殺さなくても済むなら、殺さないでほしい」

「なぜですか?」

「帰る人がいるかもしれないから」


 リゼがアティシアを見る。


「家族が待ってる人もいる。あの騎士達だって、命令されて私達を追ってるだけかもしれない」


 昨日の村を思い出す。家族を失った少年。

 もう、同じものを増やしたくなかった。


「それに……」


 アティシアはリゼを見る。


「私は、リゼに人を殺すためだけに生きてほしくない」

「…………アティシア様」

「せっかく名前を持ったんだから」


 リゼは何も答えなかった。

 やがて、自分の胸元へそっと手を置く。


「私は……リゼ」

「そう」

「No.017ではなく」

「うん」

「王国の兵器でもなく?」


 アティシアは一瞬驚き、それから微笑んだ。


「それは、これからリゼ自身が決めればいいよ」

「私が……決める」


 リゼはその言葉を繰り返した。

 やがてアティシアは立ち上がる。


「ここも長くはいられないね」

「追手が来る可能性があります」

「うん」


 これまでの旅のどこかで、アティシアはまだ甘く考えていた。

 城を出れば自由になれる。

 王都から離れれば追われなくなる。

 そんな期待が、心のどこかにあった。

 けれど違った。父は自分を諦めていない。

 王国軍は追ってくる。

 そして次は、グレンだけとは限らない。


「これからは同じ場所に長くいないほうがいいかもしれないね」

「はい」

「街道もなるべく避けよう。町に入るときも気をつける」

「了解しました」

「あと――」


 アティシアは少しだけ笑う。


「了解しましたじゃなくて、分かったでいいよ」

「……分かりました」

「まだ硬いなぁ」

「難しいです」

「まあ、ゆっくりでいいか」


 これからどこへ行くのか。

 どこまで逃げればいいのか。

 まだ何も分からない。

 ただ一つ分かったことがある。

 もうこれは、城を抜け出しただけの旅ではない。

 追われながら生きる、逃亡生活なのだ。

 アティシアは隣を歩くリゼを見る。


「行こう」

「はい」


 そして、二人は歩き始めた。

 追手の届かない場所を探して。

 そして——まだ二人とも知らない、外の世界のさらに先へと。

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